Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

ヴィオレット・ヴェルディの脛

脛と足首の関係は深いようだ!

 

 みなさん、ヴィオレット・ヴェルデイというフランス人のバレリーナのことを

ご存知ですか? 振付家ジョージ・バランシンが、自身が創立したバレエ学校以外からバレエ団にスカウトした外国人バレリーナと言われています。

 バランシンのチャイコフスキー・パ・ド・ドゥはご存知ですか?この作品は、1960年にニューヨークシティバレエ団が初演し、その時の主演バレリーナがヴィオレット・ヴェルディでした。

 振付家ジョージ・バランシンについての詳細はこちら↓

ジョージ・バランシン - Wikipedia

 この映像は、ヴェルディチャイコフスキー・パ・ド・ドゥをロシア人でドイツを拠点に活動したウラジーミル・マラーホフとオーストラリア出身のバレエダンサー、マーガレット・イルマンに振付指導している映像です。

 


Violette Verdy teaches Margaret Illmann and Vladimir Malakhov - YouTube

 

 こちらのDVDに入っていまして、ただ振付を教えるだけではなく、バランシンのスタイルの特徴やバレエテクニックの歴史的な流れなども盛り込んだお話に感銘を受けます。

Amazon.co.jp | Violette Et Mister B [DVD] [Import] DVD・ブルーレイ - Violette Verdy, Jean-Pierre Bonnefoux, Isabelle Gu?rin, Margaret Illmann, Lucia Lacarra, Nicolas Le Riche, Monique Loudi?res, Vladimir Malakhov, Elisabeth Maurin, Roland Petit, Cyril Pierre, Elisabeth Platel, Dominique Delouche

 

 この映像のヴェルディの膝下の美しさに驚きます。もちろん、現役を引退され、お年を召したので、それなりに上体は年齢と共に大きくなられていますが、足が往年のバレエダンサーであることを証明しています。それから、完全に身体に動きがしみ込んでいるのもよくわかります。

 これを見ていて、最近自分が膝下からふくらはぎを特に気にしていたせいか、膝下のトレーニングがどうも違うような気がするのです。というのは、ここ5、6年指導を受けているBarre au sol(フロアバレエ)の先生に、「ふくらはぎが育ちすぎた」と言われます。そして、「脛がまったく使えてない」とのことです。 結果的に、どうも足首の安定が悪いというところに行きつきました。

 バレエの基本のプリエで、どうしても股関節周りにばかり気を付けるのですが、

どうももっと下の方でアン・ドゥオールのコントロールをする必要もあるとのことです(Barre au solからのアプローチです)。

 脛を足首から引き上げて使うということによって、脛周りはすっきりと伸び、足首は安定し、ふくらはぎの筋肉も長く伸びてゆくということらしいのです。

 その良い例がこのヴェルデイの脛だ!と思いました。

 今は、週に三人の先生について、バレエの基礎を学んでいますが、不思議とこのお三方の稽古の中での注意点がシンクロします。

 足首から脛を遠くに離して使うというのが、当面のテーマです。その使い方を今までしていなかったので、脳に正しく使い方をインプットしていかなくてはなりません。

 この作業が、「くせは曲者」というように大変です。でも、地道にこの使い方のスイッチを入れ替えることをしてゆくことによって、より自分が求めるバレエの世界に繋がれるなら努力は惜しみません。

 

 ヴェルディつながりでお話しすると、ここ数年週一度バレエ指導を受けています笹原進一先生のクラスでは、時折バランシンスタイルの動きを盛り込んだアンシェヌマンが入ります。

 私が幼少期から体に馴染んでいるワガノワのメソッドとは少し体の使い方が違うのですが、それがとても勉強になります。音楽とステップが本当に一緒になるので、

そのタイミングがとても大切なアンシェヌマン(ステップとステップの組み合わせ)を組んでくださいます。

 先日の稽古で、ジャンプのステップの時に、もっと浮遊感を出すためのアドヴァイスを頂きました。とまどいながらも、呼吸とか飛ぶタイミングなどを意識してみると、上体がふわっと浮いた感じで、その時に鏡に映った姿がスローモーションのように見えたのです。プロでもないから、これはまぐれですが、その時の様子がまるでヴィオレット・ヴェルディにバランシンが指導していた時のように感じたのです。

 自分とヴェルディを重ねるなんて、何と図々しいと思われますよね。でも、イメージトレーニングは大事ですから、良いのです(^_^;)

 

 私が、一番最初にバレエを習った先生は、東京バレエ団出身で、ボリショイバレエの先生の指導を受けた先生だったので、子どもの頃は、、ロシア派のワガノワメソッドの基礎訓練を受けていました。

 70年代のソ連時代のはやりの足の形は、どちらかというと弓なりに反ったエックス脚で、幸か不幸か私の足もそちらの傾向があり、甲をぐっと出して膝を反らして立つ習慣がついてしまいました。その結果、ふくらはぎはかなり育って、子持ちししゃもの子持ちが肥大した足になってしまいました。

 私の憧れていたボリショイのバレリーナ、ナデジダ・パブロワの足です。

 


PAVROVA N. & GORDEEV V. Don Quixote - YouTube

  今の時代のバレエダンサーと比べると足の形が、まっすぐではないと思いますが、当時はこのような足に憧れたものです。おそらく、解剖学的には怪我しやすい足かもしれません。

 現在は、日本でもヨーロッパのメソッド、英国のRADとかパリ・オペラ座メソッドなども指導されるようになっているようです。私の考えですが、特にフランス派のメソッドでは、膝下から足首、つま先にかけてのトレーニングが徹底しているように感じます。  

 身体の使い方も時代によって変わりますし、求められる「美」の形も時代によって変わると思います。

 今の時代は、できるだけ体の負荷を減らして、怪我をしにくい体に整えてゆく必要がありますね。バレエ界も作品の主流が、クラシックからコンテンポラリーに向いているように感じます。また、情報量も多いので、身体の使い方として、何が正しいのか、自分にはどんなボディメンテナンスの方法が合うのか(ピラティス、ジャイロキネシス、フロアバレエ、アレクサンダーテクニック、フェルデンクライス、ロルフィングなどなど)、迷子になることも多いと思います。

 

 そんな中で、少しいろいろと技術的なことを学ぼうかと思っています。人それぞれ、共通な体を持ちつつも、その生きてきた過程で体の使い方はそれぞれです。これからバレエやダンスを目指す人たちには、どのようなメンテナンスの仕方がその人の身体に合っているのか、ということを提案できるようになりたいと思っています。

 そのために、今まで「経験」ということだけに頼ってきた知識や技術(あるかどうかもわかりませんが)を、もっと客観的に裏付けたいと考えました。

 そして、バレエやダンスだけではなく、周りにいる介護や、仕事上(ファーストフード店の接客やポップを書く仕事など)、仕事上身体の特定の部分に負荷をかけて生活をされている方のためにも、体を整える方法を提案できるようになりたいのです。

 バレエやダンスのための身体の使い方から、もっと広い日常の中で身体を楽にする使い方を身に着けていただいて、より健やかで美しい身体になっていただけるように努力したいと思うこの頃です。

 あ~、ヴェルデイの脛からは少し離れちゃった(^_^;)

 

市田京美ワークショップ延期のお知らせ

【重要なお知らせです】
 来たる3月28日土曜日、29日日曜日に予定しておりました、
市田京美WS@新宿、およびアーキタンツにおける市田WSが延期となりました。

 理由は、市田の家族が急病とのことです。
 新宿WSに関しましては、市田と相談の上、また池田の方で企画する予定でおりますので、

どうぞ皆様のご理解をお願い申し上げます。
 なお、以下にまだフランスにおります市田から皆様へのメッセージをお伝えします。
 今後とも市田京美の日本での活動を支えていただきたく存じます。

<お詫び>
 この度は私事で大変申し訳ありませんが新宿、およびアーキタンツでのWSをキャンセルさせていただくことになりました。ご理解をよろしくお願いいたします。既に申し込みしていただいた方々には、又近い将来WSの機会を持てるよう努力をいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 今回のWSの企画にご協力いただいた皆様に、心から感謝申し上げます。 市田京美

モロッコのスープ「ハリラ」~ランスの思い出の味

断食明けのご馳走スープ「ハリラ」

 今朝、FBでマクロビの料理研究家の上原まり子さんが、スープについて投稿されていました。そのスープを見て、1992年から93年まで滞在したランスで出会ったハリラというスープのことを思い出しました。

 ハリラは、私のアパートの隣の部屋に住んでいたファドゥアというモロッコ人の女子大生とその友達のハビバにご馳走してもらったスープでした。

 隣人のファドゥアと仲良くなったきっかけは、アパートの玄関のインターフォンのところに名前のカードを入れるところがあるのですが、私が間違って自分の名前のカードを隣の部屋のところに入れてしまったのです。

 その隣の部屋の住人が、モロッコ人のファドゥアでした。私の部屋に、そのネームカードを持ってわざわざ訪ねてくれたのです。

 私にとってはランスではじめての友人となりました。そして、彼女とモロッコ人の仲間たちとの楽しい夕食の日々が始まったのです。

 私はサラダ担当で、ほぼ毎日のようにサラダを作ってファドゥアの部屋に行きました。良く一緒にクレープも焼いたり、ファドゥアのお母さんお手製のモロッコスウィーツなどもご馳走になりました。そのお菓子って、本当に美味しいんです。

 なんだかフランスに住んだのだか、モロッコに住んだのかわからないような滞在でしたが、宴の最後にはモロッコダンスを狭いアパートの部屋でみんなで踊って、賑やかに夜は更けてゆきました。

 私の記憶の中で、一番印象に残っている味が、彼女たちの作るハリラというスープでした。断食明け(日没)とともに最初に食べるもので、そのスープ食べたさに、一緒に断食をしてしまったほどです。ちょこっとずるをして、私はお水と軽いもの食べたりしちゃいましたけど('◇')ゞ

 なんとなく食べたくなって、レシピを調べて、こちらの記事で紹介されていたレシピでさっそく作ってみました!

 


モロッコ・マラケシュの宿Riad House13・ブログ

 

仕上がりはこんな感じです☆ 

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 食べてみたら、「あ~~この味!」という感じで、20年以上前に住んでいたランスのあの小さなアパートの部屋にタイムスリップした気分でした。

 アリッサという唐辛子のペーストを少し入れていただくとまた美味なのです。

 こんな風にお料理をしていると、ファドゥアもハビバも今頃はどうしているかしら?と思ったりします。

 帰国後、手紙のやり取りはあって、ハビバからファドゥアが結婚したことを知りました。私がランスにいるころに、会ったことのある男性だと聞きました。

 ファドゥアとは姉妹のように、一緒に勉強したり、本当にいろんな話をしました。

彼女は、まだ18歳くらいだったと思いますが、とても精神的には成熟した女性でした。あどけないところと、大人っぽいところが共存していて、とても美しい女の子でした。

 彼女たちが信仰しているイスラム教についても話を聞いていました。それほど厳格な信者ではなさそうでしたが、それでも彼女たちの生活と宗教は深く結びついていることを感じていました。

 

 ファドゥアが言っていた言葉を思い出しました。

「愛子、世界を変えるなんてできないのよ。そんなこと考えちゃだめなのよ」と。

 

 でも、彼女はレバノン人の男性と結婚したのです。

その覚悟は、「世界を変える」ほどのことだったではないでしょうか。

生きている間に、また彼女に会える日が来るでしょうか。

 そんな日が来ることを夢見て、また、ハリラを作ります☆

 

幸せの青い鳥はすぐそばに♪

冷戦時代の米ソ合作映画『青い鳥』を想う

 日々の生活の中で、とても「大切なこと」や「大切なもの」は

すぐ身近にあるのに、なぜか遠くまで旅をしてしまうことがあります。

 でも、きっとその旅はその時の自分にとって必要だから、

神様か仏様かご先祖様かわかないけど、与えてくれることだと思うのです。

 そんなことを考えると、いつも思い出すのが子どもの頃に大好きで、

録画して何度も何度も繰り返し見ていた、米ソ合作映画『青い鳥』です。

 

青い鳥 [DVD]

青い鳥 [DVD]

 

 

 最初に見たのは、単純にこの映画がバレエ映画で、テレビで放映されていたからでした。そして、当時憧れのバレリーナ、ボリショイ・バレエ団のバレリーナ、ナデジダ・パブロワが青い鳥を演じていたから(#^.^#)

 そのほかのシーンでもレーニングラード・バレエ団(現マリンスキー)のダンサーたちが登場して、ソ連バレエのレベルの高さを見せてくれました。

 光の精を演じるエリザベス・テーラーのこの世のものとは思えぬ美しさと

ジェーン・フォンダ演じる夜の精の地から湧き出るような存在感のコントラストが子ども心にかなり強烈な印象でした。

 二人のかわいいチルチルとミチルが、大切に飼っていた青い鳥を探しに、さまざまな世界に出かけます。

 確か天上の世界だったかしら、赤ちゃんが生まれるのを待っている国にまで旅をするのです。 二人は、旅を通じていろいろな経験をして、両親の待っているお家に戻ります。なんと大切な青い鳥はそこにいるではありませんか。

 皆さんもよく知っているメーテルリンクの「青い鳥」の物語。

でも、この映画の中で二人を旅に導いた光の精は、実はお母さんだったのです。

エリザベス・テーラーが、光の精と母親の両方を演じていました。子どもだったころには気づかなかった、演出の妙を感じます。

 

 自分が母親になって、改めてこの映画を思い起こして、

初めて感じるこの映画のぬくもりです。

 

 皆さんの青い鳥はどこですか?

 

☆映画の情報はこちら☆

ロシア映画社アーカイブス「青い鳥」

 

☆原作も読んでみてくださいね☆ 

 

 

国境なきアーティストたち

 いつもバレエ関係でものを書くときに一番悩むのは、ダンサーとか振付家のプロフィールの出身地とか国籍なんです。生まれたところとか国なんだから、つべこべ言うことでもないんですけどね、変なところが気になる性質なのです。

 

 昨日の朝、FBの投稿を通してドイツで踊っている櫻井麻巳子さんとういダンサーと

彼女が踊った作品について話していて、そこから私の中で湧き出たことをお伝えします。

 

 麻巳子さんとは、二年前にプロジェクトLUCTという活動を通して知り合いました。最初の印象は黒目が大きくてチャーミングで、少し義妹に似ていたせいか親近感があり、すぐにいろんなお話をするようになりました。

 

   <プロジェクトLUCTについてはこちらのURL>

  ectluct.wix.com/projprojectluct

  (ここから飛べなくてごめんなさい!コピペしてください!)

 

 LUCT主催のバレエセミナー期間中も、彼女が所属しているギーセンダンスカンパニーの活動などつについてもたくさんお話ししました。印象的だったのは地域の保育園でダンスの指導をした時の子どもたちとの関わりについてのお話でした。

 

 昨日の話の発端は彼女が踊った作品の一枚の写真でした。

 その写真をこちらに載せたいのですが、ちょっと著作権が気になるので、使わせていただけるか確認します。

 

 その踊りの動きが「フォーサイスとかキリアン」みたいだと思ったので、そのように彼女に伝えたら、「この作品は、フォーサイスのカンパニーで踊っていたPascal Touzeauの作品なんですよ!」と教えてくれました。

 20年前には新進気鋭の振付家だったフォーサイスのスタイルも、すでに現在は、彼の後に続く振付家たちによって継承されるものとなり、ダンスの世界の流れと変化を改めて感じました。

 そして彼女がその流れの中で表現者として生きていることにも喜びを感じるのです。

 

 その話から「そういえばフォーサイスもキリアンもノイマイヤーもみんな大元は、ジョン・クランコなのよね」と心に浮かびました(またまた、いっぱい横文字の名前が出てきてごめんなさい^_^;)。

 よく考えてみると、4人ともドイツのバレエ界(いや、世界のバレエ界かなw)を盛り上げた20世紀から21世紀の歴史に名を残す振付家たちです。でも、全員ドイツ人じゃないのです。

 

 例えば三人のボスのジョン・クランコは、1927年南アフリカルステンブルク生まれ(父オランダ系南アフリカ人、母イギリス人だって)。バレエ教育は、初めケープタウン大学バレエ学校で、のちに英国ロイヤルバレエ学校に入学して本格的にバレエの道に進みました。

 振付家として精力的に活動したのはドイツのシュツットガルトで、このバレエ団を国際的な地位に高めた人。大酒飲みで確か亡くなったのは飛行機の中で、空中だったのです(1973年没)。

 クランコは、「しらふでは仕事ができなかった」とあるバレエの先生で日本人で初めてシュツットガルト・バレエ団に入団された方に伺ったことがあります。ウィキペディアには、「しらふの時に振付して、それ以外は酔っ払い」と書いてあるけど、どっちが本当かしら。

 

 この映像は、クランコの英国時代の作品で、ディアギレフのバレエ・リュッスの影響満載です!

 


John Cranko - Pineapple Poll - YouTube

 

 英国バレエのルーツは、ディアギレフのバレエ・リュッスと言ってもいいくらい。バレエ・リュッスは、帝室ロシアバレエの伝統を受け継ぎつつ、新しい表現を求めた集団で、国境のないアーティスト集団の象徴のようなバレエ団です。

 

 次に、ジョン・ノイマイヤーは、1939年生まれのアメリカ人。アメリカでバレエ、ダンスを学びつつ、大学卒業後英国ロイヤルバレエ学校とデンマークでバレエ教育を受け、その後ジョン・クランコのシュツットガルト・バレエ団のオーディションを受けて入団。フランクフルト・バレエ団を経て、1973年ハンブルク・バレエ団の芸術監督となりました。

 ノイマイヤーのハンブルク・バレエ団就任直後の初期の作品でマーラーの『第三交響曲』。


Third Symphony of Gustav Mahler - Ballet by John Neumeier - YouTube


 
 イリ・キリアンは、チェコプラハ生まれ。やはり英国ロイヤルバレエ学校で教育を受け、その後、シュツットガルト・バレエ団に入団し、1973年にはオランダのネザーランド・ダンス・シアターに副芸術監督として入団、その後1978年には芸術監督に就任。キリアンの作品はこちらをチョイス。キリアン作品を初めて見て印象深かった『シンフォニエッタ』。

 Sinfonietta - Jiří Kylián - Vidéo Dailymotion

 

 そして、一番若いウィリアム・フォーサイスもノイマイヤー同様にアメリカ人。1949年生まれで、ダンサーとしてはアメリカのジョフリー・バレエ団でのキャリアから始まった。ドイツのシュツットガルト・バレエ団に入団したのは、1973年で当時のヨーロッパで一番刺激的な活動を展開してたバレエ団だったとの理由からでした。

 確か何かのインタビューで、「クリエイションの源はスーパーマーケット」と言っていたのが妙に面白かった。

 

 フォーサイスの衝撃は、やっぱり『インプレッシング・ザ・ツァー』。確か神奈川で見た記憶。

 これがシルヴィ・ギエムのために振付けられた「イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイテッド」のシーン。 


In the middle somewhat elevated: Sylvie Guillem-Laurent Hilaire - YouTube

 

 あと有名なのはラストのこのシーン。48秒くらいから。

 


William Forsythe's Impressing the Czar (Royal Ballet of Flanders) - YouTube

 どちらもフランクフルト・バレエ団の映像は見つからなかった。

 クランコは、新人振付家の育成にも熱心で、その結果がノイマイヤー、キリアン、フォーサイスという稀有の才能を世に送り出したわけです。

 
 フォーサイスは、その後フランクフルト市文科省の任命で、1984年にフランクフルト・バレエ団の芸術監督となり、2004年のバレエ団解散まで在籍。フォーサイスは現在小規模なカンパニーを率いて世界中で活躍しているようです。

 定住地から解放され、まさに地球を股にかけて活動する振付家の一人となりました。

 

 ドイツという国は、歴史的に新しいものを受け入れる寛容的な土壌があったようです。常に時代を切り開くエネルギーに満ちた人材を輩出してきました。
 ドイツではバレエ団の設立は意外に遅く、ほとんどが20世紀に入ってからのもので、急成長を遂げました。逆に20世紀初頭はモダン・ダンスの動きが活発でした。

 バレエを受け入れないグループ(メアリー・ウィグマンなど)とバレエを受け入れてメソッドを確立していったグループ(クルト・ヨースなど)に分かれつつも、ドイツ表現主義という表現を提案していました(その源流はルドルフ・ラバンという人物だけど、また別の機会に詳しく書こうと思います)。

 

 『緑のテーブル』クルト・ヨース振付

 


jooss la mesa verde - YouTube

 
 ドイツにに限らず、ヨーロッパではクラシックバレエコンテンポラリーダンスの距離が遠くないように感じます。このことは、新国立バレエ団の元監督だったディビッド・ビントレーさんもインタビューした時に仰ってました。

 壁が低い、壁がないという感じです。「壁」は、時に守ってはくれるけど、発展の妨げになることもありますね。

 時に、人間は自分たちで決めた線や壁に囚われてしまっているように思うのです。世界の人々が心をバリアフリーにボーダーレスにすれば、いろんな問題は解決してゆくような気がするのは、私が極楽とんぼなのでしょうね。

まさかのドイツ表現主義の森へ~迷子のダンサー奮闘記

元ヴッパタール舞踊団、市田京美との出会い

 遡ること早5年。

 いまでもあの時間が奇跡のように蘇る。

 2009年8月の東京ドイツ文化センター。

 ピナ・バウシュ率いるヴッパタール舞踊団に長年在籍し、

ピナ・バウシュの黄金時代の作品と時代をともに創り上げてきたダンサーの一人、

市田京美とそのパートナーのトーマス・デュシャトレのWSが開催された。

 いまだから話すけどあまり自分の意志ではなく参加した。ダンスジャーナリスト

長谷川六さんの薦めで受けたのだ。このWSの企画も長谷川さんだった。

 そして、ドイツ文化センターはピナにとっても縁のある場所だったと、

あとから市田が語ってくれた。

 

 この2009年という年は、市田にとっても忘れ得ぬ年となったことだろう。

そう、ピナ・バウシュが6月30日にあの世に旅立ってしまったのだ。

 

 WSの空気も特別だった、私の記憶では。

 

 前半は、市田によるクルト・ヨース(ピナの先生)のテクニックのクラスで基礎的な動きを身に付けてゆく。

   

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右からジャン・セブロン、クルト・ヨース、ピナ・バウシュ、エリカ・ファブリ。

ヨース振付『緑のテーブル』のリハーサル風景、1964年ころ。

 

 クルト・ヨースのテクニック?と思うけど、

 クルト・ヨースはドイツのモダンダンス界の中でも、クラシック・バレエの要素を取り入れたメソッドを確立した人。バー・レッスンなどはクラシックと通じるところもある。 

 テクニックの基本は、シンプルでニュートラルに、体の中から動く。動きの形を追うことが目的ではなく、形だけで動いていたらすぐに市田に見抜かれる。

 「まっすぐ立つ」、「歩く」、「呼吸する」という普通に生活する上でも当たり前のことが、実はまったくできていないことに気づく。そこからの出発。

 0からじゃなくて、私の場合はマイナスからの出発という感じだった。でも、もともと、「できないこと」に対して燃えるタイプで、やる気スイッチ完全オンとなってしまったのだ。

 マーサ・グラームのモダンダンスを3年ほど勉強していたけど、クルト・ヨースのコントラクション(身体を収縮させる動き)は、マーサのものよりきつく、クラシックバレエベースのレッスンを日常的に受けている身体には、かなり慣れるのに時間がかかる。5年経ったいまでも、毎日身体に叩きこまないと正しくできないと思う。

 

 受講生たちの必死な気持ちが、広いドイツ文化センターの会場に充満しているのを感じて、その時間と空間の密度に感動していた。

 

 受講前は、バレエ史だけではなくダンス史も勉強しているから、ドイツ表現主義もその舞踊についても知識はあった。クルト・ヨース=『緑のテーブル』、ドイツ表現主義=魔女みたいな踊り(メアリー・ウィグマンのイメージ)で、なんか感情表現が強すぎるな、というくらいの気持ちの向けようだったけど。

 

 ピナ・バウシュにも縁がなかったし、自分の好みの世界からは遠いとも感じていた。でも、せっかく東京にいるのだから、いる間にしか体験できないことをしないとと思い、1989年にヴッパタール舞踊団の『カーネーション』の国立劇場での公演のチケットを求めた。9月7日の公演だったと思う。なぜか記憶に鮮明なのは、祖父がその日に亡くなり、急きょ故郷に戻らなくてはならなくなったから。年号も昭和天皇がご逝去の年だから忘れない。軍人だった祖父は、天皇の後を追うようにこの世を去ったのだと、家族はみんな思っていた。

 

 その後、フランス滞在中にパリのテアトル・ド・ラ・ヴィルの前を通りかかったときに、偶然ピナ・バウシュの公演をやっていた。

 これは国立劇場のリベンジ!と思い、チケット販売の窓口に行ってはみたものの、パリでもピナの人気は高く、当然売切れ。二度目もピナとヴッパタール舞踊団には出会えなかった。

  

 三度目で、まさか自分がピナ・バウシュの『春の祭典』を踊るなんて、そのころまったく想像もしていなかったし、今だって自分がドイツ表現主義の森に足を踏み入れたこと自体信じられていない。結局、ピナ作品を見る前に踊るという事態になるなんて!

 市田のテクニックのクラスの後に、パートナーのトーマスの表現のクラスとなった。コンタクト・インプロヴィゼーションとか感情を身体で表現するようなワークもやったけど、一番強烈に身体自体が記憶しているのは、『春の祭典』を参加者全員で踊ったこと。

 集まったメンバーもさまざまで、バレエ畑の人、ジャズダンス、コンテンポラリーの人、それこそ舞踏の田中誠司さんとはここで出会った。市田のクラスのバーレッスンで、後ろに田中さんがいて一緒にレッスンしたことが今でも瑞々しい像として蘇る。

 

 『春の祭典』といったって、ほんの数小節のフレーズだけど、みんな必死。その時の一人一人のムーブメントのエネルギーが呼応しあって、そこの空気の密度が濃くなって、一人一人の動きが一つの大きなムーブメントに発展し行く感触がたまらなかった。

 奇跡の時間のように感じていたら、トーマスが「京美、見てよ。見てよ」って

少し興奮したような声で私たちの踊りを見ていたように感じた。

 

 『春の祭典』は、市田にとって特別な作品。彼女は「生贄」を踊ったのだ。きっと、音楽を聞くだけでピナと過ごした濃密な日々、ダンサーとしてはラッキー(市田は良く使う言葉)な歩みだったとはいえ、ピナのカンパニーでの苦しかった日々、さまざまな感情が起きていたのではないかと想像していた。

 


Pina Bausch - répétition Sacre du Printemps - YouTube

 

 『春の祭典』の動きを身体で感じようとする。動きを覚えて動こうなんてできない作品だと、自分でやってみて初めて思い知る。自分の意識のようなものが身体の中に埋もれてゆくような感覚だった。

 ストラヴィンスキーの音とトーマスの声とそこにいるダンサーたちのエネルギーが

何かを生み出しているという感覚に虜になってしまっている自分がいた。

 そこにいたダンサーは二度と同じメンバーでは集まれない。数人しかそこにいた人のことも覚えていない 何人くらいいたかも覚えていない。

 十数人だったと思うけど、その十数人の思い、感情と動きが空気の塊のようなものになってゆくプロセスを感じた濃厚な時間だった。

 


Stravinsky- Rite of Spring "Opening" - YouTube

 (WSで踊ったのは映像の6分5秒くらいのところから)

 

 まさか自分の意志ではなく参加したWSに何年も通い続けるとは思っていなかったし、市田にインタビューをして文章をしたためることになるとも考えていなかった。

ましてや、市田の東京での活動の手伝いをすることになるなんて、神様がいたずらしたとしか思えない(笑)

 理由は?と聞かれたら、ちょっと恥ずかしくてここには書かない(笑)

お知りになりたい人はWSでお待ちしていますので、その時にお伝えします。

 

 ということで、この度東京でWSを開催することとなりましたので、ご案内も兼ねて

市田との最初の出会いについてつづろうと思った次第。

 

市田京美ワークショップ@新宿ご案内>このWSは終了しています。

 

「立つ」「歩く」「呼吸する」という

ムーブメントの基本を見つめ、

長年ピナ・バウシュの創作活動を共にした

市田京美が、ピナのスピリットと

踊る身体の基本をお伝えするWSです。

 

 ピナの世界にご興味のある方はもちろん、初心者、ダンス未経験者、

さまざまな表現活動に関わっている方、からだの意識を変えたい方など

特にダンス経験を問わず参加可能です。

 

 もちろん、ダンスをされている方も大丈夫です。

いままでの自分のからだとは違う世界を感じることができるかもしれません。

 そして、二度と出会わないかもしれない人たちとの

大切な時間を共有してみませんか。

 

 

日時:3月28日土曜日 12時半から14時半

     29日日曜日 12時半から14時半

定員は各日15名(予約制)

 

運営上の都合で、予約制とさせていただきます。

スタジオの環境上、人数に限りがございますので、お早めにお願いいたします。

できるだけ参加者の方には、充実した時間を過ごしていただけるように

心がけたいと思います。

慣れない動きもあるかと思いますが、心とからだを解放して動いてみてください。

いままでと違う自分のからだに出会えますよ☆彡

 

受講料(2時間クラス):一般  3,500円

           大学生 2,500円

           中高生 2,000円

    一般の方二日間通し券 6,000円

        親子参加一日 5,000円

 

※二日間の通し券は、参加初日(28日)に二日分お支払をお願いします。

場所:ブラッツスタジオ シアターブラッツ内のスタジオです。

 新宿区新宿1-34-16 清水ビルB1

 電話番号:03-3353-1868

 アクセス:丸ノ内線 新宿御苑駅(3番出口)から徒歩3分

      副都心線 新宿3丁目(C7出口)から徒歩5分

      JR・西武新宿線 新宿駅 徒歩15分

 元厚生年金会館が道路を挟んで反対側にある建物の地下一階です。

 

地図:http://www.theater-brats.jp/CONTENTS/bbs_access.html

 

入室は、12時から可能です。受付もいらっしゃり次第いたします。

15時までに退室をお願いいたします。

 

【申し込み先】

池田愛市田京美東京マネージャー)

 メール:Aikosoleil@aol.com

    もしくは、

     Aikosoleil@gmail.com(「市田WS」とタイトルをお願いします。)

 まだガラケーなのでラインはやっておりません。申し訳ありません。

 

<FBページ> 

池田愛子:https://www.facebook.com/aiko.ikeda.1401

     

市田京美ダンスワークショップ(池田が管理しています) 

          https://www.facebook.com/Kyomi.Ichida

  

 

 FBページからのアクセスの場合は、メッセージでの

お問い合わせ、申し込みをお願いいたします。

 

また、同日程の夕方17時30分から19時まで

田町のアーキタンツスタジオでは、ダンス経験者対象の市田京美WS,も開催されます。

新宿のクラスを満喫して、もう少し動きたい方はどうぞそのまま田町まで

足を運んでください。

 

 

 

 

 

 

音舞の即興界『寂氷の花』~舞踏家 田中誠司WSとパフォーマンス 

特に舞踏が好きなわけではないけれど

 2月8日に奈良に拠点をおいて活動を展開している田中誠司さんのWSとパフォーマンスに夫と一緒に立ち会った。夫はパフォーマンスを退席したが、WSの時間を一緒に過ごして、とても良い時間だったとの感想。

 

 正直言うと、特に舞踏という表現が好きなわけではない。

 

 はじめの舞踏体験は、20代の頃にお世話になったダンスジャーナリストの長谷川六さんに芦川洋子さんのアトリエに連れて行ってもらったり、笠井叡さんのニジンスキーだったか、そんなタイトルの映像を見せてもらったこと。

 芦川さんのアトリエでの時間は「強烈」、それが体に残っている。笠井さんの舞は、いまでもあのテレビのブラウン管の中から飛び出てきそうな姿を思い出すくらいのエネルギーで、好みをつべこべ言う隙がない「圧倒的」な表現だった。

 でも、しつこいけど「舞踏が好き」というわけではない。舞踏に詳しい人とか好きな人には悪いけど、この言い方が私にとって一番しっくりくる。 

 じゃあ、どうして見るのか?

 

 まずは、誠司さんの舞に最後に立ち会ったのは、大野一雄先生が亡くなった後、東京の森下スタジオでのパフォーマンスだったと思う。その時は、家族4人で立ち会った。

 細かいことは覚えていないけど、彼は舞う中で「お・お・の・か・ず・お!」と叫んだ。終演後に、「どうして?」と聞いたら、彼は「その名前が出てきた」と言った。なんかいい!と思った。

 初めての出会いも印象的だったのだけど、この時の「出てきた」ということが、とっても自然で、素敵だと思った。

 田中誠司という人は、自分のからだを通して「いま」を語る人、「いま」を伝える人だと確信した瞬間だったのかもしれない、いま思うと。

  

 何か表現に惹かれる私の判断基準は、きっとその表現者の「いま」が

その時間の中で生ききられているかということなのだろう。

 

 数年たって、私自身もいろんな意味で変化していると思う。そして、今回のタイミングで再会したいと思った。

 

 フェイスブックにも書いたこと。

これは2月9日月曜日の言葉だから、24時間ほど過去の言葉。

 

目白にある古民家ゆうどにて、
大好きな舞踏家田中誠司さんの
公開ワークショップとパフォーマンスに
立ち会った。

数年ぶりの再会で、
いろんな意味で大きくなった姿が
心から嬉しかった。

古民家ゆうどの空間が、
まるで田舎の実家に戻ったようで、
庭に聳える赤目柏の木の
繊細でエネルギーに満ちた
立ち姿が、心に深く刻印された。

あの時間には
「立ち会う」という言葉が合う。

久しぶりに夫婦で、
出会ったころに住んでいた地で、
一緒に座禅をしていた時間に戻ったようだった。

6人のワークショップ参加者が、
赤芽柏の樹霊が見守る中、
時間を追うごとに変化してゆくさまを
見つめることができるその感触が、
妙に心地よい。

古民家の呼吸する木の空間で、
立つ、歩く、そして、
方向を変えて、地に戻る。
そして、再生というシンプルな
ムーブメントの中に、
舞う人と見る人の
「いま」が生きていた、
そんな時間だった。

ワークショップ後は、
田中さんとトランペットの川村祐介さん、
ソプラノサックス&ディジュリドゥ安藤裕子さんの即興セッション。
ソプラノサックスは、まるで尺八の音色。
川村さんのトランペットの奏法も
まるで日本の笛のように響く音を出す。

田中さんの「切実なからだ」は両性を超え、

彼の「いま」を語り切っていたように
伝わってきた。
感謝☆

  

 舞踏の内容がどうとかは、他の人に任せる。 

 私にとって、田中誠司さんとあの古民家「ゆうど」に集った人たちでしか

創造できない、視線の糸が縦横に張ったような緊張感の中でのすさまじい「いま」があった。

 

WS

 受講者の「メタモルフォーズする身体と空間」を目の当たりにする。

 

「メタモルフォーズ~変容」という言葉。

 ずっと知っていた言葉だけど、自分の身体で実際的に感じ始めたのは、ごく最近。

 私なりの理解だけど、稽古(バレエ)をしていると、始まる前の自分と稽古が終わった後の自分が、「変化」している感覚が毎回ある。

 自分自身の身体の変化は、おのずと同じ空気を吸っている人たちやそこの空間をも違う質感に変えてゆく感じがする。

 この感覚を、田中誠司はWSの中で、受講生に体感させる。 本当にシンプルな動きでも、集中力、自分との向き合い、空間との関係性に意識を向けて営むだけでも、ものすごいエネルギーと充実した世界が生まれる。

 

 ★即興の時間

 古民家ゆうどの座敷を舞台に、庭が素晴らしい舞台装置、いや装置という言葉ではあの雰囲気は表せない。庭が花道のようであり、借景となり、内と外の空間が混じりあう。

 赤芽柏の木が地から光を注ぐように、可憐に佇む和紙のような紙で仕込まれた一輪の白い花と白い鳥。そこに数匹の猫が動き回り、赤子の鳴き声が響きわたる。

  

 屋敷の外から田中誠司がゆったりゆったり、門をくぐり、

外の庭では川村さんが演奏し、座敷で安藤さんが演奏し、

ガラス越しに音を響き合わせる。

 

 冷たく引き締まった空気の中に、乾燥した音が響き、

生々しくも霊性に満ちた田中さんの身体が世界を映す。

 

 なんという「生」の時間。

 

 「いま」は、「過去」と「未来」の紙一重のところにある。

 

「いま」に立つ私は、

「過去」を受け入れきれてない自分と向き合っている。

「過去を受け入れきれてない自分」という「いま」。

 

 あのゆうどの空間で、遠くに見えたもの。

 それは、大切な人たちの笑顔。

 その「未来」に向かって、勇気を振り絞って、

 一歩、一歩、一歩、一歩のかなたに。

 

 呼吸。

 

 

<パフォーマンスに関しての詳細はこちら↓>

2015年2月8日(日)

Imaginary Cafe ~想像的民族料理店~ Presents

音舞の即興会「寂氷の花」

開場 14時半 開演 15時

第一部 田中誠司 公開舞踏ワークショップ (WS参加者は主催者が事前に決めています)
15時~16時半頃

お茶休憩

第二部 音と舞踏の即興公演
17時半~18時20分頃

田中誠司 舞踏
川村祐介 トランペット
安藤裕子 ソプラノサックス&ディジュリドゥ

お代:3000円 お茶菓子付き

場所:古民家ギャラリー「ゆうど」 (東京都新宿区下落合3-20-21)

予約:tanakay@gmail.com(田中庸平)

企画:田中庸平(Imaginary Cafe)

田中 誠司
1977年奈良市生まれ。大野一雄舞踏研究所にて、大野慶人に師事。以来、日本、ドイツの劇場、イベントなどで、ソロ、デュエットともに精力的に公演を続ける。2011年2月、郷里の奈良に「田中誠司舞踏スタジオ」を開設。

川村祐介
東京生まれ。美術大学を中退後、即興演奏を中心とした活動を始める。陸上競技者であった経験などから身体への興味が強く、やがてそれは土地固有の身体性やそれに伴う文化への意識と繋がり、活動の核ともなる。自身のトリオ「參重奏」、齋藤秀行氏との「voyager ensemble」を主宰。

安藤裕子
MUSQIS(ムスキス),Mooons(ムオーンズ)H onkitrio(ホンキトリオ)他、数多くのユニットや即興で演奏活動するサックス、クラリネットディジュリドゥ奏者。
近日、自主音楽レーベル 「MOOON RECORDS」立ち上げる予定。