Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

モンテヴェルディ『オルフェオ』研究会備忘録からのペンタゴン的お茶会とピタゴラス的立ち話☆彡

知的地殻変動という現象

昨日の東京音大でのモンテヴェルディオルフェオ』の勉強会での身体の反応が大変なことになっていた。もちろん、イタリア語もわからないし、ドイツ語もわかないけど、第一部の鈴木信吾先生による『オルフェオ』第五幕の詩の読み方のレクチャー。言葉とアクセント、詩のお話を聞きながら、先生が発話されるイタリア語の詩の言葉自体の音楽性というものに少し近づいてゆく。ルネサンス期における、「詩と音楽と舞踊の融合」という単なる言葉だけで理解していたことに、血と肉が与えられるプロセスを体験した。

 

昨日経験した感覚をすべて言葉にはできないかもしれないけど、とりあえず、言葉として残したいので、ここに記録。

詩と音の構造に、ルネサンス期の考え方、宇宙観、いわゆる生態学的な身体理論のようなものがすべて内包されているということを私の身体が受け止めてゆくのをものすごく感じた。生態学的な身体理論というのは、人間の身体を通して、その理論なり哲学なりが実現されているという感覚の私の表現です。

そして、福島康晴さんのモンテヴェルディの『オルフェオ』の楽譜解説が第二部。『オルフェオ』がどのような環境で生まれたかというお話しから始まり、『オルフェオ』の第五幕での妻を失ったオルフェオとアポロの対話の部分の説明が、私のように音楽を専門に勉強していない人間にもわかりやすかった。

地上に生きるオルフェオは、CHIAVE DI NATURALE(自然な)という旋法で表現され、天界に生きるアポロは、CHIAVE DI B MOLLE(♭)という旋法で表現され、二つの世界が旋法の違いでわかるように作られているとのこと。ここに二つの対立する世界である「天=魂の世界」と「地=欲望の世界」が立ち現れている。そして、福島さん自身がピアノを弾き、歌い、その楽譜を血肉を与えてくれたことは感動的。当時、モンテヴェルディが仕えていたゴンザーガ家の「アカデミア」の様子がどんなものだったか。ちょうど、ルネサンス期イタリアを治めていた各国の国家間のことを調べているところだったの、すべての説明が身体にすっと入ってきた。

どのような空間で演奏されたかによって演出(装置)の規模も変わるし、どのようなマネージメント(この当時はパトロンである貴族が芸術家を庇護していた)の下でその作品が生まれたのであろうか。おそらく、君主たちの中にも相当、当時の学術的な知識、芸術的な素養を身に付けた人たちがいたわけだから、例えば、その作品の仕上がりに対し、君主の意向が反映され、作曲家はそれを取り入れるということもあったでしょう。例えば、1490年のミラノスフォルツァ家の宮廷でジャン・ガレアッツィ・マリア・ヴィスコンティアラゴンのイザベラの結婚する際に上演された、レオナルド・ダ・ヴィンチが総監督を務めた宮廷祝祭『楽園』などの規模がいかほどだったかは、資料に記録されているようです。私は、映像作品(あくまでフィクションとしての復元ですが)となったものを何種類か見たことがあり見ることができますが、かなり大掛かりな舞台転換を含み、視覚的、聴覚的に、観客たちを魅了したことは間違いないでしょう。

 

では、マントヴァのゴンザーガ家がどの程度の規模の宮廷だったかということは、イザベラ・デステがこの家に嫁ぎ、その妹のベアトリスが、ミラノスフォルツァ家に一年後に嫁ぎ、イザベラがその妹の嫁ぎ先の宮廷の華やかさの規模の違いに愕然とするということからも想像できるでしょう。しかし、この時代は戦国時代で「盛者必衰のことわり」の時代で、ミラノの栄光も永遠ではないことも頭に入れておく必要があります。

そのために、「婚姻」という儀礼を通し、各国の君主たちは、それぞれの国がどう生き残ってゆくかを探り続けた、時代的には「平和」とは対極にあった時代です。改めて、一つの作品を考えるときには、その作品が生まれた時代背景、政治的状況、その作家の社会的なポジションを把握することは大事だと再確認できました。

 

そして、第三部は丸山桂介先生の締めの講義で、モンテヴェルディの『オルフェオ』の題材となったギリシャ神話の解説の時間です。ご存知の方も多い、さまざまな芸術作品のテーマとされている「オルフェウスとエウリディーチェ」。そして、そこからルネサンス期にどのようにギリシャ哲学が研究され、芸術作品として応用されたかというお話し。すべてが興味深く、「あ~こういうことを知りたかった!という内容ばかりでした。

とても簡単にはまとめられませんが、この作品の中でモンテヴェルディが何を訴えたかったということの核となるのは、「対立する世界の融合(ハルモニア)」。そこには、プラトン的に二元論という考え方のベースがあります。その考え方をまとめていったのは医者で哲学者のマルシリオ・フィチーノ。ほかにもパラケルススなど医者であり、哲学者という人もいました。

ルネサンスというのは、中世が聴覚的な世界観であるのに対し、視覚的な世界観が前面に出てきた時代といえます。そこで、視覚的な芸術というものがたくさん残されていくわけです。

中でも、舞台(ダンス、ドラマ)の世界というのは、哲学的宇宙論の理想的な実現の場だったといえるでしょう。

 

オペラ=ドラマとは、目的をもった人間の行動(のちに、フランスでBallet d’actionという動きが18世紀に登場します)である。アリストテレスの書いた『詩学』はドラマ創作論であり、ドラマというのは詩で書かれている。悲劇とは、人間の負の行動のカタルシスである、との説明がありました。そして、カタルシスという、通常<浄化>という風に訳される言葉についてのさまざまな解釈があることも知ることができました。

 

一つの言葉をとっても侮れないとずっと考えてきたことは、間違いではないと確信した次第です。そして、ルネサンス期に作られた、産み出された数々の芸術作品は、単なる貴族を喜ばせるための娯楽なのか?単なる暇つぶしでしかないのか?という問いにも向かいました。 

私も常日頃から、多くの舞踊史やバレエ史の本で「バレエとは、イタリア・ルネサンスにおいて貴族の宮廷で生まれた娯楽」という表現に対し、少しご疑問を抱いていたのです。もちろん、「娯楽」という要素が全くなかったことはないと思うのですが、例えば、今回の勉強会のために『オルフェオ』を聴いてみると、なんとも満たされた気持ちになるのです。簡単にいうと、「この世のものとは思われない世界」が音を通して感じられるのです。

 

そういう風に後世の生きている時代も国も違う人間にもかんさせる何か、がこの音楽にはあると思った時に、芸術家たちを庇護したお金持ちたちが、何か現実に起きていることとは違う理想の世界を具体的に描いていたのではないか、と私には考えられるのです。悲惨な戦いの日々、政治的な関係でしか成立しないような人間関係、きっと私たちが感じるような安堵というのとは縁遠い現実が迫っている中で、どこか救いを求めたい人間の本性が、パトロンたちを駆り立てたと考えることはできないでしょうか。

 

お話を丸山先生の講義に戻り、モンテヴェルディが求めた音楽の世界について。対立する二つの世界の融合ということから、『オルフェオ』にはルネサンス期における神話理解とキリスト教の教えの融合が垣間見られる。旧約聖書の中の言葉が、第五幕の最後の合唱のところの詩編の中に踏襲されていると丸山先生は指摘されました。そして、アポロ=父とオルフェウス=息子という構図。それぞれの歌が違う調性で表現され、最後には統一されてゆくというプロセスが、『オルフェオ』に実現されているとのことです。それは、もしかすると、アポロ=父=君主、オルフェウス=子=モンテヴェルディという風に想像するのは、私の深読みでしょうか。

 

また、講義の前に丸山先生にご挨拶しましたら、「今日はバレエのこと、モレスカのこと話しますよ」とおっしゃっていたので、とても楽しみでした。私が最も気になっていた『オルフェオ』の中で踊られるモレスカです。丸山先生が、「ここの踊りはユダヤ人たちが踊った。それは大変なことだった」という言葉が、身体をまた電光石火のごとく貫き、ずうずうしく質問させて頂きました。というのは、いま私が向き合っているルネサンス期の舞踊教師グリエルモ・エブレオがユダヤ人であり、当時の舞踊教師の多くはユダヤ人だったので、「ユダヤ人がモレスカを踊ったことが大変なことだった」という先生の言葉に、敏感に反応したのです。

 

それから、16世紀のヴァロア朝のフランスに入ってからの宮廷バレエについても触れられ、そこでもルネサンス的な宇宙論が視覚的に実現されているというお話でした。このフランス宮廷祝祭におけるスペクタクルの上演は、1570年にジャン=アントワーヌ・ド・バイーフが設立する詩歌・音楽アカデミーの具体的な形となる運動の一つでした。バレエ史では、最初の宮廷バレエの項目で、たいていの本が触れている1573年の『ポーランド使節のためのバレエ』とバイーフの理論が理想的な形で実現したのが、1581年のアンリ三世の寵臣と王妃ルイーズの妹の婚礼の際に上演有名な『バレエ・コミック』があります。

1573年の『ポーランド使節のためのバレエ』は、1572年のアンリ・ド・ナヴァール(プロテスタント)とマルグリット・ド・ヴァロワカトリック)の婚礼とその直後の虐殺という流れの中で開催された。アンジュー公(のちのアンリ三世)が、ポーランド国王に選出され、ポーランドの使節がパリに入場し、彼らをもてなすための祝祭が開催されたのです。その一環として上演されたバレエでは、舞台はなく、アリーナ状の劇場で、貴族たちは踊る空間を囲むようにして観ていたのです。

 

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奥の方に貴賓席があり、ポーランドから来た一行が座っています。フランスの各地方を表す16人の貴婦人が、8人一組で幾何学模様を描きながら踊ります。この16人の中には、マルグリット・ド・ヴァロワも一緒に踊ったと言われています。こう見ると、8人一組の16人という構成は、丸山先生がご用意くださったガフリウスの『音楽実践』の口絵に通じるものを感じます。

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次のガフリウスの図と上の図を見比べてみると、ただの偶然とは思えないんですね。アポロンの位置に貴賓席があって、16人の貴婦人が踊っている。なんかすごいんじゃないですか!ちょっとここは深めたいので、また追って書くことにします。

 

最後に、『オルフェオ』の最後も登場するモレスカですが、バレエ史、舞踊史などの本には、718年から1492年までのスペインはイベリア半島におけるレコンキスタ、つまりキリスト教徒が支配権をイスラム教徒から奪還するプロセスの中で生まれたと書かれているものが多いです。集団で踊るものは、異教徒同士の合戦を、こん棒や剣を持ってダンスとして表現しているものがあったり、カップルで踊る場合は、仮面を付けたり、また、イスラム教徒=ムーア人のようなイメージなのか肌を黒く塗って踊ったりするものもあるようです。

 

このたびの講義が終わり、丸山先生に「ルネサンス期には舞踊教師としてはユダヤ人が多いとの記録があり、私がいま向き合っているグリエルモなどは、キリスト教に改宗し、名前も変えている。このことは、ユダヤ人が、その社会の中で生きるためにそのような方法をとったほうが有利だったのか?」と私が質問をいたしました。

「それは、難しい問題ですね。反ユダヤの君主が、ユダヤ人の芸術家を庇護した例もあるし、ローマ時代からユダヤ人が隔離された地域で生活したということもある。ただし、『オルフェオ』のモレスカで、ダンスの中心にユダヤ人が踊ったということから言うと、その作るプロセスの中でいろいろな困難があったことは想像できる。だからこそ、この『オルフェオ』を今の時代に上演する意義というのがあるのではないか。また、ピタゴラスの数比例の考え方から歩調を考え、音楽との関係を構築することで、当時の人たちが踊ったかもしれないモレスカが再現できるのではないか」という貴重なお答えを頂きました。

 

 そして、現在のバロック音楽の演奏に関して、ルネサンスからバロックにかけての哲学的宇宙論から考えて、「対立する世界の融合(ハルモニア)」のためには、もっと不協和音をしっかりと出さないと、その理念の実現にならない、というようなことをお話になる、「今の演奏は化学調味料」と表現され、妙に納得しました。誰でも<美味しい>と感じるけど、ある意味味覚は育たないし、逆に味覚を狂わせます。なんとも言い得て妙です。

 

この講義に参加して、『オルフェオ』の第五幕だけでも実現してみたいという野望にあふれた日となりました。まだ、その余韻が冷めやらず、バッカスの力を借りなくても、ほろ酔いな時間が続いているのであります。

 

参考までに、ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の中のモレスカ。モンタギューとキャピレットの対立とイスラムとキリストの対立をかけたような演出です。

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オマケ~講義のあとは、ペンタゴン的お茶会とピタゴラス的立ち話

講義後、声楽家お二人とチェンバロ奏者とオーボエ奏者の五人でお茶をしました。まるでペンタゴン!私の左側に声楽家2人が座り、右側に器楽演奏者が2人座った、この座席もハッピーでした。体自体を楽器とする人の身体の感覚と楽器(外部のもの)を自分の身体として扱う奏者の身体の違いを真ん中のポジションで実感できたのは、ものすごい収穫!声楽家には、身体の中に球体を作る身体の使い方を最近は提案してます。じゃあ、楽器を演奏する人の球体をどのように調整するかということを昨日からずっと考えている。楽器という物理的な存在も身体化するのか、もしくは、音というもの(その波動、粒子など)が外に広がるものと身体との関係を考えるのか、とか。すごい学び!!

そして、5人のペンタゴンからの池袋西武前の3人のトライアングル立ち話もすごい!まるで、三人の地下には黄泉の国、そして、天上からはアポロンがほほ笑み、横からバッカスがワインを差し入れてくれそうな、そんな十数分の密度が素晴らしい!