Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

舞踊史トークイベント終了@渋谷Li-Po

亡霊になる前に

 

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 去る7月2日土曜19時より、渋谷の素敵なスペースで舞踊史のイベントを初開催させていただきました。

 今までは、友人の主催するバレエスタジオの子どもたちやバレエセミナーなどで、小中高生を対象にお話しする機会には恵まれていましたが、このたび大人の方、しかもかなりディープな専門性の高い大人の方たちにお集まりいただき、トークをさせていただきました。

 主催はコンテンポラリーダンサーの今村よし子さんで、まあ、私のように自分ではなかなか主体的にイベントを企画しようなどと思わない人間をすっかり持ち上げてくださり、場所まで探してくださりという次第で開催の運びとなりました。

 偶然にも開催場所の渋谷のLi-Poさんというお店のオーナーさんと札幌の出身高校が一緒というご縁もあって、「私なんぞがトークイベントね~」とは思いつつも、「この場所ならやってみよう」という「気」が起きたわけです?

 

 開催場所のお店の当日客入れ前の雰囲気はこんな感じ。

 

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 そして、テーブルの上に自由にご覧いただけるように資料をご用意しました。

私個人の持ち物なので、できるだけ実物に触れてもらうのが良いかと、子どもたち

を対象にする時にもいつもご用意しています。

 洋書も多いのですが、わからなくても見て触ってって、結構大事だと勝手に思ってるんです。なかなか、この資料たち人気者でした☆彡

 

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 あとは、秘密兵器のバレエ史紙芝居wwまあ、人数が多いとちょっと使い勝手は悪いのですが、個人的にこのスタイルを発展できればと考えています。

 

 

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 私としては今回限りのトークイベントと考えていたので、まずは第一部でバレエ史展望と言うことで、ルネサンスから20世紀初頭のバレエ・リュスあたりまでざっくりと俯瞰したいと思いまとめてみました。

 そして、第二部には今まで立ち入らなかった日本のバレエ史の部分に果敢にも(笑)取り組んだみました。

 

 日本のバレエ文化に影響を与えた三人のロシア人女性がいました(第二次大戦前)。ご存知の方も多いかもしれませんが、アンナ・パヴロワ。彼女は世界のバレエ文化に影響を与えたと言ってもいいでしょう。もし、アンナ・パヴロワがいなかったら、世界のバレエ地図も随分様変わりするかもしれません。

 

 そして、二人のパヴロワ。エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア。「あれ?パヴロワじゃないじゃない?」って思う方いらっしゃると思いますが、二人とも本名は「パヴロワ」なのですが、アンナと混同されないように名前を変えたとのことです。

 エリアナは、「アンナの従姉妹」などという偽情報もあったようです。ただ、それによって逆に宣伝的には良かった部分もあったとも想像できます。

 この二人がいなければ今の日本のバレエ界は成立していなかったかもしれないというほどのバレエ指導者です。

 

 エリアナさんに関しては、七里ガ浜に記念館があり、最近は川島京子さんと言う方が素晴らしい研究書を出してくださったので、またゆっくりと私の方では書かせていただきたいと思っています。

 心残りはオリガ・サファイアについて、もう少しちゃんとお話ししたかったなという

ことで、もう終わってしまったことなのだからいいだろうとも思うんですが、なんだか成仏できず亡霊になりそうなので、やはり書いておこうとブログを久しぶりに書いている次第。

 ある参加者の方に「愛子さんはオリガに好感をお持ちなのですね」というご感想を頂きました。ある意味図星です。エリアナさんよりは、オリガさんにたぶん肌感覚として惹かれている。

 私とオリガさんの出会いは、昔々バレエを札幌で習っていたころに母が求めてくれた一冊の本「バレエを志す若い人たちへ」というオリガさんの著作でした。残念ながらこの本自体は私の手元に残ってはいないのですが、当時小学校高学年の私は、この本を読んで感じたことは、「バレエの道とは険しいもので、簡単じゃない」ということで、「プロになるとは並大抵の努力では無理だ」と子ども心に受け止めた記憶があります。

 

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 そして、オリガさんに親近感を持つ別の理由としては、同郷のバレエ教師であった佐藤俊子さんが、オリガさんの最後のお弟子さんで、英文学者としても教鞭をとられつつ、東京=札幌間を何年も往復して、オリガさんの指導を受けていたということ。そして、同郷でありながら生前に佐藤先生にお目にかかれなかったという後悔があることです。

 佐藤先生は、英文学者、バレエ教師、ダンサーそして、母と言う一家庭人としての顔を持つ方でした。私にとっては鏡のような存在の佐藤先生に生前お目にかかって、いろいろとお話を伺っておきたかったと本当に思います。

 でも、神様は親切です。これはなんでしょうか。佐藤先生の筆跡です。私が今回のトークのために取り寄せた「北国からのバレリーナ」という佐藤先生の著作の見開きに書かれたものです。この本はすでに絶版になっているのですが、私の元にこの古本が届いたのも何かの縁と思わざるを得ませんでした。

 

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 この本は、佐藤先生がオリガさんと約束した「あなた、私のこと書きますね」と言う言葉を実現した本です。

 歴史屋としては、まるで考古学者が探していた壺の破片を見つけた時のような歓喜

覚える筆跡です。「この尾崎宏次さんて誰なんだろう」と素朴な疑問は、この本を読み進める内にわかってきました。

 尾崎さんとは、1936年にオリガさんが来日して東宝と契約し日劇でバレエを指導し始めて以来、日劇ダンシングチーム(NDT)の公演を見て、文章を書いて生きた都新聞(現在の東京新聞)の記者の方でした。

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 この本を読めば、オリガ・サファイアと言う人がどういう人だったのか。当時の日ソ関係、外交官の夫清水威久との国際結婚。宝塚の産みの親小林一三とオリガ・サファイアとの出逢い。日劇での秦豊吉のオリガとバレエ芸術の庇護などについてよく理解できますし、日本のバレエ文化への東宝大映の貢献が伺えます。

 そして、日本初の職業ダンサーとしてのNDTがオリガさんの指導を受けて、どのように成長していったかということが良くわかります。とにかく、「バレエを習得するというのは修道院のようなもので、楽しいとかそういうものではない」というオリガさんの考えのもとに、かなり厳しいレッスンだったと想像できます。オリガさんが第一期生の中で一番目をかけていたのは、松山バレエ団の創始者の松山樹子さんで、彼女のことは「外国に行っても通用する身体の条件」とも仰ってます。

 この本一つとっても「歴史を語れる」ということを私は感じるのです。

 

 あるトークイベント参加者からのご質問が後日ありました。

 「きびしいオリガ先生が指導したということはNDTのダンスは本格的なものだったのでしょうか」というものです。

 NDTの当時の公演の様子がどこかに映像として残っていれば見てみたいものですが、残念ながらそれは簡単ではありません。

 ただ、この本の中に、先に登場した記者の尾崎さんが書かれた文章が引用されていまして、それがなかなか的を得ていると思うのです。

 時は、第二次世界大戦勃発の年、1939年の公演「コーカサスの捕虜」というオリガさんの振付作品についての尾崎さんの記事です。

 ただし、あくまでも「日劇のバレエチーム」がショーのグループとは別に訓練されていたようなので、NDT全体として評価できるかどうかは難しいところですが、「バレエチーム」に関しては、「ボーイズ(エリアナ・パブロバの内弟子でもあった東勇作さんを含む)」も十分な訓練を受けていたことがうかがえる文章です。

 1939年、オリガが日劇就任して3年目の作品「コーカサスの捕虜」に ついての尾崎さんの評には、「バレエチームとボーイズが近来ない緊張した場面を醸成したいた」 とバレエ団の成長を褒め、 オリガの振付については 「サファイアの振付には舞台に雰囲気を作ることと共に 技術的に注目されるべきものが習得されていた。 サファイアの正確なテクニシャンとして(腕のアクセントに固い点はあるが)現在の洋舞界では注目に値する人だ」と評されています。

 この文章の中の<テクニシャン>という表現について、のちに夫君の清水さんが自伝の中で、少し反論するような文章を書いていますが、 この時点での尾崎氏の批評は、私自身踊る側からしても 的を得た批評だと考えられます。

 おそらく、重要なのは<テクニシャン>ということよりも その前の形容詞<正確な>かと考えられます。 それまでのバレエが<正確な技術の基礎>が怪しかったことへの 示唆ととらえるべきかと思うのです。そして、腕の表現に対する言及も踊る立場のものから しても、非常に言い得て妙という感じがします。

 ガリーナ・ウラーノワの『瀕死の白鳥』をここで見たくなりました。ウラーノワのお母様のロマーノワ先生が、オリガさんのレーニングラード時代の先生のお一人でした。オリガさんの踊った『瀕死の白鳥』は、もう一人のヴィクトル・セミョーノフ先生がアンナ・パヴロワの稽古を見て、その直伝と聞いています。

 でも、なんとなく少しウラーノワに似ていたのではないか、と想像しています。特に「腕のアクセント」という言葉からです。

 

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 オリガさんよりも先に日本に入ってバレエ芸術を日本の文化の中に上手く浸透させたエリアナさんに対する評価もさまざまで、「アカデミックな専門教育を受けていなかった」ということが良く言われます。

 ただ、オリガさんのアカデミックなバレエ教育は、日本人の性質にはもしかすると馴染まず、エリアナさんの「あくまでも芸事としてのバレエ」の方が、伝授されやすかったとういうことは言えると思います。

 それが良い、悪いということではなく、私の中の結論としては、この二人のエリアナとオリガと言うロシア人女性が人生をかけて私たちの国にバレエ文化を移植してくださったことに対し、深い感謝の念を抱くばかりです。

 タイムリーな話題としては、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルに高田茜さんと平野亮一さんという二人の日本人ダンサーが昇格しました。

 少し調べてみましたら、高田さんの先生の高橋洋美先生は、松尾明美さんという方で、松尾さんは、オリガ・サファイア日劇バレエチームの第一期生の一人でした。

 オリガさんの植えた小さな種が世界で大きな花となって咲いていることを、天国のオリガさんとそのオリガさんの心を後世に伝えようとした佐藤先生にお伝えしたいと強く願うこの頃です。