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Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

4月からまた学生になります('◇')ゞ

母への想いから

 母がこの世を旅立って早2年が経ちました。まだまだ、気持ちの整理もつくこともなく、何かにつけて涙がこみ上げます。それでも、日々母に語りかけるように、母が一緒に楽しんでくれているようにという思いで過ごしています。

 

 「あなたは踊ってればいいのよ。私がそう育てたんだから」と、介護で東京=札幌間を行き来している頃に、母が私に言いました。

 私には意外な言葉でした。母にとって私は、わけのわからない娘だと思っていたからです。でも、介護の間、いろいろと話すうちに、「きっと母にも夢があったのかな」と思うようになりました。この時間に、やっと私たちは本当の「母と娘」になれたようにも感じています。

 

 母は四人姉弟の長女で、戦後の復興する日本を生きて来て、ずっと我慢を強いられていたのかもしれません。妹や弟はフランスや英国に留学させてもらえたのに、母は19歳くらいで父と知り合い23歳には結婚。24歳の時には私が生まれていたのです。

 父はある意味自由人でした。母は、三人の子どもに夢を託すようにいろいろなことをさせてくれたのかもしれません。そう思うと、生きている間にもっと何かしてあげれば良かったと後悔することも多いです。

 

 ふと思い出すのは、病院のベッドの上で、手首と足首を回している母の姿です。病気が進行し、あまり動けなくなった母に私が教えた運動です。

 少しでも筋力を保てるように、少ない力でできる運動を教えてみました。時には音楽を流しながら、母はなんだかよろこんで手首や足首を動かしていました。母は最期まで自分の尊厳を守り抜くという生き方を私たちに示してくれました。

 

 その姿が私の背中を押してくれたような気がします。この4月からまた学生になることにしました、と言っても最長6か月です('◇')ゞある資格を取ろうと思います。私は、

本来資格には否定的です。短期間で簡単に身体に関する技術を習得できるなんて、と思っていました。いまでもまだ懐疑的です。

 でも、今回は夫の薦めもあり入学説明を兼ねた勉強会に参加しました。そして、短期間で資格をなぜ取れるのか、十分な技術や知識が身につくのか、それが実践できるほどのものとなるのか、など勉強会の担当講師にも質問しました。

 

 いままで疑問に思っていた身体に関することも質問しました。二人の講師の方が、淀みなく的確に答えてくれました。その伝え方、説明の仕方に非常に納得しました。

 お二人とも30代で、とても研究熱心。お一人は最近バレエダンサーのケアもされているとのことで、ついいろいろ質問してしまいました。

 

 解剖学的なことから介護のことまで、丁寧に説明してくださいました。資格うんぬんより、この人たちにいろいろ教わりたいと強く思ったのです。現在のスポーツ科学

の研究も目覚ましいことを知りました。今の時代の知識や情報、そして、溢れる情報をどのように整理し、自分なりに理解の助けにするかということも学びたいと思います。

 もちろん、人間の身体が科学でだけ説明できるものでも、解明できるものでもないことは、母の病気を通じて良く理解しています。でも、客観的に今の知識や技術を学ぶことは、これからの私の歩みにとって大切だと思いました。いままでの経験によって培ったものをもっと理論的に整理して、人に伝えることにつなげたいのです。

 

 目的は、学びです。いつまで学ぶのよ!という感じですけどね(;´・ω・)結果として、資格が取れたら、私にとっては社会貢献への大きな一歩となるでしょう。

 

 私くらいの年齢になってくると、周りには介護やご自身も身体の痛みを抱えている方が増えてきます。

 ある意味、若いころには「有った」いろいろなことが「無い」状態になってゆきます。その時間をいかに豊かに過ごすか、ということを考えても、私が今目指していることは、周りの方たちのお役に立てるのではないかと思うのです。

 そして、今までお世話になった方、ご指導いただいている先生方への恩返しにもなると信じています。

 

 夏までには結果が出ると思います。それまでは、また草鞋が増えて、そして家族にもまた協力してもらわないといけなくなると思いますが、学び収めと思って見守ってもらいたいと思います。

 あ~試験とか、どんどん無くなっている記憶力との闘いですが、楽しみながらがんばります!

  

 母が病気の時に、病室の皆さんと歌った唄『いっぱいの珈琲から』

 奇しくも母が生まれた昭和18年の唄。

 

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 この曲を聴くといろいろな想いがこみ上げます。歌はどんな時も、人の苦しみや現実を忘れさせてくれるものだと思いました。

 札幌に帰り数日間病院に通い、東京に戻るときの胸が裂けそうな気持ちで空港に向かった日々は忘れません。

 「このお部屋にいる方とはもう二度と会えないかもしれない」という現実と向き合う日々でした。

 でも、どんな時も希望を持ち続けなければならないんです。生きているというこの瞬間を大切にするために。