Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

第二場 ダンサーの日常~稽古場

 【ダンサーの日常~稽古場】

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 第二場もドガの絵で開演です。このドガが描いたレッスン風景の絵は初めて見ました。あれ?どこかで見たような丸い窓ですね。そう第一場のレッスン映像で登場したガルニエ宮殿のおそらく両脇にあるドーム型の場所のどちらかにあるレッスン室(のちのザンベリの間)です。私の予想では左側のお部屋だと思うのですが、詳しい方に今度確認してみます。

 

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 ドガの絵に戻りましょう。ここに描かれているのは、日常のレッスンでしょうか。1895年に完成した絵とのことですが、このころは、レッスンの時もチュチュのようなものを着ていたのがわかりますね。それもそのはずです。レオタードなんてこの時代にはなかったのですから。そんなことも絵は教えてくれます。トーシューズは結構固くなって、しっかりとポワントで立ってます。アン・オ(頭の上で丸い形を作る)の手の形も今と変わりません。

 

 ドガは、ル・ペルティエ通りの劇場が火事で無くなって、パリ・オペラ座ガルニエ宮殿に移ってからも踊り子たちを描き続けていたのですね。

 この部屋が後に「ザンベリの間」と呼ばれるようになったのは、エトワールだったカルロッタ・ザンベリが、引退後にこの部屋でレッスンやリハーサルを行っていたことからだと、ザンベリの教えを受けたイヴェット・ショヴィレが説明しています。

 

 この写真(BNF:フランス国立図書館蔵)は、そのザンベリ(左)が1912年に『二羽の鳩』で主役の少女グルリを演じている写真です。グルリの恋人ぺピーノ役はアントニーヌ・ムニエというバレリーナでした。

 このころのオペラ座では女性が男性の役を踊るのが普通で、『コッペリア』のフランツ役も女性が演じていました。この『二羽の鳩』の主役の男性を初めて男性が演じたのは1942年とのことで、ちょっとびっくりです。

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 ザンベリは、このグルリ役をスペイン人のバレリーナ、ロジータ・マウリから習ったとのこと。マウリは、1886年の『二羽の鳩』の初演で主役を踊ったバレリーナで、ドガの絵の中でももっとも有名なこの絵に描かれているエトワールです。

 

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 ザンベリにショヴィレにマウリ!たくさんのバレリーナの名前が出てきて大変ですよね。全部覚えることはないのですが、それほどたくさんの踊り手たち(振付家も)が、フランスに限らずバレエの世界を支え、私たちの時代にまで伝えてくれているということをいつも大切にして、バレエのことを書くようにしています。

 

 この三人だって、みんなパリ・オペラ座の歴史に残るエトワールだったから名前が事典などでわかるけれども(ちなみにロジータ・マウリは、オックスフォードのダンスバレエ事典には載ってませんでした)、バレエを支えて来た無名の踊り手たちがもっともっといるということも心に止めておきたいのです。

 

 それでは、イヴェット・ショヴィレ(97歳でまだご存命!まだ会えるかも!)が、パリ・オペラ座に伝わる作品を指導する様子をご紹介しましょう。これは第一場でお話ししたDVDと同じものです(DVDに収録されていない映像もあります)。

 この映像の40分くらいのところから、ショヴィレがピエトラガラに『二羽の鳩』のロマ族(注)の女性役の踊りを教えています。

 すぐに踊りの稽古に入らず、稽古場の名前が「ザンベリ」と名付けられた由来のお話しからレッスンが始まります。 ショヴィレは、普通の洋服で稽古をつけますが、その動きの美しさの中に、凝縮されたフランス的なエスプリと伝統を感じます。43分くらいのところからのショヴィレの踊りを見てみてください。

 

 ピエトラガラに「この踊りのスタイルをつかんでもらうために全体を見せるわね」と、不敵な笑みを浮かべながら踊り始めます。まさにそこにはロマ族の女性が立ち現れて来るようです。

   


Yvette Chauvire Pour L Exemple D Delouche 4 3 1500 - YouTube

 

 稽古場の丸い窓が、いつの時代も踊り手たちを見守っているように感じます。

 

注:ロマ族とは、バレエ作品の中では「ジプシー」という言葉で表現することが多いのですが、現在は放送禁止用語とのことで「ロマ族」と表記しました。