Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

第三回バレエ・トラディション公演記録✨

 

 

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 プロデューサー:田北志のぶ(キエフ・バレエ団元リーディング・ソリスト

               ウクライナ功労芸術家)

 芸術監督:アラ・ラーゴダ(ウクライナ人民芸術家 

              キエフ・バレエ団バレエミストレス)

 アドヴァイザー:薄井憲二(舞踊家 バレエ史研究家)

 ゲスト・プリンシパル:イーゴリ・コルプ

           (ロシア、マリンスキー劇場バレエ団プリンシパル) 

 制作:Spring of Arts (土井由希子 田北志のぶ)

 

 【プログラム】

 第一部

 1、Nostalgia 音楽:ウラディーミル・マルティノフ 振付:笹原進一

 

 2、『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ

   音楽:セルゲイ・プロコフィエフ 振付:レオニード・ラヴロフスキー 

   初演:1940年 ソ連 キーロフ・バレエ団(当時レニングラード

 

 3、『海賊』よりオダリスクのパ・ド・トロワと花園の場

   音楽:アドルフ・アダン チェーザレ・プーニ レオ・ドリーブ

   原振付:マリウス・プティパ

   プティパ版初演:1868年 帝政ロシア マリンスキー劇場

 

 第二部 『シェヘラザード』全幕

   音楽:ニコライ・リムスキ=コルサコフ

   原振付:ミハイル・フォーキン

   初演:1910年 パリ・オペラ座 ディアギレフのバレエ・リュス

 

 2017年3月9日木曜日 大井町 きゅりあん大ホールにて所見

 

 昨年、20年以上にわたりリーディング・ソリストを勤め上げたウクライナ国立オペラ・バレエ劇場(キエフ・バレエ団)を退団し、日本に本格的に活動拠点を移した田北志のぶ。田北自身が、プロデューサーとして企画し、主演する座長公演第三弾を拝見。

 

 2016年9月に開催された第二回公演に私自身も出演したため、個人的な感情を少し整理し、客観的に公演を記録するには、少し時間が必要だった。

 この文章は、批評ではない。このプロジェクトのサポーターであり、舞台に立つ側であり、バレエ史屋であり、一観客という私のいくつかの視点から見て、この公演を記録する試みととらえていただきたい。

 

 プログラム編成は、ネオクラシックスタイルの笹原進一振付作品『ノスタルジア』で幕開け。ソ連時代を代表する名作『ロミオとジュリエット』(1940年初演)、そして、「バレエ」という言葉を聞いて誰もが想像するような帝政ロシア時代(19世紀末)の名作『海賊』(改訂版1868年初演)からの抜粋、そして、20世紀初頭に新しいバレエにおける表現世界を求めた舞踊ドラマ『シェヘラザード』全幕という流れ。今回プロデューサー田北志のぶがこの作品を果敢にも取り入れたことに心から拍手を送りたい。

 

 バレエ史屋としては、プログラムの2番目に登場するラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』と最後の演目の『シェヘラザード』について、くどいくらい書きたい気持ちで溢れている。しかし、ここは冷静に、観客の一人として、プログラム通りに話を進めてゆこう。

 

 オープニングの笹原進一振付『ノスタルジア』にも思い入れは強い。バレエ史的なジャンルでとらえると、「ネオクラシックスタイル」に入ると考えられる。1930年代以降に、ジョージ・バランシンがN.Yを拠点に展開した、新しいスタイルのバレエである。バレエファンになじみのあるものとしては、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』などで、トーシューズで踊るが、衣装はクラシックの定番チュチュではなく、シュミーズのような身体のラインを見せるものが多い。ほかに『ウェストサイド物語』の振付で有名なジェローム・ロビンスなどもネオクラシックのジャンルの振付家に入れても良いと考えられる。

 笹原の場合は、バランシン的な純粋なムーブメントで音楽の質感を表現することに加えて、ロビンスやアントニー・チューダーのような抒情的なモチーフや人々の心のありようを限りなくシンプルな動きの中に染み込ませて行く手法と思われる。

 ステップ自体は極めてシンプルだが、そのステップとステップのつながり方に特徴がある。ムーブメントがシンプルなだけに、ダンサー自身の日常や心のありようがまざまざとあぶり出される。かなりダンサー泣かせの作品と言えるだろう。

 

 『ノスタルジア』という題名の通り、ウラディーミル・マルティノフの美しい旋律とリズムによって、まるで時を刻むかのように人々の人生の点と線の世界が繰り広げられる。現在の時間と過去の時間が錯綜するように、観客一人一人の懐かしい風景とダンスが共鳴するかのようだ。

 今回出演した土井由希子と石黒善大、平尾麻実と檜山和久の二組のデュエットと四人のアンサンブル~大溝ちあき、小林翔子、高浦美和子、前澤鮎美は、振付家のコンセプトを真摯に受け止めて表現しようとしていた。常設のバレエ団メンバーではなく、プロジェクトで集まるダンサーなので、リハーサル時間にも限りがあり、振付家の意図をどのように表現し、まとめ上げてゆくかはそれぞれの力量に任される。

 作品というのは、再演を重ねるごとにその作品自体に命が芽生え、振付家の手から離れてゆくことによって、成熟していくものである。この作品を初演で見られたことに喜びを感じるとともに、また同じダンサーでも違うダンサーでも、再演されることを強く願う。

 過去に笹原が創作した作品を白ワインやスパークリングワインに例えるならば、今回の『ノスタルジア』は、まるでボルドーのような深みのある赤ワイン。空気に触れて、味わいを増すように、時間をかけて楽しめる作品と言える。

 

 次に座長田北志のぶとゲストアーティスト、イーゴリ・コルプによる『ロミオとジュリエット』の名場面バルコニーのパ・ド・ドゥ。日本でなじみのあるバレエ『ロミオとジュリエット』は、主に英国スタイルのケネス・マクミランの振付によるものが主流だろうが、 今回の振付は、ソ連時代を代表する振付家レオニード・ラヴロフスキーによるもの。

 社会主義リアリスムのバレエと言われることもある。日本人でこの振付の『ロミオとジュリエット』を踊れるバレリーナもそう多くはない。

 個人的に、私が10歳の時に初めて見た『ロミオとジュリエット』(映画)がこの振付で、ソ連バレエの名花ガリーナ・ウラーノワが演じるものだった。

 田北が水色のネグリジェ風の衣装で登場し、踊る姿を見ると、そこに連綿と受け継がれるロシアバレエの伝統を強く感じる。

 「このしぐさはウラーノワを思わせる!」と思うところが何度も出てきた。特に腕の動き、上半身の動きに特徴が見受けられる。もちろん、恵まれたラインの美しい身体なので、洗練されたムーブメントの繊細さによって、ジュリエットの初恋に心震わす感情表現が身体全身から見える。

 好みもあると思うが、どんなスタイルにも伝統がある。田北はソ連時代から、バレエ教師を通じて代々受け継がれているロシアスタイルの表現を身体全体で引き受け、この舞台にその世界観を広げてくれた。

 このラヴロフスキー版が誕生したのは、1940年(第二次大戦前!)で、まだソ連時代のキーロフ・バレエ団(現マリンスキー・バレエ団)で初演された。作曲家セルゲイ・プロコフィエフも台本にかかわり、振付と音楽が同時進行で作られたバレエである。ゆえに、音楽とムーブメントの調和が見事である。

 豆知識としては、プロコフィエフは1935年の時点では、このバレエのラストシーンをハッピーエンドで終わらせたかったという。しかし、それはシェークスピアの戯曲に反するということで、却下されたとか。改めて組曲を聞いてみると、プロコフィエフが「ハッピーエンド」にしたかった音色を感じることができるかもしれない。

 

 そして、第一部最後に登場するのが、帝政ロシア時代に作られたバレエの巨匠マリウス・プティパ振付による『海賊』第三幕からオダリスクのパ・ド・トロワと花園の場。華やかな女性たちによるクラシック作品の世界。

 『眠れる森の美女』や『白鳥の湖』同様に、身体のポジションの正確さ、角度、特にロシアの場合は、上体と下半身のコーディネーションというクラシックの基礎の技法と型をしっかりと身に付けたうえで、音楽的に踊らなければならない。若手ダンサーが身に付けるべき古典の作法が詰まっている。

 プロダンサーともなれば、さまざまなスタイルの作品に適応する身体の感覚が必要だ。しかし、まずは若い時期にしっかりとした古典の基礎を身に付け、そこを基盤に表現の可能性を広げるのがふさわしいと思う。

 

 今回オーディションで選ばれたダンサーたちにとっては、またとない貴重な経験となったことだろう。私自身、14歳で『バヤデール(ロシアではバヤデルカ)』の「影の王国」の群舞(コールド)を踊ったことが、人生の大きな財産になっている。

 ソリストとして、ヴァリエーションを踊ることを夢には見たものの、群舞を踊ることがどれほど大変なことかを、若い時代に身体に叩き込まれた経験は今も身体に染み込んでいる。 コールドバレエと言えば「一糸乱れぬ」という表現を求めて、稽古の厳しさは想像を絶したが、その経験があってこそ、主役を踊ることになった時に、作品の調和を実現できるのだと思う。

 この「花園」の場を選んだ田北の思いも、コールドを踊ることの意味をダンサー一人一人に感じてほしかったからではなかろうか。例えば、パリ・オペラ座であっても、ロシアのマリンスキー・バレエ団であっても、バレエ学校を卒業して、バレエ団に入団するとはじめはコールド・バレエからである。ここを通過してこそ、プリンシパルへの道が拓かれるわけだ。

 古典作品を踊ることは、今の時代には非常に困難なことなのかもしれないと感じることがある。それは古典作品の物語が、あまりにも現代に生きる私たちにとって現実離れしているということも理由の一つかもしれない。

 これは、日本のバレエ界の問題だけではなく、今年のローザンヌバレエコンクールを見ても、現代的な作品よりも古典作品の理解が、現代のダンサーには難しいかったように感じられた。

 クラシックの「型」や「様式」の継承が不十分な感じを覚える。歌舞伎や能同様で、バレエも「型」や「様式」を自然に振る舞えるように身に付けるには、とにかく時間がかかる。残念ながら技術の質は上がっているのに、なぜかクラシックスタイルの作品で、心動かされるダンサーが減りつつあるように感じるはなぜだろうか。

 

 以前、バレエ史の大家薄井憲二先生のお話しをうかがったことがある。薄井先生は、ご自身も舞踊家として活躍された方で、日本バレエの生き字引である。

 「ダンサーの訓練はほぼ、9割、8割が体育。でもね、あとの1割、2割で芸術家になれるかどうかが決まる」という言葉が心に刻まれている。まだまだ日本は、どのジャンルにおいても「プロのダンサーになる」ことが難しい。田北志のぶという世界で活躍をしてきた大先輩やバレエ団所属のプロで活躍するダンサーの踊りや舞台への向き合い方に触れて、成長する姿を見せてほしい。それこそがこのプロジェクトの意義だと考える。

 

 さて、第二部のクライマックス。ミハイル・フォーキン振付『シェヘラザード』。フォーキンって誰?という感じかもしれないが、彼の代表作『瀕死の白鳥』はご存知の方も多いだろう。

 この作品が産まれた(パリ・オペラ座での初演)のは、1910年。なんと100年以上前の作品で、パリの観客を圧倒した作品です。音楽がニコライ・リムスキー=コルサコフで、舞踊ドラマというスタイル。踊りだけではなく、演劇的な要素も強く、ただ踊るだけでは表現しきれない作品。迫力のある群舞のエネルギー溢れる壮大なスペクタクルだった。 

 この作品も第一部の『海賊』同様、ハーレムの世界を古典作品とは違う手法で、よりリアルに描き出している。一般的には、「官能的な」という表現がされることが多いが、私が今回田北のディレクションで演出された『シェヘラザード』を見た率直な感想としては、

 <舞踊ドラマ『シェヘラザード』は、単なるハーレムの官能美を描いた世界ではない。そこに繰り広げられるのは、力による「支配」に対して、愛による「自由」を貫いた崇高な女性の物語である。>

 それは、振付家フォーキン自身が、古い体制のバレエ(プティパ大先生の世界)に対して、新しいバレエを主張した姿にも映る。

 田北は寵姫ゾベイダを演じることなく、彼女自身の身体の内側からあふれ出る表現で、ゾベイダという女性の人生を生き切っているかのようだった。イーゴリ・コルプは、「奴隷」という身分に貶められてもなお気高く、ゾベイダの愛に応える。

 ヴァイオリンの旋律が、ゾベイダの心の内を語るように耳に届いてくる。その細く長く続く旋律と田北のしなやかな姿態が一つになる。

  音楽の高まりとともに、群舞の波のように押し寄せるムーブメントが舞台奥から迫ってくる。音楽とムーブメントが一体化し、音楽が極彩色を帯びて、視覚化されるようだった。

 まさか、1910年6月4日のパリ・オペラ座でこの作品を目の当たりにした観衆と同じ興奮と感動を2017年の東京で味わえるとは!  

 このドラマを引き立てたシャリアール(スルタン役)の堤淳、シャフゼーマン(スルタンの弟)の桝竹眞也、宦官長の浅井永希があってこその物語展開。『シェヘラザード』は音楽と舞踊と芝居の三位一体の名作である。その全幕上演は、大げさかもしれないが、日本のバレエ史の大きなトピックになってもいいのではないだろうか。

 

 「日本のバレエ界には、ディアギレフ以後がない」と語ったのは新国立劇場の前芸術監督兼英国バーミンガムロイヤルバレエ団芸術監督のデヴィド・ビントレーの言葉で、私自身がインタビューした時の言葉。ビントレーも新国立バレエ団で、ディアギレフのストラヴィンスキーのバレエプログラム(『火の鳥』、『アポロ』、『結婚』のトリプルビル)で公演を行った。日本のバレエ界の前進のためにも、まずは、20世紀初頭に生まれた作品を整理することは大事なことだと考える。

 田北志のぶのプロデューサーとして、今後このプロジェクトをどう展開するか期待するところである。そして、田北自身が踊ることにより、後進に対して「プロのダンサーとは何か」ということを示しているのである。古典の継承を軸として、日本と海外と両方に通じる人材育成、そして新たな挑戦に向かってほしいと強く願っている。

 

文責:池田愛子(バレエ史研究)

 

バレエ史弁士、ストレッチ―トレーナー、ちょっとだけダンサー~2016年雑感✨

★2016年、新しい扉を開いて★

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2016年もそろそろ幕引き。

あ~年々、一年の速度が加速する感じがします。

そして、年を取るのに反比例するように日々充実度が増しています。

それって、とてもありがたいことですね。

 

今年をざらっと振り返って、昨年取得したストレッチトレーナーの

資格を活かして、私を信頼してくださるクライアントさんが少しずつ増えました。

そして、クライアントさんお一人お一人の身体が、本当にたくさんのことを教えて下さるということが、どれほど生きた学びになるかということも深く思い知る日々。

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 上のへんてこりんな骸骨はスケル子さんという私の解剖学のお友達です。学んだ解剖学は、とても重要。でも、もっと重要なのが人の身体に触れること。

そして、人の身体は十人十色。解剖図はあくまでも理想形の身体。

 一人の人が使い込んできた身体は、その人の歴史を語ってくれます。「痛み」や「不具合」がどこから来ているのか、ということは、その方の身体からしかわからないのです。

 

 もう一つの私のライフワークであるバレエ史。今年の私の中でのバレエ史へのアプローチの変化があります。

 心のどこかにあった「バレエ史なんて知らなくても踊れる」とか

「バレエ史なんかなんの役にも立たない」って、実は私自身が思い込んでいたところがありました。

 でも、7月に友人のダンサー今村よし子さんが背中を思い切り押してくださったおかげで、渋谷のお店Li-Poさんでトークイベントが実現。お客様も20人以上いらしてくださりました。娘が題字を書いてくれたフライヤー(今村さん作成)もとても気に入っていて、母娘の初コラボもできました。

 

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 そして、何よりも「バレエ史上に生きた生身の人間としての舞踊家、振付家」に、改めて出逢えて本当に嬉しかったのです。

 絵画や版画に描かれた、または、写真として写された二次元の人物たちが、呼吸をし、血の通う生身の身体を持って生きていたということを私自身が、実感し理解したことが、素晴らしい出来事でした。この経験が、次の私のバレエ史との関わり方を導いてくれたのです。

 こちらのバレエ史紙芝居は、私の特製です(笑)

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 来年は新しい場所で、この紙芝居を使ってバレエ史を語ることができることになりました。古の遠い土地に生きた人たちのことを、お伝えすることができる悦びを噛みしめています。

 

 特に、日本にバレエ文化を根付かせた先人たちの仕事に触れることは、

ある意味、覚悟のいるチャレンジでした。まだまだ、未完な部分であります。

戦後間もない、希望も何も失った日本という国で、「バレエ」という西洋文化が産んだ

舞踊芸術の基礎を固め、人材を育成しようとしたロシア人バレリーナ、エリアナ・パブロバとオリガ・サファイアのこのお二人への敬意を抱き続けて、今後も追い続けていきたいテーマの一つです。

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 今は、しっかりとバレエを志す方たちや指導者の方たちに、「バレエ史を学ぶ意義」をお伝えできると確信しています。歴史上の人物たちが、ある意味「成功物語」として描かれている背景には、さまざまな人々の苦悩や努力があったのです。そのことを知ることは、今の時代に生きる私たちが直面する難しい状況を乗り越えるヒント、知恵がたくさん詰まっているということを知ることなのです。

 おそらく、歴史に残っている事実は不運によって誕生したことの方が大きいように思います。

 皮肉にも偉大な芸術作品と言うのは、困難な時代、環境で生まれることが多いのだと歴史は教えてくれています。

 

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 ↑こちらのバレリーナは、1830年代にヨーロッパを魅了したバレリーナの一人マリー・タリオーニです。彼女のお父様がバレエ教師で振付家のフィリッポ・タリオーニで、有名なバレエ作品『ラ・シルフィード』の生みの親です。

 なぜフィリッポは、娘を「妖精」に仕上げたのでしょうか。それは、自分の娘があまりにも無表情で表現力にかける性質だったことから、『非人間的な存在」である「妖精」として娘を仕上げたのです。その「妖精らしさ」をより表現するために、「つま先で立つ」訓練を徹底的に行ったと言われています。

 その他にも、彼女の身体は非常にバレエには不向きで、猫背で手足が長すぎるというのがとても目立ったようです。そこで手を交差させて手の長さが目立たないようなポーズを考えたりしたのです。 

 このエピソードを一つとっても、今ではバレエ的な美として当たり前のことが、時代が変われば「欠点」だったこともあるのです。いつの時代でも、マイナス面をいかにプラスに変換するかということを人々は考えて生きてきたという証と言えるでしょう。

 

 最後に、ダンサーとして。私自身は、自分の中で「現役」は遥か彼方に引退しているつもりです。それは、26歳の時に、フランスの舞台で、創作作品を二作品踊ったのを最後に、自分の中では線引きをしていたはず。

 でも、今年は、元キエフバレエ団のリーディングソリストをされていた田北志のぶさんの企画公演『バレエ・トラディションVol.2』の中で『眠れる森の美女』の第三幕の貴族役で出演してしまいました。それは、50歳前にちゃんとしたプロフェッショナルのバレエ公演の舞台には立ちたいという密かな野望があったから(笑)トーシューズも履かないし、チュチュも着ないけど、動きそのものにダンサーの質が出るものと感じる役柄の一つだと信じていましたし、実際、本当に針金の入ったパニエを着て踊ることは簡単なことではないことを、身体を通して思い知ることができました。また、アンサンブルとフォーメーションは一夜にはならず、ということも痛感。そして、チャイコフスキーの音楽の偉大さも思い知るのでした。

 

 今年のさまざまな活動を通じて、私自身の中に湧き上がってきた「私とは何か?」という深い問いへのある答え。それは、「私は<からだ界>の人」だということ。

 そこのベースがある限り、トレーナーもバレエ史も身体を使うパフォーマンスも私の中では違和感のない行為。

 その第一弾は、おそらく来年の3月に一つの形となるでしょう。茂谷さやかさんという友人が、また私を巻き込んでくれました。彼女との出会いも不思議。私がダンスワークと言う雑誌に寄稿した「バオソル」に関する文章を読んで、私が受付をしている佐藤健司先生のバオソルを受講しに来てくれたのがきっかけ。

 そこから、元ピナ・バウシュダンサーだった市田京美さんのWSをご一緒したり、彼女のご自宅が近かったことから私が毎週通っている笹原進一先生のバレエスタジオをご紹介し、彼女も受講するようになった。

 しばらく、お互い違う方向で身体との向き合い方を模索しつつ、でも、感性の向かう先に見える風景は、もしかしたら似ていたのかもしれない。

 彼女の書いた戯曲で「踊り子」役を頂いた。ある意味、空間が狭いので、ひたすら日常の稽古をする踊り子のムーブメントでもごまかしがきかないので、ますますの精進が必要です。より身体の細部への意識を高めて臨みたいと思っています。

 

 最後に、2016年もたくさんの素晴らしい出逢いに恵まれました。どちらかというと受け身な感じでいろんなことに関わっているところがあります。でも、いまはその自分の在りようが自然で、ある出逢いによって、何か違う世界へ導かれる悦びを感じます。

 来年もまた素敵な巡り合わせがあるでしょう。皆様への感謝をこめて、ここに記させていただきました。

 

 

 

舞踊史トークイベント終了@渋谷Li-Po

亡霊になる前に

 

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 去る7月2日土曜19時より、渋谷の素敵なスペースで舞踊史のイベントを初開催させていただきました。

 今までは、友人の主催するバレエスタジオの子どもたちやバレエセミナーなどで、小中高生を対象にお話しする機会には恵まれていましたが、このたび大人の方、しかもかなりディープな専門性の高い大人の方たちにお集まりいただき、トークをさせていただきました。

 主催はコンテンポラリーダンサーの今村よし子さんで、まあ、私のように自分ではなかなか主体的にイベントを企画しようなどと思わない人間をすっかり持ち上げてくださり、場所まで探してくださりという次第で開催の運びとなりました。

 偶然にも開催場所の渋谷のLi-Poさんというお店のオーナーさんと札幌の出身高校が一緒というご縁もあって、「私なんぞがトークイベントね~」とは思いつつも、「この場所ならやってみよう」という「気」が起きたわけです😊

 

 開催場所のお店の当日客入れ前の雰囲気はこんな感じ。

 

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 そして、テーブルの上に自由にご覧いただけるように資料をご用意しました。

私個人の持ち物なので、できるだけ実物に触れてもらうのが良いかと、子どもたち

を対象にする時にもいつもご用意しています。

 洋書も多いのですが、わからなくても見て触ってって、結構大事だと勝手に思ってるんです。なかなか、この資料たち人気者でした☆彡

 

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 あとは、秘密兵器のバレエ史紙芝居wwまあ、人数が多いとちょっと使い勝手は悪いのですが、個人的にこのスタイルを発展できればと考えています。

 

 

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 私としては今回限りのトークイベントと考えていたので、まずは第一部でバレエ史展望と言うことで、ルネサンスから20世紀初頭のバレエ・リュスあたりまでざっくりと俯瞰したいと思いまとめてみました。

 そして、第二部には今まで立ち入らなかった日本のバレエ史の部分に果敢にも(笑)取り組んだみました。

 

 日本のバレエ文化に影響を与えた三人のロシア人女性がいました(第二次大戦前)。ご存知の方も多いかもしれませんが、アンナ・パヴロワ。彼女は世界のバレエ文化に影響を与えたと言ってもいいでしょう。もし、アンナ・パヴロワがいなかったら、世界のバレエ地図も随分様変わりするかもしれません。

 

 そして、二人のパヴロワ。エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア。「あれ?パヴロワじゃないじゃない?」って思う方いらっしゃると思いますが、二人とも本名は「パヴロワ」なのですが、アンナと混同されないように名前を変えたとのことです。

 エリアナは、「アンナの従姉妹」などという偽情報もあったようです。ただ、それによって逆に宣伝的には良かった部分もあったとも想像できます。

 この二人がいなければ今の日本のバレエ界は成立していなかったかもしれないというほどのバレエ指導者です。

 

 エリアナさんに関しては、七里ガ浜に記念館があり、最近は川島京子さんと言う方が素晴らしい研究書を出してくださったので、またゆっくりと私の方では書かせていただきたいと思っています。

 心残りはオリガ・サファイアについて、もう少しちゃんとお話ししたかったなという

ことで、もう終わってしまったことなのだからいいだろうとも思うんですが、なんだか成仏できず亡霊になりそうなので、やはり書いておこうとブログを久しぶりに書いている次第。

 ある参加者の方に「愛子さんはオリガに好感をお持ちなのですね」というご感想を頂きました。ある意味図星です。エリアナさんよりは、オリガさんにたぶん肌感覚として惹かれている。

 私とオリガさんの出会いは、昔々バレエを札幌で習っていたころに母が求めてくれた一冊の本「バレエを志す若い人たちへ」というオリガさんの著作でした。残念ながらこの本自体は私の手元に残ってはいないのですが、当時小学校高学年の私は、この本を読んで感じたことは、「バレエの道とは険しいもので、簡単じゃない」ということで、「プロになるとは並大抵の努力では無理だ」と子ども心に受け止めた記憶があります。

 

www.kagakushoin.com

 

 そして、オリガさんに親近感を持つ別の理由としては、同郷のバレエ教師であった佐藤俊子さんが、オリガさんの最後のお弟子さんで、英文学者としても教鞭をとられつつ、東京=札幌間を何年も往復して、オリガさんの指導を受けていたということ。そして、同郷でありながら生前に佐藤先生にお目にかかれなかったという後悔があることです。

 佐藤先生は、英文学者、バレエ教師、ダンサーそして、母と言う一家庭人としての顔を持つ方でした。私にとっては鏡のような存在の佐藤先生に生前お目にかかって、いろいろとお話を伺っておきたかったと本当に思います。

 でも、神様は親切です。これはなんでしょうか。佐藤先生の筆跡です。私が今回のトークのために取り寄せた「北国からのバレリーナ」という佐藤先生の著作の見開きに書かれたものです。この本はすでに絶版になっているのですが、私の元にこの古本が届いたのも何かの縁と思わざるを得ませんでした。

 

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 この本は、佐藤先生がオリガさんと約束した「あなた、私のこと書きますね」と言う言葉を実現した本です。

 歴史屋としては、まるで考古学者が探していた壺の破片を見つけた時のような歓喜

覚える筆跡です。「この尾崎宏次さんて誰なんだろう」と素朴な疑問は、この本を読み進める内にわかってきました。

 尾崎さんとは、1936年にオリガさんが来日して東宝と契約し日劇でバレエを指導し始めて以来、日劇ダンシングチーム(NDT)の公演を見て、文章を書いて生きた都新聞(現在の東京新聞)の記者の方でした。

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 この本を読めば、オリガ・サファイアと言う人がどういう人だったのか。当時の日ソ関係、外交官の夫清水威久との国際結婚。宝塚の産みの親小林一三とオリガ・サファイアとの出逢い。日劇での秦豊吉のオリガとバレエ芸術の庇護などについてよく理解できますし、日本のバレエ文化への東宝大映の貢献が伺えます。

 そして、日本初の職業ダンサーとしてのNDTがオリガさんの指導を受けて、どのように成長していったかということが良くわかります。とにかく、「バレエを習得するというのは修道院のようなもので、楽しいとかそういうものではない」というオリガさんの考えのもとに、かなり厳しいレッスンだったと想像できます。オリガさんが第一期生の中で一番目をかけていたのは、松山バレエ団の創始者の松山樹子さんで、彼女のことは「外国に行っても通用する身体の条件」とも仰ってます。

 この本一つとっても「歴史を語れる」ということを私は感じるのです。

 

 あるトークイベント参加者からのご質問が後日ありました。

 「きびしいオリガ先生が指導したということはNDTのダンスは本格的なものだったのでしょうか」というものです。

 NDTの当時の公演の様子がどこかに映像として残っていれば見てみたいものですが、残念ながらそれは簡単ではありません。

 ただ、この本の中に、先に登場した記者の尾崎さんが書かれた文章が引用されていまして、それがなかなか的を得ていると思うのです。

 時は、第二次世界大戦勃発の年、1939年の公演「コーカサスの捕虜」というオリガさんの振付作品についての尾崎さんの記事です。

 ただし、あくまでも「日劇のバレエチーム」がショーのグループとは別に訓練されていたようなので、NDT全体として評価できるかどうかは難しいところですが、「バレエチーム」に関しては、「ボーイズ(エリアナ・パブロバの内弟子でもあった東勇作さんを含む)」も十分な訓練を受けていたことがうかがえる文章です。

 1939年、オリガが日劇就任して3年目の作品「コーカサスの捕虜」に ついての尾崎さんの評には、「バレエチームとボーイズが近来ない緊張した場面を醸成したいた」 とバレエ団の成長を褒め、 オリガの振付については 「サファイアの振付には舞台に雰囲気を作ることと共に 技術的に注目されるべきものが習得されていた。 サファイアの正確なテクニシャンとして(腕のアクセントに固い点はあるが)現在の洋舞界では注目に値する人だ」と評されています。

 この文章の中の<テクニシャン>という表現について、のちに夫君の清水さんが自伝の中で、少し反論するような文章を書いていますが、 この時点での尾崎氏の批評は、私自身踊る側からしても 的を得た批評だと考えられます。

 おそらく、重要なのは<テクニシャン>ということよりも その前の形容詞<正確な>かと考えられます。 それまでのバレエが<正確な技術の基礎>が怪しかったことへの 示唆ととらえるべきかと思うのです。そして、腕の表現に対する言及も踊る立場のものから しても、非常に言い得て妙という感じがします。

 ガリーナ・ウラーノワの『瀕死の白鳥』をここで見たくなりました。ウラーノワのお母様のロマーノワ先生が、オリガさんのレーニングラード時代の先生のお一人でした。オリガさんの踊った『瀕死の白鳥』は、もう一人のヴィクトル・セミョーノフ先生がアンナ・パヴロワの稽古を見て、その直伝と聞いています。

 でも、なんとなく少しウラーノワに似ていたのではないか、と想像しています。特に「腕のアクセント」という言葉からです。

 

www.youtube.com

  

 

 

 オリガさんよりも先に日本に入ってバレエ芸術を日本の文化の中に上手く浸透させたエリアナさんに対する評価もさまざまで、「アカデミックな専門教育を受けていなかった」ということが良く言われます。

 ただ、オリガさんのアカデミックなバレエ教育は、日本人の性質にはもしかすると馴染まず、エリアナさんの「あくまでも芸事としてのバレエ」の方が、伝授されやすかったとういうことは言えると思います。

 それが良い、悪いということではなく、私の中の結論としては、この二人のエリアナとオリガと言うロシア人女性が人生をかけて私たちの国にバレエ文化を移植してくださったことに対し、深い感謝の念を抱くばかりです。

 タイムリーな話題としては、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルに高田茜さんと平野亮一さんという二人の日本人ダンサーが昇格しました。

 少し調べてみましたら、高田さんの先生の高橋洋美先生は、松尾明美さんという方で、松尾さんは、オリガ・サファイア日劇バレエチームの第一期生の一人でした。

 オリガさんの植えた小さな種が世界で大きな花となって咲いていることを、天国のオリガさんとそのオリガさんの心を後世に伝えようとした佐藤先生にお伝えしたいと強く願うこの頃です。

熊本に物資を届けたい方へ!

確実に必要なものを届けるために☆彡

確実に熊本に物資を届けたい方は、

こちらの福岡の池田建設さんにアマゾン、楽天から

送るのが良いと思います。

私も、第一弾送りました。

必要な物資は、その都度変わりますが、とにかく

九州内に物資が不足しているとのことですから、

水、保存食(缶詰、レトルト製品)などを中心に

送ってほしいと、現地の方からの情報です。

833-0032

福岡県筑後市野町312

池田建設 橋本力也さま宛 

電話 担当
中島 090-8766-2888
板橋 090-5927-5679

 

最新情報からですが、

★池田建設さん宛の物資郵送は23日必着分を持って

一旦停止とのことです。

また、情報が入り次第お知らせします。

 

4月14日以来、熊本のことが気になって、気になって、

でも、情報がたくさんありすぎて、何をどうしようと

思っていました。

確実に。まずはお金ではなく、物資を届けたかった。

FBで流れてくる、情報、コメントに逐一目を通し、

どの投稿が一番信頼できるか、コメントしている方の言葉などか

判断し、瀬川映太さんのFBのコメント欄に、

「物資を送りたい」ということをしたためた。

そうしましたら、池田建設さんにちょうどものを届けてきたという

柴田真由美さんからお返事いただき、「送ってほしい」とのことで、

すぐにアマゾンから、水、レトルトカレー、コーンスープ缶、

女子用品を送りました。

オムツなども必要で、できるだけ、サイズなど幅広い方が良いと思います。

女子用品も種類が多めが良いでしょう。

なるべく応用の幅が広いものが良いかもしれませんね。

赤ちゃんのおしりふきなら、大人の方が身体拭くのにも使えますよね。

そんな感じで、遠隔地からできること、できるだけ現地の人の負荷にならないように

支援したいです。

あと、子どもたちにはお菓子も良いでしょうね。

大人の方も、甘いもの食べると少しは心緩むでしょうし。

そんな感じで、とにかく、東京からでもできること考えて

行きましょう!

 最新の情報は刻々と変化しますので、

私のFBページも確認して頂けると嬉しいです。

瀬川映太さんからの情報や池田建設さんの管理責任者の方とも

連絡が取れるようになったので、最新情報は私のFBページでお願いします。

 

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モフセン・マフマルバフ監督『独裁者と小さな孫』鑑賞記録♬

負の連鎖を断ち切るために。

 今日は、予定が変わりこちらの映画を見てきました。

 

 この映画を見終わって、映画館を出た時に見えた自分の

生きている世界がとても薄っぺらく感じた。

異邦人のような感覚で、新宿の街を歩いていた。

 

dokusaisha.jp

 この映画には夫も関わり、彼がマフマルバフ監督とお話しして帰ってきた日、
活き活きと監督のことを話している姿に、本当に映画が好きなんだな~と思ったものです。

 監督自身が拷問をティーンエイジャーの頃に実際に受けた身でありながら、
その憎しみの対象であるはずの「独裁者」に対し、一種の愛に通じる眼差しを向け続けて、
撮っているという映像美の世界に圧倒された。

 

「負の連鎖を断ち切らなければならない」。


 最後に独裁者が、首を切られ、火あぶりにされそうになった時に、
ある男~彼自身がその目の前の独裁者の命で拷問を受けた身でありながら~が、

独裁者の横に自分の首を並べ、「俺の首を先にやれ」と群衆に向かって叫びます。

「お前たちも皆、独裁者の命令に従って拷問してきただろう。」と。

 

 その言葉には、結婚式を挙げたばかりだと思われるある花嫁が、

車で通行する途中、革命派の兵士に辱めを受け、

その婿もそこにいた人たちも誰も止めに入らなかったことを
弾劾する言葉に通じると感じた。

 

「誰も止めないなんて、最低よ。私を撃ちなさい」。

 

 そして、彼女は身も心もぼろぼろにされて死んでしまう。

 

 もう一人印象に残ったのは娼婦。

昔、その独裁者も関わりを持った女性で、逃亡中に独裁者がその娼家に助けを求めて立ち寄る。


 その独裁者には、高額の懸賞金がかけられていた。
「俺のいる場所を教えれば懸賞金が手に入るが、突き出すか?」というような問いに、

 

 その女は言う。

 

「そんなお金の稼ぎ方をするくらいなら、そもそも娼婦なんてやっていない」と。

この言葉に妙に納得したと同時に、彼女の人間としての品性を感じた。

 

 

 逃亡する独裁者と孫は旅芸人を演じて逃亡し続ける。
 独裁者はギターを弾き、孫は女の子に扮し踊り子を装う。

 

 あるシーンで涙がこみ上げた。

 たき火を囲んで、逃亡中の独裁者と孫、その独裁者の息子夫婦を
殺害し、拷問を受け傷だらけの男たちが、ウォッカを回し飲みするシーン。

 

 拷問した側とされた側。
された側の男たちの会話は、その独裁者に復讐するか、しないかで意見が分かれる。

独裁者は、自分の命令でやってきたこと~実際には手を下していないこと~の実態を
リアルにされた人間たちから聞くことになる。

その独裁者は、自らの手でその自分に反旗を翻した男の拷問による

傷の手当てもし、彼が愛する人の元に帰る手助けもする。

 

 5年間投獄されていた間に、その男の愛する女性は結婚し、

子どもも授かっていた。

彼女への愛だけを心の支えに拷問に耐えてきた男は、自ら命を絶つ。

 

 小さな孫は起きることすべて、ほとんどが残酷な現実を

目の当たりにする。

 

 なんとか二人が、逃亡の終わりを迎えようとした時、

民衆の手に囚われてしまう。まずは、人々は見せしめに小さな孫を

絞首刑にしようとする。

 

 そこで、ある男が止めに入る。

独裁者と一緒にたき火を囲んだ男の一人だ。

自分も拷問を受けたが、「負の連鎖を断ち切らないと」という

意見の男だった。

最後の最後のシーンで、群衆はその独裁者の処刑を止めた男に

問う。

「殺さないなら、どうする?」と斧を持った男の問いに、
勇気あるその男はこたえる。

 

「踊らせろ!」と。

 

 孫は、祖父と逃避行の間に、
さまざまなことを学んだに違いない。

おそらく、普通の同じくらいの年の男の子なら、

知らなくても済むようなことばかりを。

たまたま独裁者の孫だったというだけの

理由で。


 それは、人間としてなのか、為政者としてなのか。
彼は、良い為政者になるだろうか。

そんなことをエンドロールを眺めながら想った。

 

 そして、ひとたび戦争が起きれば、
独裁者がやってきたことも反体制派が
やることも同じことに陥ってゆく人間の弱さと愚かさ。
負の連鎖が循環することになる。

 

 私は、あの独裁者の横に首を置ける人間になれるのか?
と自分に問う。
ものすごく重く、深い、答えのない問いに対して、
映像の力が、どこか悲壮感で終わらせない何かがある。

 

 マフマルバフ監督にもし会えたとしたら、
自分の感じたことをどう伝えるのだろうか。
わからない。

 新宿武蔵野館で29日まで上映中です。

ぜひ、ご覧いただきたい一作です。

 

新春恒例ミハイロフスキーバレエ団公演『ローレンシア(ラウレンシア)』鑑賞♬

ロシア版『水戸黄門』か?はたまた、女性版『スパルタクス』か?

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 昨年に引き続き、2016年もありがたいことに、サンクトペテルブルグにあるミハイロフスキーバレエ団の公演で幕を開けることができました!友人に券を譲っていただいたおかげで、このような良いお席での鑑賞。やはり、席によっても見ごたえが違いますね(*^▽^*)

 さて、今回拝見できた作品は、1939年、ソ連時代に作られた「コレオドラマ(舞踊劇)」という形式の芝居仕立てのバレエです。

 

 招へい元である光藍社の提供によるあらすじはこちらです↓

 

www.youtube.com

 また、公式サイトには、ソ連、ロシアバレエ史の研究者であられる村山久美子さんが解説を書かれているので、そちらもどうぞご覧ください。

 

ミハイロフスキー劇場バレエ2016(旧レニングラード国立バレエ) 光藍社(こうらんしゃ)

 

 このバレエの初演は、1939年3月22日で、当時レニングラード(現サンクトペテルブルグ)のキーロフ劇場でのこと。振付は、キーロフ・バレエ団のソリストでもあったヴァフタング・チャブキアーニで、音楽はA.クレイン、台本がE.マンデルベルグ(劇作家ロペ・デ・ヴェガの原作に基ずく)。

 チャブキアーニは、グルジア出身で、ソ連的英雄像の象徴のような男性舞踊手だった。初演時、自ら主役のフロンドーソも演じ、タイトルロールのローレンシア(ラウレンシア)役は、キーロフバレエ団を代表するバレリーナ、ナタリア・ドゥジンスカヤだった。のちに、ボリショイ劇場プリセツカヤが踊ったものが有名です。

 まずは、チャブキアーニのフロンドーソをどうぞ!

 

www.youtube.com

 それからプリセツカヤのローレンシア(ラウレンシア)☆彡

 

www.youtube.com

 

 物語の主題は、スペインのカスティーリャのある村での農民蜂起で、理不尽な領主(この公演では騎士団長)に対し、村の住人であるローレンシア(ラウレンシア)とその婚約者フロンドーソが農民たちを指揮して、征伐するというもの。物語の展開としては、さしずめソ連版『水戸黄門』のような印象で、悪代官が権力を利用し、お気に入りの娘を自分のものにしようとしたり、横暴な行為に対して、ローレンシアとその婚約者フロンドーソ(水戸黄門のような存在ではないけれど)が、その悪事を裁くというもの。

 第三幕では、緞帳に映像で、ローレンシア(ラウレンシア)たちが領主の城に攻め込むシーンが映し出され革命の雰囲気の臨場感を演出していた。

 民衆を先導するローレンシア(ラウレンシア)は、まるで、ドラクロワの絵に描かれた『民衆を導く自由の女神』。松明を片手に持って、民衆を指揮する勇敢で、りりしく、逞しい姿。音楽の効果も相まって、まるでもう一つのソ連の傑作『スパルタクス』の女性版という印象でもあった。

 今回タイトルロールを演じたイリーナ・ペレン。去年の『白鳥の湖』でも彼女を見たし、彼女のオーロラ姫も見たことがあるが、このローレンシア(ラウレンシア)役が、私の中では、彼女の表現力を最大限に楽しめたものだった。

 やはり、現代女性は強いのか。いや、そもそも女性の本性にある逞しさ、りりしさ、力強さは時空を超えて普遍的なのかもしれない。

 そして、婚約者役のイワン・ワシーリエフ。噂にはかねがね聞いていたが、初の舞台での鑑賞だった。身体全体を使っての表現は、まるで飛び出す絵本のような迫力で、圧倒された。チャブキアーニ的な筋肉質な男性舞踊手で、ジャンプや回転も力強い。このフロンドーソ役としては適役だった。

 ただ、ちょっと気になったのが腰回り、股関節付近の筋肉の塊。この筋肉のコンディションでこのまま、この力技を見せ続けていたら、身体を壊すのではないかしら、などと余計な心配をしてしまいました(;'∀')

 実は、私がこのバレエ団で一番注目しているのが群舞!これは、芸術監督の手腕なのかもしれないけれど、とにかくキャラクターダンス、いわゆる民族舞踊のシーンでの、ダンサーたち一人一人の煌めきがまぶしい。

 舞台のすみずみまで、一人一人のダンサーがキラキラと音楽を紡ぐように踊るさまは、見てて本当にすがすがしい。これぞ、ロシアバレエの底力であり醍醐味!

 この作品は、日本であまり上演されることがないのは残念。内容的には深くないと言えば深くないのですが、ダンサー一人一人の能力が高くないと表現できない作品の一つと言えるでしょう。

 

注:このバレエの『ローレンシア』というタイトル名ですが、私の認識では『ラウレンシア』という読み方なのですが、ロシア語の発音ではどちらが正しいのかわからないので、両方表記しました。読みずらくてごめんなさい。

 

 

 

元祖『ロミオとジュリエット』、ラヴロフスキー版☆彡マリンスキー劇場バレエ団公演

プロコフィエフの作曲とラヴロフスキーの振付が同時進行の妙!

 

 これぞ元祖『ロミオとジュリエット』!マリンスキー劇場バレエ団によるラヴロフスキー版を見て、音楽と動きの見事な融合。そして、ストーリーが音楽と動きの融合によって語られる様をまざまざと見せつけられた気がしました。

 シュツットガルト・バレエ団のジョン・クランコ振付の『ロミオとジュリエット』やロイヤル・バレエ団のケネス・マクミラン振付の『ロミオとジュリエット』も何度も見たけれど、やっぱり本家はレオニード・ラヴロフスキー版だな、と思いました。

 クランコが振付する時に、このラヴロフスキー版のガリーナ・ウラーノワ主演の映像を何度も見て研究した、とカルラ・フラッチが話している映像を見た記憶があります。

 

www.youtube.com

 

www.ivc-tokyo.co.jp

 手前味噌になりますが、こちらのDVDの解説を担当しております(;'∀')

 

 この元祖『ロミオとジュリエット』の後に、新たな演出、振付で作品に息吹を与えたクランコとマクミランの勇気にも拍手を送りたい。

 でもやっぱり、音楽と振付、台本(この台本にもプロコフィエフは関わっている)が同時進行という創作過程のエネルギーを考えると、このラヴロフスキー版の価値は、マリウス・プティパチャイコフスキーの共同作業による『眠れる森の美女』に匹敵するものでしょう。

 マリンスキー劇場(当時はキーロフ劇場)での初演までには紆余曲折がありましたが、1940年にガリーナ・ウラーノワがジュリエットコンスタンティン・セルゲイエフがロミオを演じ、レーニングラードでの初演が実現したのです。

 プロコフィエフは当初、ラストシーンをハッピーエンドで終わらせたいと考えていたようですが、最終的には原作通りの悲劇的結末となったようです。

(ラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』に関しては、またゆっくりと書きたいです。)

 

 そして、今回の公演でのダンサーたちの好演に、「バレエは演劇で、音楽と動きによって登場人物の感情、そして情景までもが語られる」ということを改めて痛感した一日となりました。

 眼を閉じて、どのシーンを思い出しても色あせず、ストーリーが語られるようなのです。出演者すべての心の一体感、アンサンブルの妙、主役だけでは成立しない舞台進行。スターダンサーが素晴らしいバレエ団はたくさんありますが、この隅々までダンサーが個性的に役柄を生きているって、なかなか出会えないことです。

 マリンスキーの舞台は、何度も見ていますが、一番印象に残っている残念な舞台は、1992年(だと記憶)の『くるみ割り人形』でした。第二幕のお菓子の国の場面で、後ろの方に座っているダンサーたちが数名居眠りをしているとも思えるような、気の抜けた様子で座っていたのです。 

 ちょうどソ連邦が崩壊して、ダンサーたちが目標を見失い、チャンスのあるダンサーは、西側のバレエ団に移籍したりする状況がありました。

 1991年にペルミ国立バレエ団の劇場総裁にインタビューした時にも、「ダンサーたちが目標を見失っている現状は否めない」と仰っていました。

 その後、確か2000年くらいだったでしょうか。セルゲイ・ウィハレが1890年の初演版『眠れる森の美女』を復元し、日本でも上演された時でさえ、ある方から「ロシアのバレエダンサーが今後どのように生きていくか路頭に迷っている」というお話を伺ったことがあります。

 その危機の時代を乗り越えて、今のマリンスキーを見てください。ボリショイ・バレエ団が、いろんなスキャンダルに巻き込まれる中、なんとなくロシア・バレエ界の未来展望が見えにくくなっていた時期です。

 「歴史は力なり」でしょうか。ロシア最古のバレエ団のロシア・バレエの誇りを見せていただいたように感じます。

 そして、きっとボリショイ劇場もひと時の歴史の流れの中で、また火の鳥のように甦る日も遠くないと期待したいと思います。

 

 どんな困難な時代にも、ロシアと言う国は、バレエを支えて人材を育むシステムを守ってきているということです。ワガノワバレエ学校もボリショイバレエ学校もほかの地域のバレエ学校もなくならないでしょう。

 もし、これらの学校が亡くなった時、きっとロシア・バレエの本当の危機の時代が

やってくるのだと思います。でも、きっと大丈夫。歴史と伝統はなくならない。

 

 そして、先日マリンスキーの来日メンバーによる記者会見を見ましたら、彼らがしっかりとその伝統とバレエ芸術の本質を受け継いでいることが確認できました。

  

www.youtube.com

 バレエ芸術は総合芸術で、一人のスターダンサーで保てるものではない、ということをダンサーたち自身がしっかりと認識し、それを率いている芸術監督の考え方も明確です。

 そして、そして、そして、この日の公演に、なんとこのバレエ団出身の世界的スターバレリーナのナタリア・マカロワさんが、ご臨席されていたのです!同じ空間と作品をシェアできた興奮とあまりに素晴らしい作品に、久しぶりに感動しすぎてしましました。

 マリンスキー劇場からマカロワさんの75歳のお誕生日プレゼントとのことです。なんと粋な計らいでしょう。 

 

www.japanarts.co.jp

 

 マカロワさんが、どんな思いでこの作品をご覧になられたかと想像すると、なんだか胸が熱くなりました。ソ連時代に国を捨て西側に渡り、ソ連からロシアへの転換期を生きたバレリーナの目に、この作品はどのように映ったのでしょうか。

 2015年12月2日 東京文化会館にて