Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

オンラインパール会のご案内です😊

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愛子作バレエ史紙芝居

パール会とは、バレエ家池田愛子が、2017年より開催している、バレエ史を深く探求する会です。参加者は誰でも参加できます。バレエのことを知らないから、、などという気持ちは必要ありません。

少しでも「面白そう!」と思ったら、覗いてみてください。

大学の授業でもありません。

もちろん、差し上げるテキストなどは、現時点で池田がしっかりと調査したものそ

お配りします。

 

しかし!歴史と言うのは常に変わり続けるものなので、「絶対に正しい」とか「絶対的な事実」ということを教えるようなものではありません。

 

参加者皆さんに、一緒に考えて、いまの時代の自分の身の丈に合った理解をすることで、より芸術の世界への理解を深め、人生を豊かにしようという試みです😊

 

【4月の予定】

4月16日土曜日 14時から16時半 残席2名

4月21日木予備 10時半から13時半 残席4名

4月29日金曜日 11時から13時半  残席3名

 

会費:一律3500円(資料代含む、テキストはデータ配布、振込です)

 

<4月のテーマ>

セルゲイ・ディアギレフと『バレエ・リュス』

20世紀初頭にヨーロッパで巻き起こった芸術運動を中心に。

ヨーロッパで発祥したバレエ芸術が19世紀にロシアに渡り、熟成され、

再度、ヨーロッパにその豊かな舞台芸術の素晴らしさを知らした。

 

バレエは、19世紀以来、オペラよりも少し格下のイメージのある世界を、

時代を先どるアーティストたちとのコラボレーションにより、一大ムーブメントとして、世界に伝播させた。

その中心人物こそ、プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフだったのです!

 

*********************************

 

参加希望者には、オンライン参加のための要項をお送りします。

もし、ご興味ある方は、Mail:Aikosoleil@gmail.com

または、フェイスブックのメッセーンジャーなどでご連絡ください。

https://www.facebook.com/aiko.ikeda.1401/

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愛子作バレエ史紙芝居

パール会とは、バレエ家池田愛子が、2017年より開催している、バレエ史を深く探求する会です。参加者は誰でも参加できます。バレエのことを知らないから、、などという気持ちは必要ありません。

少しでも「面白そう!」と思ったら、覗いてみてください。

大学の授業でもありません。

もちろん、差し上げるテキストなどは、現時点で池田がしっかりと調査したものそ

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しかし!歴史と言うのは常に変わり続けるものなので、「絶対に正しい」とか「絶対的な事実」ということを教えるようなものではありません。

 

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【4月の予定】

4月16日土曜日 14時から16時半 残席2名

4月21日木予備 10時半から13時半 残席4名

4月29日金曜日 11時から13時半  残席3名

 

会費:一律3500円(資料代含む、テキストはデータ配布、振込です)

 

<4月のテーマ>

セルゲイ・ディアギレフと『バレエ・リュス』

20世紀初頭にヨーロッパで巻き起こった芸術運動を中心に。

ヨーロッパで発祥したバレエ芸術が19世紀にロシアに渡り、熟成され、

再度、ヨーロッパにその豊かな舞台芸術の素晴らしさを知らした。

 

バレエは、19世紀以来、オペラよりも少し格下のイメージのある世界を、

時代を先どるアーティストたちとのコラボレーションにより、一大ムーブメントとして、世界に伝播させた。

その中心人物こそ、プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフだったのです!

 

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【4月の予定】

4月16日土曜日 14時から16時半 残席2名

4月21日木予備 10時半から13時半 残席4名

4月29日金曜日 11時から13時半  残席3名

 

会費:一律3500円(資料代含む、テキストはデータ配布、振込です)

 

<4月のテーマ>

セルゲイ・ディアギレフと『バレエ・リュス』

20世紀初頭にヨーロッパで巻き起こった芸術運動を中心に。

ヨーロッパで発祥したバレエ芸術が19世紀にロシアに渡り、熟成され、

再度、ヨーロッパにその豊かな舞台芸術の素晴らしさを知らした。

 

バレエは、19世紀以来、オペラよりも少し格下のイメージのある世界を、

時代を先どるアーティストたちとのコラボレーションにより、一大ムーブメントとして、世界に伝播させた。

その中心人物こそ、プロデューサー、セルゲイ・ディアギレフだったのです!

 

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第五回Melos Dance Experience鑑賞記録

★「書く」をリスタート★

第5回Melos Dance Experience鑑賞記録

 

久々に公演記事を書きたくなった。

昨年3月に、私の文章、というか批評の師であった長谷川六が亡くなった。

20代の前半に出会い、その後、人生のあらゆる場面で影響を受けた恩人だった。

いろんな面をもつ人物であったけれども、私が記録することを望んでくれていた人であった。私は歴史を専門とする。

 

開催される公演も歴史の一部である。その現象を記録することも価値のあることと思っている。

 

★第五回Melos Dance Experience公演鑑賞★

 2022年4月3日日曜日17時開演 川崎アートセンターアルテリオ小劇場にて

 

【プログラム】すべて新作

 

1、Songs of Innocence アンサンブル作品

  音楽:Scala &Kolacny Brothers

  (Originally performed by U2The Cure・The Divinyis・Coldplay)

       振付:笹原進一

  出演:土井由希子、安藤明代、瀧愛美

 

2、一縷の望み~Ichirunonozomi ソロ

  振付・出演:西島数博(ゲストダンサー)

  音楽:Dancing on My Own/Exogenesis:Symphony

 

3、Stay Home デュオ

       音楽:C.O.Raghallaigh & T.Bartlette/Jerome Kern(Piano Brad Mehldau)

                  Ennio Morricone (Piano Philip Asber)

      振付:笹原進一

   出演:土井由希子、八幡顕光(ゲストダンサー)



オープニング

~まどろむような表情のわんこの映像。昔、子どもの頃に練習したことのある、ソナチネソナタピアノ曲

 

観客をリラックスさせ、なごやかな空気の中、開演。

 

Songs of Innocence

 

振付家がこの言葉に何を想ったかは、わからない。

このタイトルの訳語として、

「無垢の時を想う歌」と、私の中に浮かび上がった言葉。

 

スクリーンに、草原を駆ける少女の像が現れる。

何かに向かっているのか、いや、ただひたすらに

前に進んでいる。

 

道なき道を、まっすぐ走る。

風が輝やく。

 

少女はいつしか美しい女性に成長する。

 

彼女の中にいくつかの感情、キャラクターが芽生える。

彼女の中のそれぞれのキャラクターたちが、存在を発揮し、

認め合い、分かち合い、1人の女性の豊かなパーソナリティを形成する。

 

成長は、無垢さを妨げるだろうか。

大人になるにつれ、人は何かを失うのだろうか。

 

いや、無垢さは永遠に、人の魂の根幹としてあり続ける。

 

******************************

 

黒い背景に真っ黒な衣装の三人にダンサーたち。

光だけがそのフォルムをクリアにする。

 

動きのシンプルさは、ダンサーのクオリティを引き出す。

三人それぞれ、古典バレエの基礎が身体に刻まれている。

ダンスは、あらゆる境界を超える。

 

古典の基礎は、ダンサーの身体の血肉である。

しかし、そのダンサーそれぞれがどのようにと関わってきたのか。

それが、そのダンサーの固有のスタイルとなる。

スタイルは個性であり、その人そのもの。

 

振付がシンプルであるがゆえに、土井、安藤、瀧のそれぞれが、

彼女たちの人生の中で、どのようなダンスのプロセスを経験したかがクリアになる。

 

振付の笹原の舞踊経験も作品に反映される。バレエを志したのが、小牧バレエ団の創設者小牧正英の実弟であった菊池唯夫のもとであったと話を聞いたことがある。小牧バレエ団創設以来の伝統を受け継いだバレエ芸術の継承者という私の認識がある。

 

笹原の振付の特徴は、音に対してシンプルなパ。アメリカでのバレエ文化を豊かにしたバランシンやロビンスの影響を感じる。ネオクラシックのスタイルだと理解している。

 

ステップの複雑さを要求しない代わりに、一つ一つの動きにクオリティを求められる作風。ダンサーにとって、すべてをさらけ出す、もっとも難しい「歩く」という動きが、この作品のクオリティの根幹であった。



一縷の望みIchirunonozomi

 

ゲストアーティスト西島数博のソロ。この日のための創作作品。

 

舞台に登場すると、ただその存在の圧倒的な厚さを感じる。

白装束の端麗な佇まい。

 

上半身の表現の豊かさが目を惹く。

 

バレエダンサーとしては、スターダンサーズバレエ団での活躍で一斉を風靡した西島数博。バレエ団時代の記憶としては『ドラゴンクエスト』での雄姿を思い出す。

 

彼のクリエーションである「一縷の望み」は、見ているというより、西島の語る世界の中に一緒にいるような感覚になった。西島のバレエ人生のバックグラウンドを辿りたくなる。

 

西島の動きを見ていて、浮かんだ言葉は「両性具有の美」。独自の世界観を紡ぎだすアーティスト。

 

何かいまの悶々としている世界と西島自身が対峙し、呼応するような演出と見えた。古典バレエの基礎的な言語を元に、動きの多様な言語を駆使しつつ、その言葉を超えて、内面に広がる葛藤、希望、愛、苦悩、、、内面に潜むもろもろの感情、想いが、噴出する。

 

一縷の望みは、この世への静かな叫びか。



Stay Home 

~当たり前が当たり前でなくなる瞬間(とき)~

 

2020年。私たちの何気ない日常は、非日常となった。

「当たり前」が何かということを考えた。それを、世界中が体験した。

 

「いままでこうだった」は、もはや、取り返せない。新しい価値の創造の始まりだった。

 

見えないものから身を守るために、屋内へ人々は閉じこもった。

 

そんな時代の物語。

 

いままでも当たり前だった「2人」なのに。

ずっと同じ部屋の中なのに、何かが変化する。

 

「知っているはず」が、何も知らなかった。

気付いているようで、気付いていなかった。

 

一緒に過ごしていたようで、そうでもなかったことに気づき、

お互いの未知なる部分を発見し、戸惑う2人。

 

時に共感し、時にぶつかる。

得体のしれない不安もおそってくる。先の見えない未来。

 

でも、いつも傍らにいる存在は、変わらない。

平凡さの中にきらめくものがある。

新しい関係性が始まってゆく。

 

笹原作品としては、珍らしく具体的な物語のある作品。

土井演じる女と八幡演じる男の2人の物語。

 

どこにでもいそうなカップルの生活が、2020年以降、目に見えないウィルスにより、お互いの関係性に変化があらわれた様子が、リアルに描写されていた。

 

ちょっとした、動きの繋がりの中で、2人の微妙な感情の変化が、あぶりだされる。音楽の表情が、2人の声のように感じられた。

何気ない日常の動きと古典バレエのパの構成により、日常と非日常のコントラストを感じた。


Melos Dance Experienceに関する詳細は、以下のURLへ

www.melosdance.com



 

 

 

Melos Dance Experience 第二回公演 Stage 3

Melos Dance Experience 第二回公演Stage3鑑賞記録 

公演詳細はこちらへ↓

https://www.melosdance.com/wp/wp-content/themes/melosdance/pdf/A4_meros_stage3_2019_0726N_ol_low.pdf

 

【プロジェクトコンセプト】

STAGE1~STAGE3へ向け段階的に振付家とダンサーにより様々な可能性を生み出していくクリエイション公演。

STAGE1、STAGE2はEXPERIMENT【実験】公演。

STAGE3はEXPERIENCE【体験】公演。

実験段階を経て、質の高い作品創りを目指します。

STAGE1~STAGE3を通して作品の成長をご鑑賞いただける公演企画です。

 

企画・プロデュース:土井由希子 Wellness Arts Studio

2019年11月11日ソワレ公演  於 川崎市アートセンターアルテリオ小劇場

  

今年5月にStage 1 、8月にStage 2という創作のアップデートのプロセスを観客が体験するという試みの公演であるMelos Dance ExperienceのStage 3を昨夜鑑賞した。 

Stage 3ということで、最終段階を鑑賞した。本来はStage1からの創作プロセスを体験するべき公演なので、そこはご理解いただきたい。

 

基本的に裏方体質でリハーサルや創作現場が好きなので、この公演のコンセプト自体に非常に共感する。また、起用されている振付家の三人が、ほぼ同世代で日本のダンスシーンのプロセスの共有があるのではないかと私の勝手な解釈がある。

 

1作目 西島数博振付『トラフィック

音楽:Norah Jones /Joe Hisaishi 他

 

日本の現代を象徴するかのような作品。

開演前から振付者自身である西島が舞台に登場し、ストレッチをしたり、出演ダンサーがおもむろに客席に登場し、座席に座ったり、お互いがすれ違ったりと、観客も知らず知らずのうちに、作品の世界に巻き込まれてゆく。

 

客席の照明が落ちると、観客は舞台の上の世界に吸い込まれてゆく。

現代を生きる群衆のさまざまな人間模様が、そのタイトル通りトラフィックのように交差、衝突、対峙、静止。そこに不安やもつれ、人間の感情の行き来が描写されていた。おそらく、アニメーションやゲームの世界のイメージに近い。 

ムーブメントの動的な印象よりも中心となる人物の静的な動き、一種のスローモーションに感じるような動きが心に残響する。西島数博が所属していたスターダンサーズバレエ団が、バレエに『ドラゴンクエスト』を取り入れたことも思い出す。

 

 

2作目 笹原進一振付『On the Ground』

音楽:J.S.Bach /F.Couperin他

 

息遣いの聞こえる音がまず耳に届いてきた。

この息遣いがこの作品のテーマだと直感した。おそらく、音楽家中村忠の息遣い。

この作品は、振付家笹原進一の心に残る人々へのオマージュだと感じた。

 

男性2人と女性1人がネオ・クラシックのスタイルで繰り広げる世界。

振付はシンプルで奇をてらうような技術はまったくない。形式にとらわれないバレエの言葉でやわらかにつづられ、何かが満ちてゆく感覚を覚えた。

このプロジェクトのプロデューサーで振付家笹原進一の公私ともにパートナーでもある土井由希子、元新国立劇場で活躍し、今はロサンゼルスバレエに在籍する八幡顕光、そして谷桃子バレエ団のプリシパル三木雄馬。それぞれのダンサーの経験値が化学反応を起こすさまを見る。

 

男性二人の間の友情が通奏低音のように響く。地球の鼓動のように。そこに透明感のある女性のムーブメントが二人の友情を象徴するかのように絡み合う。女性はあくまでも、女性という存在よりはもっと象徴的な意味を持つと私には感じられた。

 

そして、なぜか八幡顕光というダンサーの中に小牧バレエ団(現国際バレエアカデミア)の創始者小牧正英の面影を感じたのは気のせいだろうか。振付家笹原進一がバレエを志したのが小牧バレエ団だったから、勝手な想像をしてしまった。

 

3作目 中村恩恵振付『A Pilgrimage』

音楽:「Ryuichi Sakamoto Selections 」より 他

 

キーワードは「巡礼」~タイトルそのもの。やはり、振付家中村恩恵という人が歩んできた舞踊人生をビジュアル化したように感じた。ヨーロッパの薫り。舞台上に並べられた椅子。8人の女性ダンサー。独特な手の所作。シンプルに歩く、立つ、座るというムーブメントがこの世界の中心だと感じた。

 

さまざまなジャンルのアーティストとのコラボレーションを経験している中村恩恵。やはり、彼女のルーツは、キリアンなのかなと。照明、衣装、装置、動きのバランスの妙。そして、この実験的な作品は、彼女自身の「いま」を思うがままに表現しているように感じた。

 

【総論として】

日本の洋舞がこれからどう展開するか。クラシック、モダン、コンテンポラリーの世界が、もう少しつながって行ければと感じるこの頃。その中で、このようなプロジェクトを企画し、実行し続けることは重責であると想像します。

日本の未来の舞踊シーンのためにも継続してもらいたい企画の一つ。「壁のない世界」でそれぞれの舞踊分野のアーティスト同士が尊重し合える世界を開いてほしいと期待して。

 

重力/Note  +51『アビアシオン、サンボルハ Aviacion San Borja』体感

      「前衛」を前に押し出さない平成の「前衛」演劇

昨夜(2017年9月1日防災の日)に、京急本線黄金町にある若葉町WHARFという空間で、重力/Noteによる『アビアシオン、サンボルハ Aviacion ,San Borja』を体感。はじめて降り立つ街というのも楽しい。本当はもう少し早めに行って、街をうろつきたかったのに、お茶を飲む余裕はなかった。

 

着いた時間はもう薄暗かったから、大きな川があって、大きな橋を渡って、伊勢佐木商店街を通って、一応、本屋さんで小屋近くにあるはずの映画館ジャック&ベティの場所を確認。なるほど、なんとも風情がある街並み、どこか懐かしく、横目に「横浜風俗 ミスター ダンディ・ダンディ」というお店を眺めて、会場前に到着。ザ・方向音痴なので会場に着いたら、もう動かないのがいい。

 

空間は、倉庫っぽいともいえる、天井の高い、むき出しのコンクリートの壁。壁、床は白く、表現の場には平均台のようなものがあって、若干の空間の仕切り。その向こうに木目のむき出しの大きなパネル。そして、両隣に赤いバックステージが見える。そこから登場人物が出入りする。

 

口上、演出家<わたし>を具現する牧凌平(1991年生)が「携帯電話、音の出るものの電源を切るように」と。そして、平均台のような横長の台の上に、<わたし>を中心に左側にペルーに移り住んだ祖母<女>(平井光子1982年生)、右側にセキ・サノ<男>(立本夏山1982年生)が三人並んで、不敵な笑みを浮かべて立っている。

私の目線は、三人の足、六つの足から始まり、脚、胴体、顔とそれぞれの動きや表情から、登場人物の年齢やら精神やらを感じ取っているようだ。三人三様の身体とともに、時間と空間を異なるところにシフトする。

戦前戦後にかけてと思われる時代を東京、沖縄、ペルー、ロシアなどを巡る旅を辿り、それぞれのルーツに食い込んでゆく。そして、見る側の人間のルーツへも迫ってくるように感じられた。

 

 

私の中で、このような身体感覚は、どこへ向かうかというと、25年くらい前に見たポーランドの演出家タデウシュ・カントールの「芸術家よ、くたばれ」とか、ヨーゼフ・ボイスの言葉とか、政治的であり、社会批判的であり、「前衛」である姿勢、むき出しの尖った先端であり、体温が低め。

でも、この『アビアシオン サン・ボルハ』は、柔らかく、どこか温かい。それでも、<わたし>の持つ強い時代とのズレ、生きる場とのズレ感が、ここにいる<わたし=イケダアイコ>という存在とその取り巻く環境に重なってくる不思議な感触。

これだね、昨日「不思議な感覚」と感じたこと。もっと「感触」な。そんな感じ。久しぶりに「言葉の演劇」でここまで書いた。

 

登場人物は、消費者金融プロミスの創設者神内良一(1926年8月15日生~2017年6月27日没)、演出家でメキシコ演劇の父と呼ばれた佐野碩(1905年1月14日生~1966年9月29日没)、ロシアの演出家メイエルホリド、俳優で演劇のメソッドを確立したスタニスラフスキー、戯曲作家チェーホフスターリンほか。 

 

今日の夜公演、明日、明後日まで。見てみてください。「前衛、万歳!」なんて言ってみたくなるw公演詳細は、こちら↓

重力/Note – 公演情報と活動の記録

 

原作:神里雄大(1982年生)

構成・演出:鹿島将介(1983年生)

 

 

モンテヴェルディ『オルフェオ』研究会備忘録からのペンタゴン的お茶会とピタゴラス的立ち話☆彡

知的地殻変動という現象

昨日の東京音大でのモンテヴェルディオルフェオ』の勉強会での身体の反応が大変なことになっていた。もちろん、イタリア語もわからないし、ドイツ語もわかないけど、第一部の鈴木信吾先生による『オルフェオ』第五幕の詩の読み方のレクチャー。言葉とアクセント、詩のお話を聞きながら、先生が発話されるイタリア語の詩の言葉自体の音楽性というものに少し近づいてゆく。ルネサンス期における、「詩と音楽と舞踊の融合」という単なる言葉だけで理解していたことに、血と肉が与えられるプロセスを体験した。

 

昨日経験した感覚をすべて言葉にはできないかもしれないけど、とりあえず、言葉として残したいので、ここに記録。

詩と音の構造に、ルネサンス期の考え方、宇宙観、いわゆる生態学的な身体理論のようなものがすべて内包されているということを私の身体が受け止めてゆくのをものすごく感じた。生態学的な身体理論というのは、人間の身体を通して、その理論なり哲学なりが実現されているという感覚の私の表現です。

そして、福島康晴さんのモンテヴェルディの『オルフェオ』の楽譜解説が第二部。『オルフェオ』がどのような環境で生まれたかというお話しから始まり、『オルフェオ』の第五幕での妻を失ったオルフェオとアポロの対話の部分の説明が、私のように音楽を専門に勉強していない人間にもわかりやすかった。

地上に生きるオルフェオは、CHIAVE DI NATURALE(自然な)という旋法で表現され、天界に生きるアポロは、CHIAVE DI B MOLLE(♭)という旋法で表現され、二つの世界が旋法の違いでわかるように作られているとのこと。ここに二つの対立する世界である「天=魂の世界」と「地=欲望の世界」が立ち現れている。そして、福島さん自身がピアノを弾き、歌い、その楽譜を血肉を与えてくれたことは感動的。当時、モンテヴェルディが仕えていたゴンザーガ家の「アカデミア」の様子がどんなものだったか。ちょうど、ルネサンス期イタリアを治めていた各国の国家間のことを調べているところだったの、すべての説明が身体にすっと入ってきた。

どのような空間で演奏されたかによって演出(装置)の規模も変わるし、どのようなマネージメント(この当時はパトロンである貴族が芸術家を庇護していた)の下でその作品が生まれたのであろうか。おそらく、君主たちの中にも相当、当時の学術的な知識、芸術的な素養を身に付けた人たちがいたわけだから、例えば、その作品の仕上がりに対し、君主の意向が反映され、作曲家はそれを取り入れるということもあったでしょう。例えば、1490年のミラノスフォルツァ家の宮廷でジャン・ガレアッツィ・マリア・ヴィスコンティアラゴンのイザベラの結婚する際に上演された、レオナルド・ダ・ヴィンチが総監督を務めた宮廷祝祭『楽園』などの規模がいかほどだったかは、資料に記録されているようです。私は、映像作品(あくまでフィクションとしての復元ですが)となったものを何種類か見たことがあり見ることができますが、かなり大掛かりな舞台転換を含み、視覚的、聴覚的に、観客たちを魅了したことは間違いないでしょう。

 

では、マントヴァのゴンザーガ家がどの程度の規模の宮廷だったかということは、イザベラ・デステがこの家に嫁ぎ、その妹のベアトリスが、ミラノスフォルツァ家に一年後に嫁ぎ、イザベラがその妹の嫁ぎ先の宮廷の華やかさの規模の違いに愕然とするということからも想像できるでしょう。しかし、この時代は戦国時代で「盛者必衰のことわり」の時代で、ミラノの栄光も永遠ではないことも頭に入れておく必要があります。

そのために、「婚姻」という儀礼を通し、各国の君主たちは、それぞれの国がどう生き残ってゆくかを探り続けた、時代的には「平和」とは対極にあった時代です。改めて、一つの作品を考えるときには、その作品が生まれた時代背景、政治的状況、その作家の社会的なポジションを把握することは大事だと再確認できました。

 

そして、第三部は丸山桂介先生の締めの講義で、モンテヴェルディの『オルフェオ』の題材となったギリシャ神話の解説の時間です。ご存知の方も多い、さまざまな芸術作品のテーマとされている「オルフェウスとエウリディーチェ」。そして、そこからルネサンス期にどのようにギリシャ哲学が研究され、芸術作品として応用されたかというお話し。すべてが興味深く、「あ~こういうことを知りたかった!という内容ばかりでした。

とても簡単にはまとめられませんが、この作品の中でモンテヴェルディが何を訴えたかったということの核となるのは、「対立する世界の融合(ハルモニア)」。そこには、プラトン的に二元論という考え方のベースがあります。その考え方をまとめていったのは医者で哲学者のマルシリオ・フィチーノ。ほかにもパラケルススなど医者であり、哲学者という人もいました。

ルネサンスというのは、中世が聴覚的な世界観であるのに対し、視覚的な世界観が前面に出てきた時代といえます。そこで、視覚的な芸術というものがたくさん残されていくわけです。

中でも、舞台(ダンス、ドラマ)の世界というのは、哲学的宇宙論の理想的な実現の場だったといえるでしょう。

 

オペラ=ドラマとは、目的をもった人間の行動(のちに、フランスでBallet d’actionという動きが18世紀に登場します)である。アリストテレスの書いた『詩学』はドラマ創作論であり、ドラマというのは詩で書かれている。悲劇とは、人間の負の行動のカタルシスである、との説明がありました。そして、カタルシスという、通常<浄化>という風に訳される言葉についてのさまざまな解釈があることも知ることができました。

 

一つの言葉をとっても侮れないとずっと考えてきたことは、間違いではないと確信した次第です。そして、ルネサンス期に作られた、産み出された数々の芸術作品は、単なる貴族を喜ばせるための娯楽なのか?単なる暇つぶしでしかないのか?という問いにも向かいました。 

私も常日頃から、多くの舞踊史やバレエ史の本で「バレエとは、イタリア・ルネサンスにおいて貴族の宮廷で生まれた娯楽」という表現に対し、少しご疑問を抱いていたのです。もちろん、「娯楽」という要素が全くなかったことはないと思うのですが、例えば、今回の勉強会のために『オルフェオ』を聴いてみると、なんとも満たされた気持ちになるのです。簡単にいうと、「この世のものとは思われない世界」が音を通して感じられるのです。

 

そういう風に後世の生きている時代も国も違う人間にもかんさせる何か、がこの音楽にはあると思った時に、芸術家たちを庇護したお金持ちたちが、何か現実に起きていることとは違う理想の世界を具体的に描いていたのではないか、と私には考えられるのです。悲惨な戦いの日々、政治的な関係でしか成立しないような人間関係、きっと私たちが感じるような安堵というのとは縁遠い現実が迫っている中で、どこか救いを求めたい人間の本性が、パトロンたちを駆り立てたと考えることはできないでしょうか。

 

お話を丸山先生の講義に戻り、モンテヴェルディが求めた音楽の世界について。対立する二つの世界の融合ということから、『オルフェオ』にはルネサンス期における神話理解とキリスト教の教えの融合が垣間見られる。旧約聖書の中の言葉が、第五幕の最後の合唱のところの詩編の中に踏襲されていると丸山先生は指摘されました。そして、アポロ=父とオルフェウス=息子という構図。それぞれの歌が違う調性で表現され、最後には統一されてゆくというプロセスが、『オルフェオ』に実現されているとのことです。それは、もしかすると、アポロ=父=君主、オルフェウス=子=モンテヴェルディという風に想像するのは、私の深読みでしょうか。

 

また、講義の前に丸山先生にご挨拶しましたら、「今日はバレエのこと、モレスカのこと話しますよ」とおっしゃっていたので、とても楽しみでした。私が最も気になっていた『オルフェオ』の中で踊られるモレスカです。丸山先生が、「ここの踊りはユダヤ人たちが踊った。それは大変なことだった」という言葉が、身体をまた電光石火のごとく貫き、ずうずうしく質問させて頂きました。というのは、いま私が向き合っているルネサンス期の舞踊教師グリエルモ・エブレオがユダヤ人であり、当時の舞踊教師の多くはユダヤ人だったので、「ユダヤ人がモレスカを踊ったことが大変なことだった」という先生の言葉に、敏感に反応したのです。

 

それから、16世紀のヴァロア朝のフランスに入ってからの宮廷バレエについても触れられ、そこでもルネサンス的な宇宙論が視覚的に実現されているというお話でした。このフランス宮廷祝祭におけるスペクタクルの上演は、1570年にジャン=アントワーヌ・ド・バイーフが設立する詩歌・音楽アカデミーの具体的な形となる運動の一つでした。バレエ史では、最初の宮廷バレエの項目で、たいていの本が触れている1573年の『ポーランド使節のためのバレエ』とバイーフの理論が理想的な形で実現したのが、1581年のアンリ三世の寵臣と王妃ルイーズの妹の婚礼の際に上演有名な『バレエ・コミック』があります。

1573年の『ポーランド使節のためのバレエ』は、1572年のアンリ・ド・ナヴァール(プロテスタント)とマルグリット・ド・ヴァロワカトリック)の婚礼とその直後の虐殺という流れの中で開催された。アンジュー公(のちのアンリ三世)が、ポーランド国王に選出され、ポーランドの使節がパリに入場し、彼らをもてなすための祝祭が開催されたのです。その一環として上演されたバレエでは、舞台はなく、アリーナ状の劇場で、貴族たちは踊る空間を囲むようにして観ていたのです。

 

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奥の方に貴賓席があり、ポーランドから来た一行が座っています。フランスの各地方を表す16人の貴婦人が、8人一組で幾何学模様を描きながら踊ります。この16人の中には、マルグリット・ド・ヴァロワも一緒に踊ったと言われています。こう見ると、8人一組の16人という構成は、丸山先生がご用意くださったガフリウスの『音楽実践』の口絵に通じるものを感じます。

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次のガフリウスの図と上の図を見比べてみると、ただの偶然とは思えないんですね。アポロンの位置に貴賓席があって、16人の貴婦人が踊っている。なんかすごいんじゃないですか!ちょっとここは深めたいので、また追って書くことにします。

 

最後に、『オルフェオ』の最後も登場するモレスカですが、バレエ史、舞踊史などの本には、718年から1492年までのスペインはイベリア半島におけるレコンキスタ、つまりキリスト教徒が支配権をイスラム教徒から奪還するプロセスの中で生まれたと書かれているものが多いです。集団で踊るものは、異教徒同士の合戦を、こん棒や剣を持ってダンスとして表現しているものがあったり、カップルで踊る場合は、仮面を付けたり、また、イスラム教徒=ムーア人のようなイメージなのか肌を黒く塗って踊ったりするものもあるようです。

 

このたびの講義が終わり、丸山先生に「ルネサンス期には舞踊教師としてはユダヤ人が多いとの記録があり、私がいま向き合っているグリエルモなどは、キリスト教に改宗し、名前も変えている。このことは、ユダヤ人が、その社会の中で生きるためにそのような方法をとったほうが有利だったのか?」と私が質問をいたしました。

「それは、難しい問題ですね。反ユダヤの君主が、ユダヤ人の芸術家を庇護した例もあるし、ローマ時代からユダヤ人が隔離された地域で生活したということもある。ただし、『オルフェオ』のモレスカで、ダンスの中心にユダヤ人が踊ったということから言うと、その作るプロセスの中でいろいろな困難があったことは想像できる。だからこそ、この『オルフェオ』を今の時代に上演する意義というのがあるのではないか。また、ピタゴラスの数比例の考え方から歩調を考え、音楽との関係を構築することで、当時の人たちが踊ったかもしれないモレスカが再現できるのではないか」という貴重なお答えを頂きました。

 

 そして、現在のバロック音楽の演奏に関して、ルネサンスからバロックにかけての哲学的宇宙論から考えて、「対立する世界の融合(ハルモニア)」のためには、もっと不協和音をしっかりと出さないと、その理念の実現にならない、というようなことをお話になる、「今の演奏は化学調味料」と表現され、妙に納得しました。誰でも<美味しい>と感じるけど、ある意味味覚は育たないし、逆に味覚を狂わせます。なんとも言い得て妙です。

 

この講義に参加して、『オルフェオ』の第五幕だけでも実現してみたいという野望にあふれた日となりました。まだ、その余韻が冷めやらず、バッカスの力を借りなくても、ほろ酔いな時間が続いているのであります。

 

参考までに、ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の中のモレスカ。モンタギューとキャピレットの対立とイスラムとキリストの対立をかけたような演出です。

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オマケ~講義のあとは、ペンタゴン的お茶会とピタゴラス的立ち話

講義後、声楽家お二人とチェンバロ奏者とオーボエ奏者の五人でお茶をしました。まるでペンタゴン!私の左側に声楽家2人が座り、右側に器楽演奏者が2人座った、この座席もハッピーでした。体自体を楽器とする人の身体の感覚と楽器(外部のもの)を自分の身体として扱う奏者の身体の違いを真ん中のポジションで実感できたのは、ものすごい収穫!声楽家には、身体の中に球体を作る身体の使い方を最近は提案してます。じゃあ、楽器を演奏する人の球体をどのように調整するかということを昨日からずっと考えている。楽器という物理的な存在も身体化するのか、もしくは、音というもの(その波動、粒子など)が外に広がるものと身体との関係を考えるのか、とか。すごい学び!!

そして、5人のペンタゴンからの池袋西武前の3人のトライアングル立ち話もすごい!まるで、三人の地下には黄泉の国、そして、天上からはアポロンがほほ笑み、横からバッカスがワインを差し入れてくれそうな、そんな十数分の密度が素晴らしい!