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Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

第三回バレエ・トラディション公演記録✨

 

 

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 プロデューサー:田北志のぶ(キエフ・バレエ団元リーディング・ソリスト

               ウクライナ功労芸術家)

 芸術監督:アラ・ラーゴダ(ウクライナ人民芸術家 

              キエフ・バレエ団バレエミストレス)

 アドヴァイザー:薄井憲二(舞踊家 バレエ史研究家)

 ゲスト・プリンシパル:イーゴリ・コルプ

           (ロシア、マリンスキー劇場バレエ団プリンシパル) 

 制作:Spring of Arts (土井由希子 田北志のぶ)

 

 【プログラム】

 第一部

 1、Nostalgia 音楽:ウラディーミル・マルティノフ 振付:笹原進一

 

 2、『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ

   音楽:セルゲイ・プロコフィエフ 振付:レオニード・ラヴロフスキー 

   初演:1940年 ソ連 キーロフ・バレエ団(当時レニングラード

 

 3、『海賊』よりオダリスクのパ・ド・トロワと花園の場

   音楽:アドルフ・アダン チェーザレ・プーニ レオ・ドリーブ

   原振付:マリウス・プティパ

   プティパ版初演:1868年 帝政ロシア マリンスキー劇場

 

 第二部 『シェヘラザード』全幕

   音楽:ニコライ・リムスキ=コルサコフ

   原振付:ミハイル・フォーキン

   初演:1910年 パリ・オペラ座 ディアギレフのバレエ・リュス

 

 2017年3月9日木曜日 大井町 きゅりあん大ホールにて所見

 

 昨年、20年以上にわたりリーディング・ソリストを勤め上げたウクライナ国立オペラ・バレエ劇場(キエフ・バレエ団)を退団し、日本に本格的に活動拠点を移した田北志のぶ。田北自身が、プロデューサーとして企画し、主演する座長公演第三弾を拝見。

 

 2016年9月に開催された第二回公演に私自身も出演したため、個人的な感情を少し整理し、客観的に公演を記録するには、少し時間が必要だった。

 この文章は、批評ではない。このプロジェクトのサポーターであり、舞台に立つ側であり、バレエ史屋であり、一観客という私のいくつかの視点から見て、この公演を記録する試みととらえていただきたい。

 

 プログラム編成は、ネオクラシックスタイルの笹原進一振付作品『ノスタルジア』で幕開け。ソ連時代を代表する名作『ロミオとジュリエット』(1940年初演)、そして、「バレエ」という言葉を聞いて誰もが想像するような帝政ロシア時代(19世紀末)の名作『海賊』(改訂版1868年初演)からの抜粋、そして、20世紀初頭に新しいバレエにおける表現世界を求めた舞踊ドラマ『シェヘラザード』全幕という流れ。今回プロデューサー田北志のぶがこの作品を果敢にも取り入れたことに心から拍手を送りたい。

 

 バレエ史屋としては、プログラムの2番目に登場するラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』と最後の演目の『シェヘラザード』について、くどいくらい書きたい気持ちで溢れている。しかし、ここは冷静に、観客の一人として、プログラム通りに話を進めてゆこう。

 

 オープニングの笹原進一振付『ノスタルジア』にも思い入れは強い。バレエ史的なジャンルでとらえると、「ネオクラシックスタイル」に入ると考えられる。1930年代以降に、ジョージ・バランシンがN.Yを拠点に展開した、新しいスタイルのバレエである。バレエファンになじみのあるものとしては、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』などで、トーシューズで踊るが、衣装はクラシックの定番チュチュではなく、シュミーズのような身体のラインを見せるものが多い。ほかに『ウェストサイド物語』の振付で有名なジェローム・ロビンスなどもネオクラシックのジャンルの振付家に入れても良いと考えられる。

 笹原の場合は、バランシン的な純粋なムーブメントで音楽の質感を表現することに加えて、ロビンスやアントニー・チューダーのような抒情的なモチーフや人々の心のありようを限りなくシンプルな動きの中に染み込ませて行く手法と思われる。

 ステップ自体は極めてシンプルだが、そのステップとステップのつながり方に特徴がある。ムーブメントがシンプルなだけに、ダンサー自身の日常や心のありようがまざまざとあぶり出される。かなりダンサー泣かせの作品と言えるだろう。

 

 『ノスタルジア』という題名の通り、ウラディーミル・マルティノフの美しい旋律とリズムによって、まるで時を刻むかのように人々の人生の点と線の世界が繰り広げられる。現在の時間と過去の時間が錯綜するように、観客一人一人の懐かしい風景とダンスが共鳴するかのようだ。

 今回出演した土井由希子と石黒善大、平尾麻実と檜山和久の二組のデュエットと四人のアンサンブル~大溝ちあき、小林翔子、高浦美和子、前澤鮎美は、振付家のコンセプトを真摯に受け止めて表現しようとしていた。常設のバレエ団メンバーではなく、プロジェクトで集まるダンサーなので、リハーサル時間にも限りがあり、振付家の意図をどのように表現し、まとめ上げてゆくかはそれぞれの力量に任される。

 作品というのは、再演を重ねるごとにその作品自体に命が芽生え、振付家の手から離れてゆくことによって、成熟していくものである。この作品を初演で見られたことに喜びを感じるとともに、また同じダンサーでも違うダンサーでも、再演されることを強く願う。

 過去に笹原が創作した作品を白ワインやスパークリングワインに例えるならば、今回の『ノスタルジア』は、まるでボルドーのような深みのある赤ワイン。空気に触れて、味わいを増すように、時間をかけて楽しめる作品と言える。

 

 次に座長田北志のぶとゲストアーティスト、イーゴリ・コルプによる『ロミオとジュリエット』の名場面バルコニーのパ・ド・ドゥ。日本でなじみのあるバレエ『ロミオとジュリエット』は、主に英国スタイルのケネス・マクミランの振付によるものが主流だろうが、 今回の振付は、ソ連時代を代表する振付家レオニード・ラヴロフスキーによるもの。

 社会主義リアリスムのバレエと言われることもある。日本人でこの振付の『ロミオとジュリエット』を踊れるバレリーナもそう多くはない。

 個人的に、私が10歳の時に初めて見た『ロミオとジュリエット』(映画)がこの振付で、ソ連バレエの名花ガリーナ・ウラーノワが演じるものだった。

 田北が水色のネグリジェ風の衣装で登場し、踊る姿を見ると、そこに連綿と受け継がれるロシアバレエの伝統を強く感じる。

 「このしぐさはウラーノワを思わせる!」と思うところが何度も出てきた。特に腕の動き、上半身の動きに特徴が見受けられる。もちろん、恵まれたラインの美しい身体なので、洗練されたムーブメントの繊細さによって、ジュリエットの初恋に心震わす感情表現が身体全身から見える。

 好みもあると思うが、どんなスタイルにも伝統がある。田北はソ連時代から、バレエ教師を通じて代々受け継がれているロシアスタイルの表現を身体全体で引き受け、この舞台にその世界観を広げてくれた。

 このラヴロフスキー版が誕生したのは、1940年(第二次大戦前!)で、まだソ連時代のキーロフ・バレエ団(現マリンスキー・バレエ団)で初演された。作曲家セルゲイ・プロコフィエフも台本にかかわり、振付と音楽が同時進行で作られたバレエである。ゆえに、音楽とムーブメントの調和が見事である。

 豆知識としては、プロコフィエフは1935年の時点では、このバレエのラストシーンをハッピーエンドで終わらせたかったという。しかし、それはシェークスピアの戯曲に反するということで、却下されたとか。改めて組曲を聞いてみると、プロコフィエフが「ハッピーエンド」にしたかった音色を感じることができるかもしれない。

 

 そして、第一部最後に登場するのが、帝政ロシア時代に作られたバレエの巨匠マリウス・プティパ振付による『海賊』第三幕からオダリスクのパ・ド・トロワと花園の場。華やかな女性たちによるクラシック作品の世界。

 『眠れる森の美女』や『白鳥の湖』同様に、身体のポジションの正確さ、角度、特にロシアの場合は、上体と下半身のコーディネーションというクラシックの基礎の技法と型をしっかりと身に付けたうえで、音楽的に踊らなければならない。若手ダンサーが身に付けるべき古典の作法が詰まっている。

 プロダンサーともなれば、さまざまなスタイルの作品に適応する身体の感覚が必要だ。しかし、まずは若い時期にしっかりとした古典の基礎を身に付け、そこを基盤に表現の可能性を広げるのがふさわしいと思う。

 

 今回オーディションで選ばれたダンサーたちにとっては、またとない貴重な経験となったことだろう。私自身、14歳で『バヤデール(ロシアではバヤデルカ)』の「影の王国」の群舞(コールド)を踊ったことが、人生の大きな財産になっている。

 ソリストとして、ヴァリエーションを踊ることを夢には見たものの、群舞を踊ることがどれほど大変なことかを、若い時代に身体に叩き込まれた経験は今も身体に染み込んでいる。 コールドバレエと言えば「一糸乱れぬ」という表現を求めて、稽古の厳しさは想像を絶したが、その経験があってこそ、主役を踊ることになった時に、作品の調和を実現できるのだと思う。

 この「花園」の場を選んだ田北の思いも、コールドを踊ることの意味をダンサー一人一人に感じてほしかったからではなかろうか。例えば、パリ・オペラ座であっても、ロシアのマリンスキー・バレエ団であっても、バレエ学校を卒業して、バレエ団に入団するとはじめはコールド・バレエからである。ここを通過してこそ、プリンシパルへの道が拓かれるわけだ。

 古典作品を踊ることは、今の時代には非常に困難なことなのかもしれないと感じることがある。それは古典作品の物語が、あまりにも現代に生きる私たちにとって現実離れしているということも理由の一つかもしれない。

 これは、日本のバレエ界の問題だけではなく、今年のローザンヌバレエコンクールを見ても、現代的な作品よりも古典作品の理解が、現代のダンサーには難しいかったように感じられた。

 クラシックの「型」や「様式」の継承が不十分な感じを覚える。歌舞伎や能同様で、バレエも「型」や「様式」を自然に振る舞えるように身に付けるには、とにかく時間がかかる。残念ながら技術の質は上がっているのに、なぜかクラシックスタイルの作品で、心動かされるダンサーが減りつつあるように感じるはなぜだろうか。

 

 以前、バレエ史の大家薄井憲二先生のお話しをうかがったことがある。薄井先生は、ご自身も舞踊家として活躍された方で、日本バレエの生き字引である。

 「ダンサーの訓練はほぼ、9割、8割が体育。でもね、あとの1割、2割で芸術家になれるかどうかが決まる」という言葉が心に刻まれている。まだまだ日本は、どのジャンルにおいても「プロのダンサーになる」ことが難しい。田北志のぶという世界で活躍をしてきた大先輩やバレエ団所属のプロで活躍するダンサーの踊りや舞台への向き合い方に触れて、成長する姿を見せてほしい。それこそがこのプロジェクトの意義だと考える。

 

 さて、第二部のクライマックス。ミハイル・フォーキン振付『シェヘラザード』。フォーキンって誰?という感じかもしれないが、彼の代表作『瀕死の白鳥』はご存知の方も多いだろう。

 この作品が産まれた(パリ・オペラ座での初演)のは、1910年。なんと100年以上前の作品で、パリの観客を圧倒した作品です。音楽がニコライ・リムスキー=コルサコフで、舞踊ドラマというスタイル。踊りだけではなく、演劇的な要素も強く、ただ踊るだけでは表現しきれない作品。迫力のある群舞のエネルギー溢れる壮大なスペクタクルだった。 

 この作品も第一部の『海賊』同様、ハーレムの世界を古典作品とは違う手法で、よりリアルに描き出している。一般的には、「官能的な」という表現がされることが多いが、私が今回田北のディレクションで演出された『シェヘラザード』を見た率直な感想としては、

 <舞踊ドラマ『シェヘラザード』は、単なるハーレムの官能美を描いた世界ではない。そこに繰り広げられるのは、力による「支配」に対して、愛による「自由」を貫いた崇高な女性の物語である。>

 それは、振付家フォーキン自身が、古い体制のバレエ(プティパ大先生の世界)に対して、新しいバレエを主張した姿にも映る。

 田北は寵姫ゾベイダを演じることなく、彼女自身の身体の内側からあふれ出る表現で、ゾベイダという女性の人生を生き切っているかのようだった。イーゴリ・コルプは、「奴隷」という身分に貶められてもなお気高く、ゾベイダの愛に応える。

 ヴァイオリンの旋律が、ゾベイダの心の内を語るように耳に届いてくる。その細く長く続く旋律と田北のしなやかな姿態が一つになる。

  音楽の高まりとともに、群舞の波のように押し寄せるムーブメントが舞台奥から迫ってくる。音楽とムーブメントが一体化し、音楽が極彩色を帯びて、視覚化されるようだった。

 まさか、1910年6月4日のパリ・オペラ座でこの作品を目の当たりにした観衆と同じ興奮と感動を2017年の東京で味わえるとは!  

 このドラマを引き立てたシャリアール(スルタン役)の堤淳、シャフゼーマン(スルタンの弟)の桝竹眞也、宦官長の浅井永希があってこその物語展開。『シェヘラザード』は音楽と舞踊と芝居の三位一体の名作である。その全幕上演は、大げさかもしれないが、日本のバレエ史の大きなトピックになってもいいのではないだろうか。

 

 「日本のバレエ界には、ディアギレフ以後がない」と語ったのは新国立劇場の前芸術監督兼英国バーミンガムロイヤルバレエ団芸術監督のデヴィド・ビントレーの言葉で、私自身がインタビューした時の言葉。ビントレーも新国立バレエ団で、ディアギレフのストラヴィンスキーのバレエプログラム(『火の鳥』、『アポロ』、『結婚』のトリプルビル)で公演を行った。日本のバレエ界の前進のためにも、まずは、20世紀初頭に生まれた作品を整理することは大事なことだと考える。

 田北志のぶのプロデューサーとして、今後このプロジェクトをどう展開するか期待するところである。そして、田北自身が踊ることにより、後進に対して「プロのダンサーとは何か」ということを示しているのである。古典の継承を軸として、日本と海外と両方に通じる人材育成、そして新たな挑戦に向かってほしいと強く願っている。

 

文責:池田愛子(バレエ史研究)