Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

バレエ史弁士、ストレッチ―トレーナー、ちょっとだけダンサー~2016年雑感✨

★2016年、新しい扉を開いて★

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2016年もそろそろ幕引き。

あ~年々、一年の速度が加速する感じがします。

そして、年を取るのに反比例するように日々充実度が増しています。

それって、とてもありがたいことですね。

 

今年をざらっと振り返って、昨年取得したストレッチトレーナーの

資格を活かして、私を信頼してくださるクライアントさんが少しずつ増えました。

そして、クライアントさんお一人お一人の身体が、本当にたくさんのことを教えて下さるということが、どれほど生きた学びになるかということも深く思い知る日々。

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 上のへんてこりんな骸骨はスケル子さんという私の解剖学のお友達です。学んだ解剖学は、とても重要。でも、もっと重要なのが人の身体に触れること。

そして、人の身体は十人十色。解剖図はあくまでも理想形の身体。

 一人の人が使い込んできた身体は、その人の歴史を語ってくれます。「痛み」や「不具合」がどこから来ているのか、ということは、その方の身体からしかわからないのです。

 

 もう一つの私のライフワークであるバレエ史。今年の私の中でのバレエ史へのアプローチの変化があります。

 心のどこかにあった「バレエ史なんて知らなくても踊れる」とか

「バレエ史なんかなんの役にも立たない」って、実は私自身が思い込んでいたところがありました。

 でも、7月に友人のダンサー今村よし子さんが背中を思い切り押してくださったおかげで、渋谷のお店Li-Poさんでトークイベントが実現。お客様も20人以上いらしてくださりました。娘が題字を書いてくれたフライヤー(今村さん作成)もとても気に入っていて、母娘の初コラボもできました。

 

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 そして、何よりも「バレエ史上に生きた生身の人間としての舞踊家、振付家」に、改めて出逢えて本当に嬉しかったのです。

 絵画や版画に描かれた、または、写真として写された二次元の人物たちが、呼吸をし、血の通う生身の身体を持って生きていたということを私自身が、実感し理解したことが、素晴らしい出来事でした。この経験が、次の私のバレエ史との関わり方を導いてくれたのです。

 こちらのバレエ史紙芝居は、私の特製です(笑)

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 来年は新しい場所で、この紙芝居を使ってバレエ史を語ることができることになりました。古の遠い土地に生きた人たちのことを、お伝えすることができる悦びを噛みしめています。

 

 特に、日本にバレエ文化を根付かせた先人たちの仕事に触れることは、

ある意味、覚悟のいるチャレンジでした。まだまだ、未完な部分であります。

戦後間もない、希望も何も失った日本という国で、「バレエ」という西洋文化が産んだ

舞踊芸術の基礎を固め、人材を育成しようとしたロシア人バレリーナ、エリアナ・パブロバとオリガ・サファイアのこのお二人への敬意を抱き続けて、今後も追い続けていきたいテーマの一つです。

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 今は、しっかりとバレエを志す方たちや指導者の方たちに、「バレエ史を学ぶ意義」をお伝えできると確信しています。歴史上の人物たちが、ある意味「成功物語」として描かれている背景には、さまざまな人々の苦悩や努力があったのです。そのことを知ることは、今の時代に生きる私たちが直面する難しい状況を乗り越えるヒント、知恵がたくさん詰まっているということを知ることなのです。

 おそらく、歴史に残っている事実は不運によって誕生したことの方が大きいように思います。

 皮肉にも偉大な芸術作品と言うのは、困難な時代、環境で生まれることが多いのだと歴史は教えてくれています。

 

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 ↑こちらのバレリーナは、1830年代にヨーロッパを魅了したバレリーナの一人マリー・タリオーニです。彼女のお父様がバレエ教師で振付家のフィリッポ・タリオーニで、有名なバレエ作品『ラ・シルフィード』の生みの親です。

 なぜフィリッポは、娘を「妖精」に仕上げたのでしょうか。それは、自分の娘があまりにも無表情で表現力にかける性質だったことから、『非人間的な存在」である「妖精」として娘を仕上げたのです。その「妖精らしさ」をより表現するために、「つま先で立つ」訓練を徹底的に行ったと言われています。

 その他にも、彼女の身体は非常にバレエには不向きで、猫背で手足が長すぎるというのがとても目立ったようです。そこで手を交差させて手の長さが目立たないようなポーズを考えたりしたのです。 

 このエピソードを一つとっても、今ではバレエ的な美として当たり前のことが、時代が変われば「欠点」だったこともあるのです。いつの時代でも、マイナス面をいかにプラスに変換するかということを人々は考えて生きてきたという証と言えるでしょう。

 

 最後に、ダンサーとして。私自身は、自分の中で「現役」は遥か彼方に引退しているつもりです。それは、26歳の時に、フランスの舞台で、創作作品を二作品踊ったのを最後に、自分の中では線引きをしていたはず。

 でも、今年は、元キエフバレエ団のリーディングソリストをされていた田北志のぶさんの企画公演『バレエ・トラディションVol.2』の中で『眠れる森の美女』の第三幕の貴族役で出演してしまいました。それは、50歳前にちゃんとしたプロフェッショナルのバレエ公演の舞台には立ちたいという密かな野望があったから(笑)トーシューズも履かないし、チュチュも着ないけど、動きそのものにダンサーの質が出るものと感じる役柄の一つだと信じていましたし、実際、本当に針金の入ったパニエを着て踊ることは簡単なことではないことを、身体を通して思い知ることができました。また、アンサンブルとフォーメーションは一夜にはならず、ということも痛感。そして、チャイコフスキーの音楽の偉大さも思い知るのでした。

 

 今年のさまざまな活動を通じて、私自身の中に湧き上がってきた「私とは何か?」という深い問いへのある答え。それは、「私は<からだ界>の人」だということ。

 そこのベースがある限り、トレーナーもバレエ史も身体を使うパフォーマンスも私の中では違和感のない行為。

 その第一弾は、おそらく来年の3月に一つの形となるでしょう。茂谷さやかさんという友人が、また私を巻き込んでくれました。彼女との出会いも不思議。私がダンスワークと言う雑誌に寄稿した「バオソル」に関する文章を読んで、私が受付をしている佐藤健司先生のバオソルを受講しに来てくれたのがきっかけ。

 そこから、元ピナ・バウシュダンサーだった市田京美さんのWSをご一緒したり、彼女のご自宅が近かったことから私が毎週通っている笹原進一先生のバレエスタジオをご紹介し、彼女も受講するようになった。

 しばらく、お互い違う方向で身体との向き合い方を模索しつつ、でも、感性の向かう先に見える風景は、もしかしたら似ていたのかもしれない。

 彼女の書いた戯曲で「踊り子」役を頂いた。ある意味、空間が狭いので、ひたすら日常の稽古をする踊り子のムーブメントでもごまかしがきかないので、ますますの精進が必要です。より身体の細部への意識を高めて臨みたいと思っています。

 

 最後に、2016年もたくさんの素晴らしい出逢いに恵まれました。どちらかというと受け身な感じでいろんなことに関わっているところがあります。でも、いまはその自分の在りようが自然で、ある出逢いによって、何か違う世界へ導かれる悦びを感じます。

 来年もまた素敵な巡り合わせがあるでしょう。皆様への感謝をこめて、ここに記させていただきました。