Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

バレエ『エスメラルダ』の旅~ヨーロッパからロシアへ🚃

国境を越えて受け継がれる作品たち

 バレエ『エスメラルダ』が、ヨーロッパからロシアにわたったお話は、<バレエ『エスメラルダ』の樹海>という記事にもちらっと書いていますが、改めてこの作品がヨーロッパからロシアに渡り保存され、発展した経緯をお伝えしたいと思います。

 

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 初演は、1844年3月9日ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場でした。振付がフランス人のジュール・ペロー、エスメラルダ役をカルロッタ・グリジが演じ、大成功を収めたと言われています。

 この絵に描かれているのが、振付家自身が演じる詩人のグランゴワール(左側)とカルロッタ・グリジ演じるエスメラルダで、初演当時に発売された版画です。昔のブロマイドみたいな感じと受け取っていただいて良いと思います。

 この振付家は1848年までロンドンで仕事をしたあと、イタリアのミラノ・スカラ座を経て、1851年にはロシアのサンクト・ペテルブルクに渡り、帝室劇場のバレエ・マスターとして働くことになります。

 ただし、バレエ『エスメラルダ』に関していうと、1848(1849説あり)年に当時人気のバレリーナの一人ファニー・エルスラー(注)が、サンクト・ペテルブルクでこの作品を踊るということで、振付家のペローも上演と演出に参加。その時には、すでにマリウス・プティパは第一舞踊手として帝室劇場で働いていたのです。

 当時の様子がこちら!

 

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 樽の左側がペロー演じるグランゴワールで右側にエスメラルダのエルスラーが見えますね。この時、その後巨匠としてバレエ史に華々しい作品を残してくれるマリウス・プティパもファビュス役で出演したのです~♪もしかすると、私の想像ですが、

樽の上の人物が、ファビュス役のマリウス・プティパかも!と思うと、この絵はすごいですね~☆彡

 

 ここで、『エスメラルダ』の産みの親であるジュール・ペローとその後、ロシアでこの作品を再構成して引き継いだマリウス・プティパにバトンが渡されました。

 その当時のことをプティパ大先生が記録に残してくれているので、引用します!

 

 

マリウス・プティパ自伝 (クラシックス・オン・ダンス)

マリウス・プティパ自伝 (クラシックス・オン・ダンス)

 

  『マリウス・プティパ自伝』51ページより

 「私(プティパ)のモスクワ滞在中、有名なファニー・エルスラーがサンクトぺッてルブルクにやってきた。『エスメラルダ』出演のためである。その少し前にロンドンで初演されたこのバレエで、彼女は主役を演じていた。モスクワから帰ってすぐ、私はこの作品を演出しようと思いたった。そして、第一幕の構成を終えたか終えないかというところ、この傑作の作者であるジュール・ペローがサンクト・ペテルブルクを訪れて、自分で演出に加わってくれた。

 その後は、このバレエを演出するたびに、私は作者の指示を忠実に守り、ほかの演出家たちがやっていたような、余計な小細工に走ったりはしなかった。たとえば、エスメラルダと母とのシーンではそれだけで十分に悲痛なのに、カジモドの顎の骨を砕かせるといったたぐいの小細工である。このバレエがサンクト・ペテルブルクで初演された際のポスターをここに再現させていただきたい。

 エスメラルダ   ファニー・エルスラー

 グランゴワール  ジュール・ペロー

 フェビュス    マリウス・プティパ

 カジモド     ディディエ

 クロード・フロロ オルツ

 百合の花     スミルノワ

 母親       アマソワ 

 バレエ愛好家ならだれでも、この作品のおさめた大成功を覚えているだろう。主役を演じたのがエルスラーのような大物だったのだから、どうして失敗するはずがあろうか。これはまさに彼女のはまり役で、演技は誰にも真似ができないものだった。・・・」

 

 このようにプティパは、『エスメラルダ』のサンクト・ペテルブルクでの上演に関して記しています。

 1886年にプティパはペローのバレエ『エスメラルダ』を再構成し、その後もサンクト・ペテルブルクの帝室劇場で踊り継がれ、ソ連時代に入ってからも1935年にアグリッピナ・ワガノワがプティパの作風を受け継ぐ形で再演出したのでした。

 そして、1950年には、モスクワで振付、演出家ウラーディミル・ブルメイステルがソ連の演劇的な作法と音楽を改めて研究した上で、バレエ『エスメラルダ』を創作。

 2009年には、モスクワのボリショイ・バレエ団で、1886年版のプティパ版をプティパの振付を記録した資料をもとに復刻上演されたのです。

 こちらが、ボリショイ・バレエ団で上演された『エスメラルダ』の第三幕です。

 どことなく『ジゼル』の第一幕の終わりの部分を想わせます。もともとの作者がジュール・ペローで同じ人ですから、その息遣いが残されたいるように私には感じられます。

 

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 【豆知識】

 ちなみに、有名なグラン・パ・ド・ドゥの振付について。エスメラルダのタンバリンのヴァリエーションの入ったパ・ド・ドゥが作られたのは、1940年代のことでした。振付家はピョートル・グーゼフというキーロフバレエ団の芸術監督も務めたダンサー兼振付家でした。

 彼の作ったパ・ド・ドゥは、他の振付家によって、生徒のための公演やコンクール用にさまざまにアレンジされているようです。

 音楽も、もともと『エスメラルダ』の音楽を担当したチェザレ・プーニのものに加え、リッカルド・ドリゴ、ロムアルド・マレンコRomualdo Marencoという三人の作曲家の音楽で、四つの別々のバレエ作品の音楽を使用しています。

 1)二人の登場からアダージオ

  リッカルド・ドリゴの作曲で、プティパの作品『王の命令』から

 2)男性ダンサーのヴァリエーション

  チェザレ・プーニの『エスメラルダ』第一幕第二場から

 3)女性のタンバリンのヴァリエーション

  ロムアルド・マレンコ作曲のバレエ音楽Sieba ,ou spada di wodanから

 4)コーダ チェザレ・プーニ作曲、プティパのバレエ作品『ファラオの娘』から

 (資料は、Ballet Music Hand Book  by Matthew Naughtin)

     

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 このパ・ド・ドゥは、全幕の『エスメラルダ』から独立して、今や世界中で踊られるようになっているのです。

 

 とのことで、シルヴィ・ギエムパトリック・デュポンの若かりし競演をお楽しみください!(アダージオとコーダのみでごめんなさい!)

 

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 せっかくなので、同じくパリ・オペラ座のアニエス・ルテステュのヴァリエーションとコーダ。男性は、ジャン=ギヨーム・バールですね。

 ルテステュの控えめでエレガントな踊り方に惹かれます!

 

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