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Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

国境なきアーティストたち

 いつもバレエ関係でものを書くときに一番悩むのは、ダンサーとか振付家のプロフィールの出身地とか国籍なんです。生まれたところとか国なんだから、つべこべ言うことでもないんですけどね、変なところが気になる性質なのです。

 

 昨日の朝、FBの投稿を通してドイツで踊っている櫻井麻巳子さんとういダンサーと

彼女が踊った作品について話していて、そこから私の中で湧き出たことをお伝えします。

 

 麻巳子さんとは、二年前にプロジェクトLUCTという活動を通して知り合いました。最初の印象は黒目が大きくてチャーミングで、少し義妹に似ていたせいか親近感があり、すぐにいろんなお話をするようになりました。

 

   <プロジェクトLUCTについてはこちらのURL>

  ectluct.wix.com/projprojectluct

  (ここから飛べなくてごめんなさい!コピペしてください!)

 

 LUCT主催のバレエセミナー期間中も、彼女が所属しているギーセンダンスカンパニーの活動などつについてもたくさんお話ししました。印象的だったのは地域の保育園でダンスの指導をした時の子どもたちとの関わりについてのお話でした。

 

 昨日の話の発端は彼女が踊った作品の一枚の写真でした。

 その写真をこちらに載せたいのですが、ちょっと著作権が気になるので、使わせていただけるか確認します。

 

 その踊りの動きが「フォーサイスとかキリアン」みたいだと思ったので、そのように彼女に伝えたら、「この作品は、フォーサイスのカンパニーで踊っていたPascal Touzeauの作品なんですよ!」と教えてくれました。

 20年前には新進気鋭の振付家だったフォーサイスのスタイルも、すでに現在は、彼の後に続く振付家たちによって継承されるものとなり、ダンスの世界の流れと変化を改めて感じました。

 そして彼女がその流れの中で表現者として生きていることにも喜びを感じるのです。

 

 その話から「そういえばフォーサイスもキリアンもノイマイヤーもみんな大元は、ジョン・クランコなのよね」と心に浮かびました(またまた、いっぱい横文字の名前が出てきてごめんなさい^_^;)。

 よく考えてみると、4人ともドイツのバレエ界(いや、世界のバレエ界かなw)を盛り上げた20世紀から21世紀の歴史に名を残す振付家たちです。でも、全員ドイツ人じゃないのです。

 

 例えば三人のボスのジョン・クランコは、1927年南アフリカルステンブルク生まれ(父オランダ系南アフリカ人、母イギリス人だって)。バレエ教育は、初めケープタウン大学バレエ学校で、のちに英国ロイヤルバレエ学校に入学して本格的にバレエの道に進みました。

 振付家として精力的に活動したのはドイツのシュツットガルトで、このバレエ団を国際的な地位に高めた人。大酒飲みで確か亡くなったのは飛行機の中で、空中だったのです(1973年没)。

 クランコは、「しらふでは仕事ができなかった」とあるバレエの先生で日本人で初めてシュツットガルト・バレエ団に入団された方に伺ったことがあります。ウィキペディアには、「しらふの時に振付して、それ以外は酔っ払い」と書いてあるけど、どっちが本当かしら。

 

 この映像は、クランコの英国時代の作品で、ディアギレフのバレエ・リュッスの影響満載です!

 


John Cranko - Pineapple Poll - YouTube

 

 英国バレエのルーツは、ディアギレフのバレエ・リュッスと言ってもいいくらい。バレエ・リュッスは、帝室ロシアバレエの伝統を受け継ぎつつ、新しい表現を求めた集団で、国境のないアーティスト集団の象徴のようなバレエ団です。

 

 次に、ジョン・ノイマイヤーは、1939年生まれのアメリカ人。アメリカでバレエ、ダンスを学びつつ、大学卒業後英国ロイヤルバレエ学校とデンマークでバレエ教育を受け、その後ジョン・クランコのシュツットガルト・バレエ団のオーディションを受けて入団。フランクフルト・バレエ団を経て、1973年ハンブルク・バレエ団の芸術監督となりました。

 ノイマイヤーのハンブルク・バレエ団就任直後の初期の作品でマーラーの『第三交響曲』。


Third Symphony of Gustav Mahler - Ballet by John Neumeier - YouTube


 
 イリ・キリアンは、チェコプラハ生まれ。やはり英国ロイヤルバレエ学校で教育を受け、その後、シュツットガルト・バレエ団に入団し、1973年にはオランダのネザーランド・ダンス・シアターに副芸術監督として入団、その後1978年には芸術監督に就任。キリアンの作品はこちらをチョイス。キリアン作品を初めて見て印象深かった『シンフォニエッタ』。

 Sinfonietta - Jiří Kylián - Vidéo Dailymotion

 

 そして、一番若いウィリアム・フォーサイスもノイマイヤー同様にアメリカ人。1949年生まれで、ダンサーとしてはアメリカのジョフリー・バレエ団でのキャリアから始まった。ドイツのシュツットガルト・バレエ団に入団したのは、1973年で当時のヨーロッパで一番刺激的な活動を展開してたバレエ団だったとの理由からでした。

 確か何かのインタビューで、「クリエイションの源はスーパーマーケット」と言っていたのが妙に面白かった。

 

 フォーサイスの衝撃は、やっぱり『インプレッシング・ザ・ツァー』。確か神奈川で見た記憶。

 これがシルヴィ・ギエムのために振付けられた「イン・ザ・ミドル・サムワット・エレヴェイテッド」のシーン。 


In the middle somewhat elevated: Sylvie Guillem-Laurent Hilaire - YouTube

 

 あと有名なのはラストのこのシーン。48秒くらいから。

 


William Forsythe's Impressing the Czar (Royal Ballet of Flanders) - YouTube

 どちらもフランクフルト・バレエ団の映像は見つからなかった。

 クランコは、新人振付家の育成にも熱心で、その結果がノイマイヤー、キリアン、フォーサイスという稀有の才能を世に送り出したわけです。

 
 フォーサイスは、その後フランクフルト市文科省の任命で、1984年にフランクフルト・バレエ団の芸術監督となり、2004年のバレエ団解散まで在籍。フォーサイスは現在小規模なカンパニーを率いて世界中で活躍しているようです。

 定住地から解放され、まさに地球を股にかけて活動する振付家の一人となりました。

 

 ドイツという国は、歴史的に新しいものを受け入れる寛容的な土壌があったようです。常に時代を切り開くエネルギーに満ちた人材を輩出してきました。
 ドイツではバレエ団の設立は意外に遅く、ほとんどが20世紀に入ってからのもので、急成長を遂げました。逆に20世紀初頭はモダン・ダンスの動きが活発でした。

 バレエを受け入れないグループ(メアリー・ウィグマンなど)とバレエを受け入れてメソッドを確立していったグループ(クルト・ヨースなど)に分かれつつも、ドイツ表現主義という表現を提案していました(その源流はルドルフ・ラバンという人物だけど、また別の機会に詳しく書こうと思います)。

 

 『緑のテーブル』クルト・ヨース振付

 


jooss la mesa verde - YouTube

 
 ドイツにに限らず、ヨーロッパではクラシックバレエコンテンポラリーダンスの距離が遠くないように感じます。このことは、新国立バレエ団の元監督だったディビッド・ビントレーさんもインタビューした時に仰ってました。

 壁が低い、壁がないという感じです。「壁」は、時に守ってはくれるけど、発展の妨げになることもありますね。

 時に、人間は自分たちで決めた線や壁に囚われてしまっているように思うのです。世界の人々が心をバリアフリーにボーダーレスにすれば、いろんな問題は解決してゆくような気がするのは、私が極楽とんぼなのでしょうね。