Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

第一場 パリ・オペラ座のFoyer de la danse

パリ・オペラ座のFoyer de la danseについて】

 フェイスブックの二人のお友達の投稿とコメントがきっかけで、パリ・オペラ座のFoyer de la danseについて無性に書きたくなりました。

 この絵は有名なドガの絵に描かれているパリ・オペラ座のFoyer de la danse(リハーサル室)です。

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 このリハーサル室は、パリ・オペラ座と聞くとすぐ思い浮かぶ有名なガルニエ宮殿の中にある部屋ではなく、その前のル・ペルティエ通りにあった劇場の中にありました。

 ル・ペルティエ通りの劇場は、1821年から1872年(1873年に火災で焼失)までオペラ座の拠点で、この劇場でロマンティック・バレエ時代のほとんどの名作が産声を上げたと言ってよいでしょう。

 マリー・タリオーニ、ファニー・エルスラー、カルロッタ・グリジなどのロマンティック・バレエの時代に活躍したバレリーナたちが華麗に舞い競ったのは、こちらの劇場でした。

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 そして、これがガルニエ宮の現在のFoyer de la danseで、ちょうど舞台の真裏に位置します。いろいろな映像にこの場所は残されています。

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  たとえば、少し古いものですが、次の映像はセルジュ・リファールというロシア人のディレクターがこの場所でレッスンをしている様子です。おそらく、1950年前後と想像しています。第二次大戦後、パリ・オペラ座のバレエ水準を高めたのは、このセルジュ・リファールと言っていいほどだと思います。たくさんのバレエ作品を残し、『白の組曲』などはフランス的なバレエの代表とも言えるものの一つと言えるでしょう。

 不思議ですね。もっともフランス的な、パリ・オペラ座らしい作品を作ったのはロシア人だったのです。


Serge Lifar - Giving Class at Le Palais Garnier, Paris - YouTube

 

 もう少し前の時代へ遡ってみます。1894 年から1930年までパリ・オペラ座で踊っていたカルロッタ・ザンベリというイタリア人のバレリーナがいました(1898年にエトワール。ただし、この頃のエトワール昇格のシステムは今とは違うとのこと)。

 ガルニエ宮殿の中には「ザンベリの間」という名前のレッスン室があり、彼女の名前が付けられています。丸い窓が特長で、バレエ学校がデファンスの新しい校舎に移設前には、ザンベリの間でバレエ学校のレッスンも行われていました。

Paris Opera Ballet Students - YouTube

 この映像の学生時代のミテキ・クドーの姿が、とても印象に残っています。お母様が元パリ・オペラ座のエトワール、ノエラ・ポントワでお父様が日本人のダンサー工藤大弐です。このクラスを指導する先生は、クリスチアーヌ・ヴォサールで、やはりセルジュ・リファールと一緒の時代を過ごしたエトワールの一人でした。

 伝統というものは、目に見えない形で人や空間を通して受け継がれていることが良くわかります。

 

 ザンベリに関する映像の中にも、Foyer de la danseの様子があります。

 


Carlotta Zambelli (1875-1968) - A Forgotten Ballerina of Some Note - YouTube

 

 この映像の中にも出てきますが、ザンベリは引退後、バレエ学校の上級クラスの教師となり後進のエトワールたちを育てました。Foyer de la danseでリセット・ダルソンバルというバレリーナに指導している姿の写真があります。また、ダルソンバルと同世代でザンベリに指導を受けていたのが、イヴェット・ショヴィレです。

 ショヴィレは、ルドルフ・ヌレエフが舞踊監督をしていた頃に活躍した輝かしいエトワールたち、イザベル・ゲラン、モニク・ルディエール、エリザベット・モラン、シルヴィ・ギエムなどを指導していました。その振り写しの様子やショヴィレがザンベリから習ったと考えられる『二羽の鳩』のロマ族の女性をマリー=クロード・ピエトラガラに伝授しているところが、『エトワールの肖像』というDVDに収められています。


エトワールの肖像(DVD)

 

 そして、『二羽の鳩』を振り付けたのがルイ・メラントという人でした。一番最初に紹介したドガの絵をもう一度見てみましょう。右側の方に立っているちょっとひげのある男性がいますね。彼がルイ・メラントで、1872年頃の稽古風景を描いたものです。

 メラントの右横にヴァイオリニストがいます。どうやらこのころは、まだレッスンの伴奏は、ヴァイオリンがポピュラーだったことをドガの絵は教えてくれます。もちろん、稽古場にはピアノもありました。レッスン室にあるピアノもドガは描いています。ただ、ピアノの演奏での稽古風景をドガの絵に見つけることができません。そして、いつ頃からバレエのレッスンでピアノ伴奏が一般的になったのかとても気になっていることの一つです。

 

 1861年の着工から14年かけて、普仏戦争の戦禍の中、軍の食糧貯蔵庫としても利用され、晴れて1875年に落成を迎えたガルニエ宮殿。

 現在も光り輝く夢の殿堂での優雅なひと時をいかがでしょうか。


Visitez le Palais Garnier - Vidéo Dailymotion

 

<この記事に使った主な文献>

●竹原正三著『パリ・オペラ座~フランス音楽史を飾る栄光と変遷』芸術現代社

●デブラ・クレイン/ジュディス・マックレル著

『オックスフォード バレエダンス事典』平凡社 

●Ivor Guest "Le Ballet de l'Opera de Paris"  Flamarion,Paris