Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

モフセン・マフマルバフ監督『独裁者と小さな孫』鑑賞記録♬

負の連鎖を断ち切るために。

 今日は、予定が変わりこちらの映画を見てきました。

 

 この映画を見終わって、映画館を出た時に見えた自分の

生きている世界がとても薄っぺらく感じた。

異邦人のような感覚で、新宿の街を歩いていた。

 

dokusaisha.jp

 この映画には夫も関わり、彼がマフマルバフ監督とお話しして帰ってきた日、
活き活きと監督のことを話している姿に、本当に映画が好きなんだな~と思ったものです。

 監督自身が拷問をティーンエイジャーの頃に実際に受けた身でありながら、
その憎しみの対象であるはずの「独裁者」に対し、一種の愛に通じる眼差しを向け続けて、
撮っているという映像美の世界に圧倒された。

 

「負の連鎖を断ち切らなければならない」。


 最後に独裁者が、首を切られ、火あぶりにされそうになった時に、
ある男~彼自身がその目の前の独裁者の命で拷問を受けた身でありながら~が、

独裁者の横に自分の首を並べ、「俺の首を先にやれ」と群衆に向かって叫びます。

「お前たちも皆、独裁者の命令に従って拷問してきただろう。」と。

 

 その言葉には、結婚式を挙げたばかりだと思われるある花嫁が、

車で通行する途中、革命派の兵士に辱めを受け、

その婿もそこにいた人たちも誰も止めに入らなかったことを
弾劾する言葉に通じると感じた。

 

「誰も止めないなんて、最低よ。私を撃ちなさい」。

 

 そして、彼女は身も心もぼろぼろにされて死んでしまう。

 

 もう一人印象に残ったのは娼婦。

昔、その独裁者も関わりを持った女性で、逃亡中に独裁者がその娼家に助けを求めて立ち寄る。


 その独裁者には、高額の懸賞金がかけられていた。
「俺のいる場所を教えれば懸賞金が手に入るが、突き出すか?」というような問いに、

 

 その女は言う。

 

「そんなお金の稼ぎ方をするくらいなら、そもそも娼婦なんてやっていない」と。

この言葉に妙に納得したと同時に、彼女の人間としての品性を感じた。

 

 

 逃亡する独裁者と孫は旅芸人を演じて逃亡し続ける。
 独裁者はギターを弾き、孫は女の子に扮し踊り子を装う。

 

 あるシーンで涙がこみ上げた。

 たき火を囲んで、逃亡中の独裁者と孫、その独裁者の息子夫婦を
殺害し、拷問を受け傷だらけの男たちが、ウォッカを回し飲みするシーン。

 

 拷問した側とされた側。
された側の男たちの会話は、その独裁者に復讐するか、しないかで意見が分かれる。

独裁者は、自分の命令でやってきたこと~実際には手を下していないこと~の実態を
リアルにされた人間たちから聞くことになる。

その独裁者は、自らの手でその自分に反旗を翻した男の拷問による

傷の手当てもし、彼が愛する人の元に帰る手助けもする。

 

 5年間投獄されていた間に、その男の愛する女性は結婚し、

子どもも授かっていた。

彼女への愛だけを心の支えに拷問に耐えてきた男は、自ら命を絶つ。

 

 小さな孫は起きることすべて、ほとんどが残酷な現実を

目の当たりにする。

 

 なんとか二人が、逃亡の終わりを迎えようとした時、

民衆の手に囚われてしまう。まずは、人々は見せしめに小さな孫を

絞首刑にしようとする。

 

 そこで、ある男が止めに入る。

独裁者と一緒にたき火を囲んだ男の一人だ。

自分も拷問を受けたが、「負の連鎖を断ち切らないと」という

意見の男だった。

最後の最後のシーンで、群衆はその独裁者の処刑を止めた男に

問う。

「殺さないなら、どうする?」と斧を持った男の問いに、
勇気あるその男はこたえる。

 

「踊らせろ!」と。

 

 孫は、祖父と逃避行の間に、
さまざまなことを学んだに違いない。

おそらく、普通の同じくらいの年の男の子なら、

知らなくても済むようなことばかりを。

たまたま独裁者の孫だったというだけの

理由で。


 それは、人間としてなのか、為政者としてなのか。
彼は、良い為政者になるだろうか。

そんなことをエンドロールを眺めながら想った。

 

 そして、ひとたび戦争が起きれば、
独裁者がやってきたことも反体制派が
やることも同じことに陥ってゆく人間の弱さと愚かさ。
負の連鎖が循環することになる。

 

 私は、あの独裁者の横に首を置ける人間になれるのか?
と自分に問う。
ものすごく重く、深い、答えのない問いに対して、
映像の力が、どこか悲壮感で終わらせない何かがある。

 

 マフマルバフ監督にもし会えたとしたら、
自分の感じたことをどう伝えるのだろうか。
わからない。

 新宿武蔵野館で29日まで上映中です。

ぜひ、ご覧いただきたい一作です。

 

新春恒例ミハイロフスキーバレエ団公演『ローレンシア(ラウレンシア)』鑑賞♬

ロシア版『水戸黄門』か?はたまた、女性版『スパルタクス』か?

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 昨年に引き続き、2016年もありがたいことに、サンクトペテルブルグにあるミハイロフスキーバレエ団の公演で幕を開けることができました!友人に券を譲っていただいたおかげで、このような良いお席での鑑賞。やはり、席によっても見ごたえが違いますね(*^▽^*)

 さて、今回拝見できた作品は、1939年、ソ連時代に作られた「コレオドラマ(舞踊劇)」という形式の芝居仕立てのバレエです。

 

 招へい元である光藍社の提供によるあらすじはこちらです↓

 

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 また、公式サイトには、ソ連、ロシアバレエ史の研究者であられる村山久美子さんが解説を書かれているので、そちらもどうぞご覧ください。

 

ミハイロフスキー劇場バレエ2016(旧レニングラード国立バレエ) 光藍社(こうらんしゃ)

 

 このバレエの初演は、1939年3月22日で、当時レニングラード(現サンクトペテルブルグ)のキーロフ劇場でのこと。振付は、キーロフ・バレエ団のソリストでもあったヴァフタング・チャブキアーニで、音楽はA.クレイン、台本がE.マンデルベルグ(劇作家ロペ・デ・ヴェガの原作に基ずく)。

 チャブキアーニは、グルジア出身で、ソ連的英雄像の象徴のような男性舞踊手だった。初演時、自ら主役のフロンドーソも演じ、タイトルロールのローレンシア(ラウレンシア)役は、キーロフバレエ団を代表するバレリーナ、ナタリア・ドゥジンスカヤだった。のちに、ボリショイ劇場プリセツカヤが踊ったものが有名です。

 まずは、チャブキアーニのフロンドーソをどうぞ!

 

www.youtube.com

 それからプリセツカヤのローレンシア(ラウレンシア)☆彡

 

www.youtube.com

 

 物語の主題は、スペインのカスティーリャのある村での農民蜂起で、理不尽な領主(この公演では騎士団長)に対し、村の住人であるローレンシア(ラウレンシア)とその婚約者フロンドーソが農民たちを指揮して、征伐するというもの。物語の展開としては、さしずめソ連版『水戸黄門』のような印象で、悪代官が権力を利用し、お気に入りの娘を自分のものにしようとしたり、横暴な行為に対して、ローレンシアとその婚約者フロンドーソ(水戸黄門のような存在ではないけれど)が、その悪事を裁くというもの。

 第三幕では、緞帳に映像で、ローレンシア(ラウレンシア)たちが領主の城に攻め込むシーンが映し出され革命の雰囲気の臨場感を演出していた。

 民衆を先導するローレンシア(ラウレンシア)は、まるで、ドラクロワの絵に描かれた『民衆を導く自由の女神』。松明を片手に持って、民衆を指揮する勇敢で、りりしく、逞しい姿。音楽の効果も相まって、まるでもう一つのソ連の傑作『スパルタクス』の女性版という印象でもあった。

 今回タイトルロールを演じたイリーナ・ペレン。去年の『白鳥の湖』でも彼女を見たし、彼女のオーロラ姫も見たことがあるが、このローレンシア(ラウレンシア)役が、私の中では、彼女の表現力を最大限に楽しめたものだった。

 やはり、現代女性は強いのか。いや、そもそも女性の本性にある逞しさ、りりしさ、力強さは時空を超えて普遍的なのかもしれない。

 そして、婚約者役のイワン・ワシーリエフ。噂にはかねがね聞いていたが、初の舞台での鑑賞だった。身体全体を使っての表現は、まるで飛び出す絵本のような迫力で、圧倒された。チャブキアーニ的な筋肉質な男性舞踊手で、ジャンプや回転も力強い。このフロンドーソ役としては適役だった。

 ただ、ちょっと気になったのが腰回り、股関節付近の筋肉の塊。この筋肉のコンディションでこのまま、この力技を見せ続けていたら、身体を壊すのではないかしら、などと余計な心配をしてしまいました(;'∀')

 実は、私がこのバレエ団で一番注目しているのが群舞!これは、芸術監督の手腕なのかもしれないけれど、とにかくキャラクターダンス、いわゆる民族舞踊のシーンでの、ダンサーたち一人一人の煌めきがまぶしい。

 舞台のすみずみまで、一人一人のダンサーがキラキラと音楽を紡ぐように踊るさまは、見てて本当にすがすがしい。これぞ、ロシアバレエの底力であり醍醐味!

 この作品は、日本であまり上演されることがないのは残念。内容的には深くないと言えば深くないのですが、ダンサー一人一人の能力が高くないと表現できない作品の一つと言えるでしょう。

 

注:このバレエの『ローレンシア』というタイトル名ですが、私の認識では『ラウレンシア』という読み方なのですが、ロシア語の発音ではどちらが正しいのかわからないので、両方表記しました。読みずらくてごめんなさい。

 

 

 

元祖『ロミオとジュリエット』、ラヴロフスキー版☆彡マリンスキー劇場バレエ団公演

プロコフィエフの作曲とラヴロフスキーの振付が同時進行の妙!

 

 これぞ元祖『ロミオとジュリエット』!マリンスキー劇場バレエ団によるラヴロフスキー版を見て、音楽と動きの見事な融合。そして、ストーリーが音楽と動きの融合によって語られる様をまざまざと見せつけられた気がしました。

 シュツットガルト・バレエ団のジョン・クランコ振付の『ロミオとジュリエット』やロイヤル・バレエ団のケネス・マクミラン振付の『ロミオとジュリエット』も何度も見たけれど、やっぱり本家はレオニード・ラヴロフスキー版だな、と思いました。

 クランコが振付する時に、このラヴロフスキー版のガリーナ・ウラーノワ主演の映像を何度も見て研究した、とカルラ・フラッチが話している映像を見た記憶があります。

 

www.youtube.com

 

www.ivc-tokyo.co.jp

 手前味噌になりますが、こちらのDVDの解説を担当しております(;'∀')

 

 この元祖『ロミオとジュリエット』の後に、新たな演出、振付で作品に息吹を与えたクランコとマクミランの勇気にも拍手を送りたい。

 でもやっぱり、音楽と振付、台本(この台本にもプロコフィエフは関わっている)が同時進行という創作過程のエネルギーを考えると、このラヴロフスキー版の価値は、マリウス・プティパチャイコフスキーの共同作業による『眠れる森の美女』に匹敵するものでしょう。

 マリンスキー劇場(当時はキーロフ劇場)での初演までには紆余曲折がありましたが、1940年にガリーナ・ウラーノワがジュリエットコンスタンティン・セルゲイエフがロミオを演じ、レーニングラードでの初演が実現したのです。

 プロコフィエフは当初、ラストシーンをハッピーエンドで終わらせたいと考えていたようですが、最終的には原作通りの悲劇的結末となったようです。

(ラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』に関しては、またゆっくりと書きたいです。)

 

 そして、今回の公演でのダンサーたちの好演に、「バレエは演劇で、音楽と動きによって登場人物の感情、そして情景までもが語られる」ということを改めて痛感した一日となりました。

 眼を閉じて、どのシーンを思い出しても色あせず、ストーリーが語られるようなのです。出演者すべての心の一体感、アンサンブルの妙、主役だけでは成立しない舞台進行。スターダンサーが素晴らしいバレエ団はたくさんありますが、この隅々までダンサーが個性的に役柄を生きているって、なかなか出会えないことです。

 マリンスキーの舞台は、何度も見ていますが、一番印象に残っている残念な舞台は、1992年(だと記憶)の『くるみ割り人形』でした。第二幕のお菓子の国の場面で、後ろの方に座っているダンサーたちが数名居眠りをしているとも思えるような、気の抜けた様子で座っていたのです。 

 ちょうどソ連邦が崩壊して、ダンサーたちが目標を見失い、チャンスのあるダンサーは、西側のバレエ団に移籍したりする状況がありました。

 1991年にペルミ国立バレエ団の劇場総裁にインタビューした時にも、「ダンサーたちが目標を見失っている現状は否めない」と仰っていました。

 その後、確か2000年くらいだったでしょうか。セルゲイ・ウィハレが1890年の初演版『眠れる森の美女』を復元し、日本でも上演された時でさえ、ある方から「ロシアのバレエダンサーが今後どのように生きていくか路頭に迷っている」というお話を伺ったことがあります。

 その危機の時代を乗り越えて、今のマリンスキーを見てください。ボリショイ・バレエ団が、いろんなスキャンダルに巻き込まれる中、なんとなくロシア・バレエ界の未来展望が見えにくくなっていた時期です。

 「歴史は力なり」でしょうか。ロシア最古のバレエ団のロシア・バレエの誇りを見せていただいたように感じます。

 そして、きっとボリショイ劇場もひと時の歴史の流れの中で、また火の鳥のように甦る日も遠くないと期待したいと思います。

 

 どんな困難な時代にも、ロシアと言う国は、バレエを支えて人材を育むシステムを守ってきているということです。ワガノワバレエ学校もボリショイバレエ学校もほかの地域のバレエ学校もなくならないでしょう。

 もし、これらの学校が亡くなった時、きっとロシア・バレエの本当の危機の時代が

やってくるのだと思います。でも、きっと大丈夫。歴史と伝統はなくならない。

 

 そして、先日マリンスキーの来日メンバーによる記者会見を見ましたら、彼らがしっかりとその伝統とバレエ芸術の本質を受け継いでいることが確認できました。

  

www.youtube.com

 バレエ芸術は総合芸術で、一人のスターダンサーで保てるものではない、ということをダンサーたち自身がしっかりと認識し、それを率いている芸術監督の考え方も明確です。

 そして、そして、そして、この日の公演に、なんとこのバレエ団出身の世界的スターバレリーナのナタリア・マカロワさんが、ご臨席されていたのです!同じ空間と作品をシェアできた興奮とあまりに素晴らしい作品に、久しぶりに感動しすぎてしましました。

 マリンスキー劇場からマカロワさんの75歳のお誕生日プレゼントとのことです。なんと粋な計らいでしょう。 

 

www.japanarts.co.jp

 

 マカロワさんが、どんな思いでこの作品をご覧になられたかと想像すると、なんだか胸が熱くなりました。ソ連時代に国を捨て西側に渡り、ソ連からロシアへの転換期を生きたバレリーナの目に、この作品はどのように映ったのでしょうか。

 2015年12月2日 東京文化会館にて

 

「近くて遠い」を感じる戸嶋靖昌の宇宙∞

書かずにはいれなくて☆彡

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戸嶋靖昌の世界に触れるため

スペイン大使館へと赴いた。

ある方の紹介で、戸嶋靖昌という画家の存在を知る。

友人を誘い、この世界に誘えるというのも特別な存在。

誘い誘われて大使館へ。

雨だった。

雨が良かった。

絵を見終わって、雨降る世界に出て、

戸嶋の絵を見て、陽光が燦燦と注ぐ世界に出るよりも、

雨の薄暗い、冷たい空気の世界に出る方が、

ふさわしい気がした。

大使館に入ると、白い長い廊下がギャラリーへと導いてくれる。

まるで産道に吸い込まれるように。

 

具象と抽象の狭間にあるような絵画たち。

ところどころに人物のブロンズ。

戸嶋の遺品には、持ち主の体温がそのまま残る。

 

壁から覗く視線が、あちらの世界とこちらの世界を

つなぐかのように見える。

声が、平面の絵画からの声が、

地響きのように体に振動し、声色は柔らかで

深く、心をなでる。

 

グラナダ~戸嶋が長く生きた土地

風景は、近くて遠い。

遠くから見る景色と近くから見える景色が違う。

人間もそうかと思う。

どちらも真実であり、戸嶋と私の出会いの場。

 

筆の息遣いが、命を感じさせる。

平面の絵に身体の感触がある。

 

深い深い黒と暗さが、明るい白と光を

際立たせて、温度を感じさせるものがある。

湿度、空気の乾燥した感じ、風が頬を伝う感じ。

木々のざわめきや水のせせらぎといった音も耳に残る。

グラナダは行ったことがない。

というか、スペインに行ったことがない。

でも、なぜか懐かしく、穏やかな気持ちになる。

激しさの中の静寂。

近くて遠い。

明るい、暗い。

しっとりとして、乾いた。

 

ありとあらゆる逆の世界が、

融合、混在する世界。

 

激しく魂を揺さぶられ、

心の中に昨日から戸嶋が生きずづいてしまったようだ。

命の宿る作品は永遠に生き、

作家はその作品の中で生き続けるということ。

 

肉体がないのに、この存在感。

会ってもないのに、会ったよう。

 

スペイン大使館での展覧会は、11月28日まで。

それ以後、戸嶋に出会いたい方は、麹町の記念館へ。

www.shigyo-sosyu.jp

 

 

 

2016年公演オーディション開催!~Ballet TRADITION「継承と育成」♬

日本バレエの未来を拓くプロジェクト発進!

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 来る12月10日新宿村スタジオにて、2016年9月9日予定の「第二回Ballet Traditon公演」のオーディションとワークショップが開催されます。締め切りが、11月30日と間近です。

 オーディションの詳細はこちらへ↓

 

www.wellness-arts.com

 キエフ・バレエ団で現在ご活躍中の田北志のぶさんのレッスン付きのオーディションが受けられるという、このワークショップに参加するだけでも意義深いものだと思います。 

 私も実際に田北さんのレッスンとヴァリエーションクラスを受講したことがありますが、ボリショイ仕込のワガノワ・メソッドと田北さんのお人柄あふれるレッスンの流れは、シンプルで軽快。田北さんのバレエへの愛、母国への想いを感じることができる至福の時間となりました。

 ぜひ、若いダンサーの皆さんには、本物の体験をしていただきたい。今の時代は、私がバレエを学び始めた40年以上も前に比べ、非常に恵まれていて、さまざまなワークショップも多く、世界のバレエのメソッドを学ぶチャンスがあります。

 しかし、古典バレエの基礎となるものは、やはりロシアのワガノワ・メソッドソ連時代に確立されたものではありますが)と言っても良いと思います。

 今見ることのできる『白鳥の湖』、『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』、『ライモンダ』、『バヤデール』などの古典バレエのほとんどの作品は、19世紀のロシアで誕生し、20世紀のソ連で完成度を高め、保存されてきたのです。

 私の個人的な意見かもしれませんが、やはり、ロシアの古典作品を踊る上で、ワガノワ・メソッドを学ぶことは、特に多感な若い時期の身体と感性にとっては、貴重な経験となるでしょう。作品のスタイルを表現するための身体の使い方があるのです。

 単なる「舞台経験」で終わることなく、その後の皆さんのバレエ人生につながる時間を過ごすことのできる機会になると思いますので、ぜひ参加してみてください!

 

田北さんの熱意、そして賛同したダンサーたちによる温かな第一回Ballet Tradition公演 

 「第一回Ballet Tradition公演」は、去る9月18日にすでに開催されました。バレエ史研究の大家でロシアバレエに造詣の深い薄井憲二氏を芸術監督に迎え、現在ウクライナ国立キエフ・バレエ団で第一舞踊手を務める田北志のぶさんが、ご自分も主演されながらプロデュ―サーを務められました。

 演目は、20世紀のモダンバレエの幕開けを告げたミハイル・フォーキン振付の『ㇾ・シルフィード』、子どもから大人まで参加できる創作バレエ『マッチ売りの少女』、そして、ロシアバレエの古典の傑作の一つマリウス・プティパ振付の『ライモンダ』第三幕という充実したバランスの良い内容構成の公演でした。

 とにかく、舞台上も客席も温かい空気に包まれた公演というのが、私の率直な感想です。田北さんの想い、コンセプトに賛同した第一線で活躍中のダンサーたちが、心を一つにして公演を盛り上げ、それを温かく支える観客たちが作り上げた公演だと感じました。

 一緒に公演を見ていた方の「コールド・バレエって本当に大変なのね」という言葉が心に残っています。『ㇾ・シルフィード』のコールド・バレエ(群舞)の一人一人への指導が行き届いていることを象徴する言葉でしよう。

新規プロジェクト Spring of Arts

 この公演は、田北さんとロシア・バレエ・インスティテュートで共にロシア・バレエを学んだ土井由希子さん(ウェルネス・アーツ・スタジオ)と冨永典子さん(TNBallet STUDIO)が、バレエ芸術の継承と育成をテーマに掲げ、Spring of Arts として設立したプロジェクトの一環で、薄井憲二先生も非常に期待を寄せてくださっているとのこと。

 今後もさまざまな形で幅広い活動の展開が予定されるとのことで、日本バレエ界の未来への第一歩を感じさせます。

 伝統を受け継ぎつつ、新しい表現を切り拓く。いつの時代の芸術家たちもチャレンジしていたこと。今の日本にその新しい動きを起こそうとしている田北さんたちの活動を心から応援したいと思います。

 

 では、ロシアで最も歴史の古いバレエ団マリンスキーバレエ団によるバレエの詩

『ㇾ・シルフィード(原題ショピニアーナ)』をどうぞ♪

 

www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

バレエ『エスメラルダ』あらすじ~【第二幕】、【第三幕】

 お待たせしました。バレエ『エスメラルダ』のあらすじの続き、【第二幕】と【第三幕】です!【第二幕】には有名なパ・ド・ドゥ「ディアナとアクティオン」が踊られます☆彡

 【第二幕】第三場 フルール・ド・リス(百合の花の意味~フェビュスの婚約者)

 

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  (注)フルール・ド・リスは、日本語では「百合の花」を意味しますが、実際はアヤメの花です。フランス王家を象徴する家紋で、この女性が王家と関係がある高貴な身分であることを示している。そして、それがエスメラルダにとって何を意味するか、ご想像ください。

 【第二幕】壮大な邸宅、祝宴のためにまばゆく輝いている

 フェビュスとフルード・ド・リスの婚約式の準備が着々と進んでいる。

  

素敵な懇親パーティーでバレエ史プチセミナー♪

YURI ecole de ballet contemporain主催 田中ゆり先生からのお誘いを受けて☆彡

 

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 少し時間が経ってしまったのですが、去る10月11日に国立のフェルミエールという

素敵なレストランで、YURI ecole de ballet contemporainというバレエスタジオ主催の

田中ゆり先生にお声をかけていただき、このスタジオの生徒さんと保護者の方たちの

懇親パーティでプチバレエ史セミナーをさせていただきました。

 以前から、このパーティの雰囲気はフェイスブックのお写真などで拝見していて、

素敵な会をされているな~と思っていました。

 ゆり先生とのつながりは、ツイッター時代に遡ります。ゆり先生は、私のバレエ史講座に長い間ご興味を持ってくださっていて、それに加えて、ピナ・バウシュが大好きで市田京美さんのWSにも「ぜひ、生徒を参加させたい」と意欲的な方で、生徒さんにさまざまな表現スタイルを学ぶ場を提供されています。

 初対面が、実はこの10月11日の懇親会当日の朝。でも、FBでもいろいろと投稿をお互いに見ていたのと、メッセージのやり取りを通して共感することが多かったので、初めて会ったけど、会話はもうくるくる弾みましたw

 先生の意外なバックグラウンドにも心惹かれ、バロック好きということもわかり、

これは話が早いと思いました。

 案の定、バレエ史セミナーの方も、こんな感覚は初めてなくらいで、会場の空気が私を支えてくださって、最初の緊張はどこへ吹っ飛んだかというくらいに楽しくお話しできました。

 

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 小さな生徒さんは5歳から一番大きな生徒さんが中学三年生まで。保護者の方々もとても興味深く聞いてくださって、本当に温かな空気の流れる会でした。事前に、バレエ史に関するアンケートをお配りして、いろいろと質問をしました。

 良くご存知の生徒さんや保護者の方も多く、私自身知らないこともあり、大変勉強になりました!

 DVDのセッティングなどレストランのスタッフの方もお手伝いくださって、セミナーの流れも滞ることなく本当に助かりました。

 こういう機会を与えていただくたびに思うのですが、舞台も同様ですが、お話の会も私一人ではできいないということです。

 今回は、私が用意した資料の参加者分のコピーなどはすべて後援会の方が手伝ってくださいました。このようなサポート体制があるのも、ゆり先生のお人柄だな~と思います。

 

 プロローグがかなり長くなりましたがw

 セミナーの内容の流れは、やはりバレエの基礎を確立したルイ14世からお話ししました。私もまだまだ勉強中ではありますが、当時の人たちが踊った舞踏譜を見ながら、「アポロンのアントレ」(1680年の作品)を見てもらいました。

 はっきり言ってしまいますと、1680年にどのように踊ったか?なんて確実なことはだれも知らないのですwヴィデオがない時代ですから、資料として残されている舞踏譜と音楽と版画などをもとに踊りを再構成しているのです。上体の使い方などはピエール・ラモーの『舞踊教師』を研究しているとのことです。

 

 

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 最初のプレパレーションのポーズだけ、一番年長の生徒さんに代表して実演してもらいました。左足前のクロワゼ・デリエールから始まります。

 今回、皆さんにお見せした1680年の『愛の勝利』という作品の中の舞踊シーン「アポロンのアントレ」は、ルイ14世が実際には踊ってないと考えられます。というのは、ルイ14世は1670年には、自らが舞台に立って踊ることを辞めたと言われているのです。でも、このアントレを王として絶頂期にあったルイ14世が玉座に座り、自分が踊っているような気分で見ていたのではないか、と想像することができます。

  今回、この映像をお見せした理由の一つは、「バレエ」と言っても時代によって、その様式や踊り方、音楽が違うということを知ってもらいたいと思ったからです。

 この踊りを見て、「何を感じたか」ということの方が大事なのです。今のバレエと違うなら、「何が違うのか?」、「どうしてこういう踊りなのか?」、「衣装が違う」などに気づいてもらえればと思いました。

 そして、バレエにとって音楽が非常に重要で、特にこのルイ14世時代に踊られたバロックダンスというものは、「動きは音楽そのもの」なので、ある意味舞踏譜に囚われず、まず「音楽が求める動き」がどのようなものか、という地点に立ってみるというのも良い経験かと思います。

 

 そして、今でも楽しめる「ロマンティック・バレエ」のスタイルを紹介するために『パ・ド・カトル』(1845年ロンドン初演)をお見せして、当時のトーシューズが今のように固くなかったことなどをお話ししました。この記事の最初の絵をご覧ください。

 まるで、この絵が動き出すように始まりますよ!

 

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 ガス灯などの照明の技術も進み、衣装も軽くなり、さまざまな科学技術と芸術のコラボレーションによって、バレエ芸術が発展していった時代のお話しです。

 中心地はパリ、ロンドンなどの大都市で、ヨーロッパ各地、ロシアのサンクト・ペテルブルクや北米まで公演が行われました。

 

 そして、バレエは1870年以降、ヨーロッパでは「芸術的な価値」が低くなってゆく傾向が強くなってゆきます。その環境の中でも、もちろん良い作品を作り続けた人たちもいました。

 しかし、ロマンティック・バレエの時代をけん引した才能豊かな振付家や舞踊教師たちが、ロシアに向かい、ロシアでのバレエ文化の繁栄の下準備をしたことは間違いありません。

 その中で最もロシア・バレエの発展に貢献したのがマリウス・プティパというフランス人舞踊家兼振付家でした。

 皆さん良くご存知のチャイコフスキーと一緒にバレエを作った人です。『白鳥の湖』、『眠れる森の美女』、『くるみ割り人形』とチャイコフスキーの三大バレエと言われていますが、中でも一番プティパとチャイコフスキーが綿密に計画を立てて、一緒に作品を作り上げたのは、1890年初演の『眠れる森の美女』です。

 台本をプティパが書き、作曲もチャイコフスキーに注文を出して、二人は話し合いをしながら作ったようです。

 その1890年の初演時のものを復元した演出の第三幕の結婚式のパ・ド・ドゥをお見せしました。衣装も当時のデッサンを元に作っているので、見慣れたものとは少し違います。

  これは、セミナーでお見せした配役とは違いますが、オブラスツォーワのオーロラです。

 

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 そして、最後に、このセミナーにお声をかけてくださったゆり先生へのプレゼントの映像を見ていただきました。プティパの後にロシア・バレエに新しい風を起こしたフォーキンとアンナ・パヴロワに登場してもらい、定番の『瀕死の白鳥』で幕引きとさせていただきました。

 

 

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 この映像をはじめてご覧になる方は、本当に感動してくださいます。「こんな時代の映像が残ってるんですね~!」と。そういう新鮮な感動が何よりも嬉しいですし、私自身が忘れないようにしたい感覚です☆彡

 

 お話しが終わっても、生徒さん、保護者の皆さんが、私が持参した18世紀の舞踊の教科書『舞踊教師』や1700年に出版された舞踏譜の本、それから、17世紀の童話の絵本などを興味深く読んだり、見たりしてくださってました。

 

 このような活動を少しずつでも継続できると、嬉しいなと思いました。別に、無理にお勉強しなくていいんです。覚えなくていいんです。ちょっとだけ興味を持ってもらえれば。そして、小さな心に小さな「学びの種」が植えられること。育てるのは子どもたち自身。それが私の願いです☆彡