Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

日本ダンス医科学研究会 特別セミナーに参加☆彡

国際ダンス医科学研究会会長 ジャネット・カリン氏による特別講演

 今年の四月にパーソナルストレッチトレーナーの勉強を始め、第一段階の資格を取得して以来、学生時代の友人が口コミで広げてくださったことやバレエ教師の友人の生徒さんなど、おかげさまでたくさんの方の身体を施術させていただいています。

 

 指導トレーナーの「身体に正解はない。クライアントさんの身体が教え、導いてくれることに敏感に反応して、その個々の身体へのアプローチをすること」という教えを胸に日々過ごしています。

 職種によって、日常生活の姿勢や動き、そして、それに伴い心の動きも違うので、身体って本当に一人一人違うし、同じ人でも日によって違います。そんな「違い」に触れ、その人の「今日の身体と心」に敏感に反応して、時間を過ごせる充実感もあります。

 本当に周りの方に恵まれて、今回はアレクサンダーテクニック教師のM先生にお誘いいただき、バレエ指導者のY先生もご一緒に、日本ダンス医科学研究会の講演会を聴講できました。

 テーマは、事前に知らされていたのは、国際ダンス医科学研究会会長でオーストラリア・バレエ学校教師、元オーストラリア・バレエ団プリンシパルのジャネット・カリン氏による「ダンス教育と医科学」というものでした。

 当日発表されたテーマは、ミラーニューロンとそのミラーニューロンの働きによる

ミラーセラピーによるけがのケアについての具体的な内容でした。

 

 ミラーニューロンについては、こちらの本が先駆けのようです。

 

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 また、興味深い記事として、編集者として名高い松岡正剛氏のこちらのコラムをどうぞ!

http://1000ya.isis.ne.jp/1469.html

 

 とりとめなくて申し訳ない文章になっていますが、とにかく忘れたくないことを取り急ぎ、ここに記録しておこうと思って書いています。

  

 講師のジャネット・カリンさんは、ご自身が医者ではないけれども、ご自身のダンサーとしての経験とバレエ教師としての経験に基づいて、ダンサーを目指す子どもたちや現役ダンサーたちのケアに関わっていらしたようです。

 今やピラティスをはじめ、アレクサンダーテクニック、フェルデンクライス、ロルフィング、ジャイロキネシス、ヨガなど、バレエを学ぶ人、ダンサーたちにとって身体のケアの仕方はいろいろありますが、カリンさんは独自の研究のもとに、自らをkinetic educatorというあり方で表現されていました。

 

 講演の内容はもちろん興味深かったのですが、私のような駆け出しのトレーナーにとって、しかも医学の勉強をきちんとしたこともなく、経験上バレエやモダンダンス、バオソルやバロックダンスなど、身体の使い方はさまざま学んでいる経験値に基ずく施術を行っているものにとって、非常に頼もしい後ろ姿に感じました。

 もちろん、カリンさんはバレエダンサーとしてのキャリアが素晴らしいわけですから、レベルの差は十分理解しております(;'∀')

 ただ、今私が立っているところから将来の自分の像を眺めた時に、kinetic educatorという言葉が心の中に刻印されたのです。

 私が自分のあり方として、どのような言葉で表現するのが適切かということを今深く考えているところなので、このkinetic educatorというカリンさんの発想がとても興味深かったのです。

 

 現在、週に3,4人の施術をしています。バレエ教師、通訳、ピアニスト、フレンチシェフ、会社員、大人からバレエを習っている人など、それぞれライフスタイルが違います。必然的に、身体の使い方も癖も違うので、それぞれの身体が私の先生です。 

 それと同時に、心理的な状態にも気を配ります。その日の精神的なコンディションも

人それぞれ違います。

 そう考えてゆくと、単に「身体」と言っても、非常に「心」の状態が、コリやつまりに影響するということがわかります。

 

  たとえば、今施術させていただいている二人の方を例に気付いたことです。

  1)通訳を職業とされているIさんの場合

 長年病気を抱えていて、施術期間は長期展望。病気の治療と並行して、インナーマッスルや体幹を整えることで、身体のコンディショニングを希望されています。結果的に免疫力を上げることで、病気の治癒を目指しているという状態です。仕事が忙しいときとゆったりな時の差によって身体の変化はありますが、その精神的な緊張感が、施術者である私にはさほど影響はありません。

 

 2)バレエを大人から学んでいるKさん

 彼女の場合も、長期的にバレエが踊りやすい身体に向かいたいという展望と短期的に近々舞台があるので、舞台というテンションが身体にかかります。 

 私の感覚では、舞台に向かう身体へのテンションは意外に強くて、これは、私自身がそのテンションを経験していることもあり、施術者である私の身体にも響いてくるということに気づきました。

 その響きから何を導きだすかということを考えるのも面白いわけです(#^^#)

 

 もう一つ最近気づいたこと。「痛い」部分は、「痛み」がその部分を守ってくれているで、逆に痛くない部分で、その痛い部分をかばっているところへのアプローチを入念にすることが大事かな、というところに行きつきました。

 それも、クライアントさんの身体が教えてくださることなのですが、「痛い」部分の

痛みを取るという発想を切り替えて、「痛い」部分をかばっているところへのケアを心がける。

 そして、痛い部分は身体全体の一部なので、基本的に施術は毎回全身のメンテナンスで行います。部分的に施術しても、「痛み」や「不具合」がどこからやってきているかは、お医者様ではないので特定できないのです。

 ですから、全身をメンテナンスすることで部分的な痛みもケアするという方法が、今の私には合っているようです。そして、常に自分の知識や認識を客観的に確認する必要があります。

 そんな状況にある私にとって、ジャネット・カリンさんの考え方、身体へのアプローチの仕方は非常に共感できるもので、たくさんの学びを頂きました。

 そして、彼女が最後の方で、「いろんな専門分野の人たちが、貴重な情報をシェアすることが大切」と仰ったと思うのですが、いつも心にとめている「補い合う」という人との関係性に関してもOKを頂いたような気持ちになりました。

 ジャネット・カリンさんのプロフィール詳細はこちらです↓

http://www.australianballetschool.com.au/content/aboutus/staff/karin.html

 

  また、講演内容について書きたくなるかもしれません(#^^#)

 一言だけ書くと

 <ミラーニューロンは、動作だけではなくて、表情や感情も鏡のように映す!

 視覚が触覚を喚起する!>

 

 そして、アレクサンダーテクニック教師のM先生の細やかなお知らせとして、

 「視覚がない方々がどのように見て、感じているかを聞いた『目の見えない人は世界をどう見ているのか』伊藤亜紗著、光文社新書も合わせて考察すると、とても興味深くお薦めです!」とのことです☆

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久々のバレエ史のお話会♪

子どもたちは素晴らしい!

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 友人の主催するバレエスタジオで「バレエ史のお話をしてほしい」とご依頼をいただき久々のバレエ史のお話をしました。

 生徒さんがどれくらい集まるのかわからなかったので(だいたいいつもそんなに多くないことを想定しているw)、はじめてのスタジオということもあり、あまりメニューを考えず、手作りのバレエ史紙芝居(上の写真)と数枚のバレエ映像のDVDを携えて伺いました。それから、1725年に出版されたバレエの教本ピエール・ラモー著『舞踊教師』も(下の古い本です)。

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  昨日は小1から小3のクラス、小学校高学年のクラス、そして、中学生以上のクラスの三クラスがあるとのことで、低学年のクラスと高学年のクラスの間に一度目のトーク、それから、コンクールに出る位の子たちのためのトークと二回に分けてお話ししました。

 

 このスタジオでバレエ史のお話をするのが初めてだったので、あまり綿密に準備をせずに、生徒さんの人数もわからなかったので、その時の様子を見ながらお話を進めるという方法を試してみました。

 紙芝居を一人一人に配って、その絵をお互いに見せ合いながら、そして、その絵を元に私が少し質問する形で進めました。

 「この絵の中で見たことのあるものはある?見たことありそうなものでもいいよ」と言うと、「見たことありそう」とか「ある~」とか結構反応が良い!

 「バレエって今から何年前くらいから踊られてると思う?」というと、一人の男の子が『500年前」とほぼドンピシャリの答えを言ってくれて、私もびっくり(@@)

 あと、「じゃあバレエってどこの国で産まれたものかな?」というと、「スペイン」とか「フランス」とか、結構いい感じです☆彡 ヒントを出して、「パスタの国は?」というと、「イタリア!」とみんなが答えてくれました。

 小さな子たちなので、映像は何を見せようか悩みましたが、やはり、私のスタイルとしては、アンナ・パヴロワの『瀕死の白鳥』を見せました。 

 見終わってから、「この踊りを見て何か気づいたこととか、感じたことがある?」と質問すると、「手の動きがすごい」とか「ずっとつま先で踊ってる」という言葉が出てきました。

 そして、少しだけアンナ・パヴロワというバレリーナについて、白鳥を自分で育てていたことや『瀕死の白鳥』という作品についても説明しました。

 

 なかなか低学年の子たちの興味を惹きつけるのは難しいのですが、帰り際に何人かが、私のところにやってきて「お話にとても興味を持ちました!」と目をキラキラさせて感想を言ってくれたので、「また、お話に来てもいい?」って言ったら、「うん!」と言って帰ってゆきました。

 お母様のお一人が、「あんな古い映像が残ってるなんて鳥肌が立ちました」と声をかけてくださって、もっとたくさんお伝えしたいと思いました。

 

 男の子が一人だったので、「男性の踊り見たい?」と聞くと、ニコニコして「見たい」と言います。

 今の子って、どんな男性舞踊手が好きかな~って思ったけど、私の好みでフェルナンド・ブフォネスの『パキータ』のヴァリエーションとバリシニコフの『薔薇の精』を見てもらいました。音楽が始まったら、「あ、この音楽知ってる!」と食い入るように映像を見ながら、「すごい跳躍だな~」と真剣な表情でした。

 

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 (ブフォネスのヴァリエーションは、17分55秒くらいからです。)

 

 二回目のお話の時間には、最初のお話を聞いてくれた男の子も加わって、10人ほど中学生以上のコンクールにも出場するような生徒たちが集まってくれました。最初は、おとなしい子たちなのかなと思っていたのですが、だんだんと口を開くようになって来ました。

 こちらの生徒さんたちには、紙芝居の中から自分たちで「好きなもの」を選んでもらいました。すかさず、男の子はルイ14世の太陽の姿の絵を選んで「ボクはこれ」とキープ。どうしてルイ14世を選んだかを聞いていみると、

 「僕は歴史に興味があって、バレエの基礎を作ったという王様にとても興味がありました」との答え!そこから、なぜバレエ用語がフランス語なのかというお話につながりました。

 

 そして、彼に続いてほかの女の子たちにも「自分が選んだ絵(写真)について、どうしてそれを選んだのか。または、その絵を見て何を感じたか教えてくれる?」と質問しました。

 最初は、「もう少し考えたい」と言う子が数名いたのですが、一人の生徒が話し出すと、次々と自分が選んだものについて話してくれました。

 生徒さんたちの答えに刺激を受けて、私も次のお話につなげられるという理想的な展開になりました。

 

 そして、お話がある程度落ち着いてから、友人のバレエ教師Mさんから「ところで、ストレッチの方も教えてもらえるの?」と促され、子どもたちの足を見ることになりました。ここの生徒たちは、先生がきちんと足をマッサージしているようで、とてもきれいな足をしています。

 それぞれの足を触って、一番ポジションに立った時の立ち姿を確認してもらいました。それぞれ少しずつ膝の位置が上がって、子どもたちから「立ちやすくて足がとても軽い」という感想をもらいました。

 一人一人の時間が十分ではなかったのですが、自分の足がメンテナンスによって変わることを自分の目で見て、お友達の足の形の変化を確認して、納得できたようです。

 私が一人の生徒の足を触っているときに、ほかの子たちはなんと古いバレエの教科書を丁寧にめくりながら、絵を見ては「これ、とっても綺麗」とか話しているではありませんか!

 「ここの帽子のところは、こんなこと書いてあるんじゃないの?」とか。フランス語読めなくても理解しているんですよ、想像力を働かせて!

 そして、「これ、日本語で読みたいね~」だって( *´艸`)なんと嬉しい言葉でしょうか。私の仕事が増えたかしら(笑)古いフランス語なので、なかなか大変な作業になると思うので、老後の大仕事となりそうです。

 

 子どもの好奇心と想像力は、導けばどんどん出てくるもの~と感心した一日となりました。

 見たい映像も生徒たち自身で選んでもらいました。なんと『瀕死の白鳥』を選んでくれました!

 そして、この作品が非常にシンプルな動きの連続で、派手な動きがないのにどうして、世界中の多くの人を魅了したかということを少しお話ししました。

 

 最後に、バレエを続ける上で、そして、もしバレエではない道を歩んでも大切にしてほしいことをお伝えしました。

 バレエにとって大切なことって、特別なことじゃないということ。丁寧に人と接すること。毎日、お家の人が作ってくれるお食事を大事にいただくこと。このジャガイモは誰が作ったんだろうと想像してみること。作った人のことを考えると自然と大事にいただけるでしょうと。

 そういう日常の特別じゃないことが、あなたたちの踊りにすべて出ると私は考えているということをお伝えしました。

 

 生徒さんたちの表情に、なんだか伝わったな~というものを感じました。話はじめの顔つきと終わった時の顔つきが少し変わって見えました☆彡 

 

 

 

 

 

 

 

田中誠司舞踏公演『風のない子』 日暮里 d-倉庫

誠司は脱皮して服を着た

 フレッシュな感想じゃないけれど、開けたてのワインより、少し時間が経って空気を含んだワインをじっくり楽しむ方が好きなので、27日の土曜日に立ち会った田中誠司の舞踏について書いてみる。批評じゃなくて感想。

 

 この日は、まず六本木の国立新美術館ルネ・マグリット展を夫と見る約束をしていた。乃木坂の駅で夫と待ち合わせ。最初は、田中の公演は一人で行く予定だった。

 乃木坂までの電車の中で、「今日はd-倉庫かあ。初めての場所。日暮里か~」とふといつもない不安な感じがやってきた。夫にメールを送って、「やっぱり今日一緒に舞踏みよう」と誘った。そして、美術館について田中のパートナーの佳代さんにすぐに電話をしてチケットをキープしてもらった。

 マグリット展は、人間の頭を見るようなものだったけど、何作か好きな作品だけを見て、ものすごい勢いで会場を抜ける。たぶん滞在時間20分ないくらい(;'∀')

 

 そして日暮里に向かう。うーん、六本木とは空気の軽さが違う。なんだか、大地がじっとりしている。梅雨だからじゃなくて、土地の感じがじっとりとしていて重い土の感じ。なんかいろんな霊さまたちもいそうな。

 最近は、霊さまたちをお引き受けするようにしている。「私でよければ一緒に生きましょう」って感じで。

 でも、あ~重いな~と身重のような身体を引きずり、ついでにd-倉庫はやっぱり迷子になった。めずらしく夫の方位磁石も若干狂ったようだ(笑)

 途中で、クロネコヤマトのお兄さんが道を教えてくれた。とても感じの良い人だった。道が込み入ってるから、このあたりは自転車での配達。大変だ~。

 

 ようやく会場に辿り着き、階段を上がった二階のフロアに受付があった。

 見覚えのある睦美さんの顔が見えてホッとした。彼女も舞踏家で、以前田中のパートナーの佳代さんの絵の個展の時にもお目にかかっていて印象的だった。 

 この日は受付嬢ということもあり、素敵ないでたちで受付に立っていた。彼女の周りにオレンジ色のオーラがきらきらしていた。その空気感に誘われて、客席に向かおうとすると、正面に田中のパートナーの阪東佳代の絵が現れた。田中の舞のタイトルと同じ『風のない子』という絵だ。

 そして、その絵と呼応するように、絵の左隣りに田中の師匠の大野慶人さんからのお祝いの花が飾られていた。たぶん、けむり草!けむり草をお祝いに贈るとは!慶人さんがけむり草になって舞っているようなエネルギーを感じた。あ~写真を撮っておけば良かったと後悔。

 けむり草は個人的に好きな植物。生きて呼吸しているような形をしている。この世のものとは思えない自然の造形物。凄まじい力を感じる植物。

 

 ここまでまだ客席までの入り口。客席へ向かう下り階段。

 

 客席の一番下の方に舞台が広がり、空間には中央に一枚の布(真ん中割れてて出入り可能)が見え、ちょっと能舞台を想わせる四隅に骨のオブジェが見えた。

 

 基本的に、古典芸能以外の表現は感覚で見るので、解説などは読まない。だから、

この文章に綴られたことと田中の表現したいこととが食い違うかもしれない。でも、それも私と田中の作品の交流であるので良い。

 

 白塗りの身体に黒い紋付羽織をまとった田中が現れる。動きは、いつものように心の繊細な声を表すかのようにシンプルな動きが繰り広げられる。

 舞踏の動きは、というか結局表現を突き詰めてゆくと、表現者はごく少ない言葉数でたくさんの表現の質を求めてゆく。 

 基本的に動きは、「立つ」、「歩く」、「寝転がる」、「足を動かす」、「手を動かす」、「頭を動かす」、「背骨をまっすぐにする」、「回る」、「くねらせる」、「まるまる」、「そらす」、「指を動かす」、まだあるかな。

 そんなことの組み合わせと質感をどこまで求めるかということに行きついてゆくのだと思う。これはどんな表現にも通じるものだと思う。

 そのシンプルな動きに、その表現者の「いま」が在るか、ということ。

 

 70分間の独舞に挑んだ田中の身体の集中力と精神の柳のようなしなやかな強さ。最初の三分の二くらいの時間は白黒のモノトーンに近い世界の中で、音も音楽ではなく、呼吸と足を運ぶ時のかすかな音を妨げない。

 

 気が付くと自分も田中と一緒に呼吸をしている。まるで一緒に舞うように。舞台の上の空気と客席の空気が融合する時に、表現者の世界は最後の一筆を与えられる。

 

 舞踏に意味は求めない。 

 

 でも、この舞に与えられた『風のない子』という名前はなんだったのか。

 私にとっては、この作品のテーマなのか?「また、生まれ変わる」という言葉が心に刻まれた。

 

 「生まれ変わる」ということは、どういうことなのか。私たちは日々生まれ変わっているようにも感じている。

 今日の自分は明日の自分ではない、とは日々感じるし。

 

 「生まれ変わる」=「脱皮」

  

  この文章を書くまでの数日間の間に、田中の舞を想い、そして浮かんだ言葉は「脱皮」。どちらかとうと「脱皮」。この言葉が出てくるきっかけとなったのは、田中本人からの「今は抜け殻」という言葉。 

 

 でも、私からすると「脱皮」。

 

 まるで、蝶や蛾が脱皮して、成虫になり新たな世界に呼吸すること。そして、その脱皮した直後の衝撃を想像してみた。

 

 赤ちゃんがこの世に出てきたときの産声は、この世に出てきた衝撃からの叫びなのか、恐怖じゃないか。今まで小さな空間で母と温もりのある水に守られてた世界から突如、わけのわからない空気の世界に飛び出してくるんだから当然な恐怖。

 それに近いものが脱皮後の成虫にも待っているのではないだろうか。

 

 脱皮した誠司が服を着て舞台にいる。

 

 こんなに服を着ているという、日常の姿に違和感を覚えることもめったにない。日常と非日常の迷走。

 ナイフとフォークを持って、まるで何かセレモニーに出席するような雰囲気の姿。舞台の真ん中に色鮮やかな花のオブジェ。なんだかお花畑のようなイメージも湧く。

 ナイフとフォークももはや食べ物を運ぶものではない。

 

 身体という生身のものとは違う物質的な何か。

 洋服とナイフとフォークがあることで、一層生身のものの生々しさが際立つ感じ。

 

 身体という生もの。花も生もの。命あるものへの慈しみ。

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 赤い命のあったかいものがそこにあった。

 

 こう言葉を連ねてくると、最初の紋付羽織から脱皮して「生まれ変わる」

という時間の流れを考えると、不思議と田中のパートナーの佳代の絵画の世界につながる。

 彼女の表現に認められたヤママユ蛾の生涯。

 私の勝手な想像。

 

 でも、二人の世界が呼応し合って、新たな表現世界が生まれようとしているのを感じる。

 

 

バレエ『エスメラルダ』のあらすじ【第一幕】♪

そもそも『エスメラルダ』の物語って?

 

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 エスメラルダを演じるカルロッタ・グリジ(1844年 ロンドン)NY公立図書館蔵

 

 前の記事を読み返して、バレエのことをあまりご存じない方には、少し不親切だったと反省いたしました!そして、ある意味、自分もそもそものバレエ『エスメラルダ』の物語をしっかり把握していないということにも気づき、整理することにします。

 原作は、ご紹介したようにヴィクトル・ユーゴーという19世紀ロマン主義文学を代表するフランスの作家の『ノートルダム・ド・パリ』という小説です。

 舞台は、15世紀のパリ。

 <主な登場人物>

 エスメラルダ 美しいジプシーの踊り子

 カジモド ノートルダム寺院の鐘つき男

 クロード・フロロ ノートルダム寺院助祭

 ピエール・グランゴワール 貧しい詩人

 フェビュス・ド・シャトーペル 王室射手隊長

 フルール・ド・リス(「百合の花」という意味) フェビュスのフィアンセ

 フルール・ド・リスの母親

 クロパン 浮浪者集団の長

 

 15世紀のパリの街の雰囲気や市民の生活を背景に、登場人物たちの人間模様が生き生きと描かれ、フランスのこの時代で生きるそれぞれの身分や階層の差にまで、鋭い視線が向けられています。

 

 少し脱線しますが、ずっと気になっていたこと。鐘つき男の名前が、カジモド。変な名前だなってずっと思っていたのが、この度理解できてスッキリしました。

 カジモドの名前の由来は、どうやら二つあるようです。カジモドがノートルダム寺院の前に捨てられていた捨て子で、復活祭の次の日曜日(クァッモド祭の日)に、助祭長のフロロが拾ったことから「クァッモド祭」にちなんでカジモドと名付けられたとのこと。聖職者らしい名付け方だと素直に思います。

 もう一つは、quasi-modoのquasi の意味が<ほとんど>ということで、人間としてはできそこないだけど、<ほとんど人間>というj非常に聖職者としては心の裏側を表す発想です。これはカジモドの容貌にちなんだものとの解釈です。

 エスメラルダは、恋をしてはいけない相手の王室射手隊長フェビュスに心を奪われ、そこに貧しい詩人グランゴワールやカジモドの感情も絡まってくる、、、、。

 この時代特有の主題、宿命の女(ファム・ファタール)を巡る物語とも言えるでしょう。

   

 【第一幕】<第一場>

  奇跡の中庭 Cour des Miracles(←なんと「悪党の巣窟」の意味)

  ~とある小さな広場

 

  日没。行商人たち、裕福な階級の人々、一般の市民たちも足早に市の立つ広場から去ってゆく。夜のとばりが下りるとともに、そこは「悪党の巣窟」~つまり、浮浪者たちやジプシーたち、物乞いたちなどの王国~に様変わりするから。

 グランゴワールは,広場に迷い込み、盗賊たちに捕まってしまう。貧しい詩人に金目のものがないとわかると、浮浪者たちは彼を死刑にすると告げる。しかし、彼らの掟によると、彼と結婚してくれる女性がいれば、彼の命は助かるという。とはいえ、そんなことを誰も望みはしない。そして、グランゴワールは絞首刑となる。この瞬間に、魅力的なエスメラルダがやってくる。 

 何が起きているのかを知ると、彼女は、彼の妻になることで、その不運な男を助けることに、すぐに同意する。グランゴワールは、この上ない幸せものとなる。二人は四年間結婚生活を送った。

 浮浪者たちの習慣にのっとって、グランゴワールが、割った水差しのたくさんの破片が飛び散り、お馴染みのどんちゃん騒ぎが始まる。

 ずるがしこい助祭長フロロは、ひそかにエスメラルダに欲望の炎を燃やしていて、浮浪者の親分クロタンに彼女を誘拐するようにそそのかす。そして、鐘つき男のカジモドにそれを実行するように命じる。

 悪党たちが、巡視隊に止められる。隊長のフェビュスがカジモドを逮捕するように命じ、美しいジプシーの娘を助ける。エスメラルダは、フェビュスの気品と美貌のとりことなり、深く彼に感謝する。

 フェビュスは、エスメラルダに思い出の品として彼のスカーフを渡す。そして、彼は、心優しい娘の頼みでカジモドを釈放し、彼女を口説こうとするが、エスメラルダはこっそりと立ち去る。

 

 <第二場>

 新婚夫婦~エスメラルダの部屋

 物思いに沈んだエスメラルダは、フェビュスにもらったスカーフを見つめている。

彼の名前を表すアルファベットの文字を取り出して、彼女の心にとって大切なこの言葉の前で踊る。

 グランゴワールが登場する。彼はエスメラルダを抱きしめようとする。夫としての権利を主張するかのように。しかし、エスメラルダは彼に、自分はただ彼を死から救いたかっただけで、妻になることは決してないことを告げる。この不運な”夫”は、自分の宿命を受け入れ、エスメラルダの踊りのパートナーとなることに同意する。そして、彼女はグランゴワールに踊りを教えはじめる。

 エスメラルダは、グランゴワールに彼の部屋を見せ、そこに一人残す。

 彼女は、フェビュスのことを夢想する。奥の扉がゆっくりと開き、不気味なフロロの姿が現れる。怖れおののくエスメラルダは、フロロに立ち去るように頼む。しかし、フロロはひざまずき、エスメラルダに、自分の溢れる思いを受け入れてくれように懇願する。

 彼女は軽蔑するように拒絶する。そして、フェビュスの名前を指さして、「この男性こそ私の愛する人です」と言う。

 引き下がることなく、フロロは求愛し続け、エスメラルダは短剣を抜く。カジモドが、ジプシーの娘の手を止めるが、自分に見せてくれた彼女の優しを思い出し、エスメラルダを逃がす。

「汝に災いあれ!彼に不幸が降りかかるように!」とフロロは脅し、そして、エスメラルダが落とした短剣を拾う。

 やっぱり、映像見たいですね。こちらもボリショイ・バレエ団のもので、

まだオシポワがまだ在籍中のものです。

www.youtube.com

 

【第二幕】では、いよいよ「ディアナとアクティオン」のパ・ド・ドゥが披露されます。どんな形で踊られるのでしょうね。続きは、もう少しお待ちください☆

  

 ※あらすじ原文はこちらですので、私の訳で変なところがあれば、

  どうぞご指摘下さい。

  Esmeralda. Synopsis

 

 ★ちょっとバレエ史研究者らしく、「奇跡の中庭」について★

 このCour des Miracles という言い方がいつごろからされているのは、わかりませんが、私の知る限り、というか、この言葉を見てすぐに、ルイ14世が太陽を踊った有名な『夜のバレエ』を思い出しました。

 そのバレエに、この「奇跡の中庭」が登場します。その絵がこちらになります。

 1653年に初演されたバレエ『夜のバレエ』の絵です。

 フランスのバレエ史家マリ―=フランソワーズ・クリストゥの著作『17世紀の宮廷バレエ』という本(池田所有)からの引用です。

 

 一枚目が見開きのもので、二枚目が左側、三枚目が右側で、なんとなく古い時代のパリの街の雰囲気の悪い一角の様子がわかりますでしょうか。

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「奇跡の中庭」の言い方の由来が気になります(*^▽^*)

    

バレエ『エスメラルダ』の旅~ヨーロッパからロシアへ🚃

国境を越えて受け継がれる作品たち

 バレエ『エスメラルダ』が、ヨーロッパからロシアにわたったお話は、<バレエ『エスメラルダ』の樹海>という記事にもちらっと書いていますが、改めてこの作品がヨーロッパからロシアに渡り保存され、発展した経緯をお伝えしたいと思います。

 

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 初演は、1844年3月9日ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場でした。振付がフランス人のジュール・ペロー、エスメラルダ役をカルロッタ・グリジが演じ、大成功を収めたと言われています。

 この絵に描かれているのが、振付家自身が演じる詩人のグランゴワール(左側)とカルロッタ・グリジ演じるエスメラルダで、初演当時に発売された版画です。昔のブロマイドみたいな感じと受け取っていただいて良いと思います。

 この振付家は1848年までロンドンで仕事をしたあと、イタリアのミラノ・スカラ座を経て、1851年にはロシアのサンクト・ペテルブルクに渡り、帝室劇場のバレエ・マスターとして働くことになります。

 ただし、バレエ『エスメラルダ』に関していうと、1848(1849説あり)年に当時人気のバレリーナの一人ファニー・エルスラー(注)が、サンクト・ペテルブルクでこの作品を踊るということで、振付家のペローも上演と演出に参加。その時には、すでにマリウス・プティパは第一舞踊手として帝室劇場で働いていたのです。

 当時の様子がこちら!

 

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 樽の左側がペロー演じるグランゴワールで右側にエスメラルダのエルスラーが見えますね。この時、その後巨匠としてバレエ史に華々しい作品を残してくれるマリウス・プティパもファビュス役で出演したのです~♪もしかすると、私の想像ですが、

樽の上の人物が、ファビュス役のマリウス・プティパかも!と思うと、この絵はすごいですね~☆彡

 

 ここで、『エスメラルダ』の産みの親であるジュール・ペローとその後、ロシアでこの作品を再構成して引き継いだマリウス・プティパにバトンが渡されました。

 その当時のことをプティパ大先生が記録に残してくれているので、引用します!

 

 

マリウス・プティパ自伝 (クラシックス・オン・ダンス)

マリウス・プティパ自伝 (クラシックス・オン・ダンス)

 

  『マリウス・プティパ自伝』51ページより

 「私(プティパ)のモスクワ滞在中、有名なファニー・エルスラーがサンクトぺッてルブルクにやってきた。『エスメラルダ』出演のためである。その少し前にロンドンで初演されたこのバレエで、彼女は主役を演じていた。モスクワから帰ってすぐ、私はこの作品を演出しようと思いたった。そして、第一幕の構成を終えたか終えないかというところ、この傑作の作者であるジュール・ペローがサンクト・ペテルブルクを訪れて、自分で演出に加わってくれた。

 その後は、このバレエを演出するたびに、私は作者の指示を忠実に守り、ほかの演出家たちがやっていたような、余計な小細工に走ったりはしなかった。たとえば、エスメラルダと母とのシーンではそれだけで十分に悲痛なのに、カジモドの顎の骨を砕かせるといったたぐいの小細工である。このバレエがサンクト・ペテルブルクで初演された際のポスターをここに再現させていただきたい。

 エスメラルダ   ファニー・エルスラー

 グランゴワール  ジュール・ペロー

 フェビュス    マリウス・プティパ

 カジモド     ディディエ

 クロード・フロロ オルツ

 百合の花     スミルノワ

 母親       アマソワ 

 バレエ愛好家ならだれでも、この作品のおさめた大成功を覚えているだろう。主役を演じたのがエルスラーのような大物だったのだから、どうして失敗するはずがあろうか。これはまさに彼女のはまり役で、演技は誰にも真似ができないものだった。・・・」

 

 このようにプティパは、『エスメラルダ』のサンクト・ペテルブルクでの上演に関して記しています。

 1886年にプティパはペローのバレエ『エスメラルダ』を再構成し、その後もサンクト・ペテルブルクの帝室劇場で踊り継がれ、ソ連時代に入ってからも1935年にアグリッピナ・ワガノワがプティパの作風を受け継ぐ形で再演出したのでした。

 そして、1950年には、モスクワで振付、演出家ウラーディミル・ブルメイステルがソ連の演劇的な作法と音楽を改めて研究した上で、バレエ『エスメラルダ』を創作。

 2009年には、モスクワのボリショイ・バレエ団で、1886年版のプティパ版をプティパの振付を記録した資料をもとに復刻上演されたのです。

 こちらが、ボリショイ・バレエ団で上演された『エスメラルダ』の第三幕です。

 どことなく『ジゼル』の第一幕の終わりの部分を想わせます。もともとの作者がジュール・ペローで同じ人ですから、その息遣いが残されたいるように私には感じられます。

 

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 【豆知識】

 ちなみに、有名なグラン・パ・ド・ドゥの振付について。エスメラルダのタンバリンのヴァリエーションの入ったパ・ド・ドゥが作られたのは、1940年代のことでした。振付家はピョートル・グーゼフというキーロフバレエ団の芸術監督も務めたダンサー兼振付家でした。

 彼の作ったパ・ド・ドゥは、他の振付家によって、生徒のための公演やコンクール用にさまざまにアレンジされているようです。

 音楽も、もともと『エスメラルダ』の音楽を担当したチェザレ・プーニのものに加え、リッカルド・ドリゴ、ロムアルド・マレンコRomualdo Marencoという三人の作曲家の音楽で、四つの別々のバレエ作品の音楽を使用しています。

 1)二人の登場からアダージオ

  リッカルド・ドリゴの作曲で、プティパの作品『王の命令』から

 2)男性ダンサーのヴァリエーション

  チェザレ・プーニの『エスメラルダ』第一幕第二場から

 3)女性のタンバリンのヴァリエーション

  ロムアルド・マレンコ作曲のバレエ音楽Sieba ,ou spada di wodanから

 4)コーダ チェザレ・プーニ作曲、プティパのバレエ作品『ファラオの娘』から

 (資料は、Ballet Music Hand Book  by Matthew Naughtin)

     

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 このパ・ド・ドゥは、全幕の『エスメラルダ』から独立して、今や世界中で踊られるようになっているのです。

 

 とのことで、シルヴィ・ギエムパトリック・デュポンの若かりし競演をお楽しみください!(アダージオとコーダのみでごめんなさい!)

 

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 せっかくなので、同じくパリ・オペラ座のアニエス・ルテステュのヴァリエーションとコーダ。男性は、ジャン=ギヨーム・バールですね。

 ルテステュの控えめでエレガントな踊り方に惹かれます!

 

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バレエ『エスメラルダ』のヤギ🐐

演出のエピソード

 バレエ『エスメラルダ』にヤギが登場するのは、1844年の初演の頃から記録があります。こちらの絵をご覧ください。

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 このバレリーナは、『エスメラルダ』の最初演の時のバレリーナ、カルロッタ・グリジではないのですが、やはり、イタリア人でこの当時グリジともライバルだったファニー・チェリートです。グリジの後に、初演版(ジュール・ペロー版)の主役を演じたバレリーナです。グリジとチェリートが、あるバレエ作品のソロを踊る順番で大ゲンカした話はとても有名(;'∀') ま、イタリア人女性同士ですしね(笑)

 本題は、このヤギさんですが、この1844年頃に上演されたころに、生きたヤギを舞台に登場させたかどうかは、ちゃんと確認していません。

 生きたヤギを登場させたことが確かなのが、1890年代のロシアです。マチルダ・クシェシンスカヤという皇帝の愛人でもあったバレリーナが、どうやらヤギをペットとして飼っていて、自分の飼いヤギを舞台に登場させたというのです。

 この証言は、ボリショイ・バレエ団で『エスメラルダ』の復元を行った、元芸術監督のユーリー・ブルラーカが話していました。

 ボリショイの復元版ではこんな感じに♪

 

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 気になりまして、そのクシェシンスカヤが非常にかわいがっていた、同じ帝室劇場バレエ団のバレリーナ、カルサーヴィナの回想録を開く。

 あった!あった!カルサーヴィナの書いた『劇場通り』という本の163ページです☆彡

 

劇場通り (クラシックス・オン・ダンス)

劇場通り (クラシックス・オン・ダンス)

 

  カルサーヴィナは、クシェシンスカヤのストレリナの別荘に招かれて、そこで話題のヤギと遭遇したようです🐐 

  以下、引用です♪

「・・・・マチルダは親しい友達をあと何人か呼んで、ホステス役を完璧にこなしていました。海のすぐそばにある庭園は広々としていて、山羊が何頭かいました。『エスメラルダ』にも出た彼女の一番お気に入りの山羊もマチルダになついていて、まるで犬のように彼女の後を追い回しています。マチルダは、一日中私をそばから離さず、絶えず細かく気を配ってくれました。・・・・」

 ちなみに、このクシェシンスキャというバレリーナ。皇帝の愛人という立場を利用して、さまざまな陰謀に加担し、振付家のマリウス・プティパにも注文を付けるなど、わがままぶりが何かと注目されるところもあります。

 一方で、カルサーヴィナの方から見ると、非常に世話好きで、仕事に対してもオン、オフの切り替えが素晴らしく、情熱的な人間像も見えてきます。

 その当時、ロシアでもイタリア人バレリーナが大活躍して、グラン・フェッテもロシア人のバレリーナでできる人はいなかったのでした。クシェシンスカヤは、当時人気だったピエリーナ・レニャーニ(『白鳥の湖』でオデットとオディールを踊った)がフェッテを回るのを見て、驚いて、猛研究の末、ロシア人バレリーナでグラン・フェッテに成功した初めてのバレリーナと言われています。

 

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 上の二枚の写真は、おそらく1899年にクシェシンスカヤがエスメラルダをサンクト・ペテルブルクの帝室劇場で演じた時のもの。

 ヤギさん、結構大きいですね🐐

 

バレエ『エスメラルダ』の樹海

バレエ『エスメラルダ』といえば

 

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 ガラ・パフォーマンス(注)で良く踊られるこのパ・ド・ドゥ(主役二人の踊り)やコンクールでも定番の女性のヴァリエーション(一人の踊り)を思い浮かべる人が多いと思います。少しバレエに詳しい人だったら、「ディアナとアクティオン」のパ・ド・ドゥ(直接物語の筋とは関係ない)も思いつくでしょうか。

<アダージオ>

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<ヴァリエーション> 

 

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<コーダ>

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 有名なこの二つのバ・ド・ドゥは、どちらもロシアで産まれたものと考えて良いと思いますが、前者の方、つまり主役のエスメラルダと詩人グランゴワール(←男性がこの役柄かちょっと不安なので調べますね)の振り付けに関しては諸説ありそうです。そして、日本ではなかなか見る機会の少ない全幕版に関しての上演史の流れも興味深いです。

 

 このバレエが、バレエ作品として歴史に登場するのは1844年のことで、ロンドンで産声を上げました。振付は、ジュール・ペローというフランスの振付家で、主役のはイタリア人バレリーナで演技力に富んだカルロッタ・グリジでした。カルロッタ・グリジは、『ジゼル』のパリ初演(1841年)で一世風靡したバレリーナでした。

 

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 この絵に描かれているのが、振付家ペロー自身が演じる詩人(左側)とエスメラルダのグリジです。残念ながら、この当時の振付作品は残っていませんが、この振付家ペローは、ヨーロッパからサンクト・ペテルブルクの帝室劇場に活動拠点を移し、そこで同じフランス人振付家のマリウス・プティパの先輩振付家として働いていました。

 そして、帝室劇場(現在のマリンスキー劇場です)でも『エスメラルダ』を上演したのです。このペローの作品を再構成してマリウス・プティパが残したものが、今ロシアに伝わるものの下敷きになっていると考えて良いでしょう。

  こちらマチルダ・クシェシンスカヤ。帝政ロシアのバレエ界の代表的バレリーナで、プティパは彼女のために『エスメラルダ』のパ・ド・ドゥを作ったようです(振付は今のものとは違うと想像できます)。おそらく1898年頃のエスメラルダ姿のマチルダ様です☆彡このバレリーナがなぜかペットにヤギを飼っていたらしく、彼女がエスメラルダを踊った時に、舞台に登場させたようです。プティパ大先生も困ったかもしれませんね(;'∀')あとの映像でヤギさん出てきますw

  

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 ただ、作品も生き物なので、最初に作られたものがそっくりそのまま受け継がれているということではなく、それぞれの時代の雰囲気や演出、振付に関わる人の作法によって、作品の本質を変えない範囲での変化があるのは当然です。

 

 今見ることのできる演出として、ただいま来日中の国立モスクワ音楽劇場バレエ団による、ウラディーミル・ブルメイステル版の『エスメラルダ』(1950年初演、2009年に復活上演)やボリショイ・バレエ団で2009年にバレエ史研究で有名なユーリ・ブルラーカが、振付家ヴァシリー・メドゥヴェデフと協力して復元した1886年マリウス・プティパのヴァージョンなどがあります。

 復元に関してのお二人のインタビューが興味深いです。

 

blip.tv

 時代の産物の一つと言えるのがブルメイステル版『エスメラルダ』かもしれません。ソ連社会主義という時代の中で産まれた作品で、1950年に振付家ウラディミール・ブルメイステルによって振付、演出されました。ブルメイステルの作風の特長として、「演劇性が強い」と表現されるのですが、この表現にいつもひっかかります。ただ、ここに突っ込むと、ただでさえ『エスメラルダ』の樹海なのに、もっと大きな樹海に入ってしまうので、この辺で辞めておきます(;'∀')

 一言だけ言うなら、もともとバレエって「無言劇」なんですね。オペラが歌劇でしょ?バレエはそもそも舞踊劇として発展してきているわけですから。踊りで表現する演劇なんです。だから、本来「演劇性に富んでいる」わけですね(#^.^#)

 話をもとに戻して、ブルメイステル版の『エスメラルダ』ですが、数日前に東京で国立モスクワ音楽劇場バレエ団(ブルメイステルが監督を務めていたバレエ団)の公演がありました。

 ご覧になられた方も多いことでしょう。残念ながら私は今回見られませんでした。今、絶賛後悔中です。1950年に作られたこの『エスメラルダ』ですが、どうやら長い間上演されていなかったようで、2009年に久々の再演だったようです。こちらの記事に詳細が書かれていました。 

www.themoscowtimes.com

 この演出には、もちろん「エスメラルダ」と言われて思い浮かぶ有名な踊りのシーンは登場しません。ただ、音楽がプーニという作曲家で、バレエ音楽を多く手掛けているので、バレエを学ばれている方には耳に馴染むものも多いことでしょう。

 モスクワ音楽劇場の公式サイトの方に、一部紹介動画がありました。

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ついでに公式サイトはこちら

La Esmeralda

 

 全幕版の上演として注目する『エスメラルダ』は、先ほどもちらっとお話ししたボリショイバレエ団で、プティパのヴァージョンを再構成したものでしょうか。

 

 これはオシポワがまだボリショイ在籍中のものですね。2009年初演のファーストキャストは、アレクサンドローワだったようですが。 

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 個人的には、2009年の配役の中(アレクサンドローワ、オシポワ、カプツォーワ)では、カプツォーワが好みかな。

 このシーンは、まるで1844年のロンドン初演の絵が動き出したような感じ。

ヤギさん生きてますwバレリーナも大変!生きた動物と言えば、プティパが

ドン・キホーテ』の演出で、確か本物の馬のロシナンテを登場させたような記憶がありますw

 

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 樹海を迷子になってしまってるわけなので、特にまとめもなにもなく、迷子は続くのですが、ついでなので、何が本質か?と思ったら、まずはヴィクル・ユーゴーの原作を読んで、一休みというのもいかがでしょうか。

 

 

ノートル=ダム・ド・パリ (ヴィクトル・ユゴー文学館)

ノートル=ダム・ド・パリ (ヴィクトル・ユゴー文学館)

 

  あら、眠ってしまったかしら?まだまだ、さまよいは続きます☆彡

 あ~、やっぱり、「ディアナとアクティオン」も気になります。この踊りを

『エスメラルダ』に挿入したのは、マリウス・プティパ大先生ですが、今の形まで残っている功績は、ワガノワ・メソッドを整えたワガノワ先生のお力のようです。

 そもそも、どこから「ディアナとアクティオン」の発想がやってきたのでしょうか?

 

 (注)ガラ・パフォーマンスについて

  バレエ公演の形態の一つで、主役級の踊り手たちが、それぞれのバレエ作品の見せ場を踊り競うような公演のことをいいま。世界バレエ・フェスティバルなどが典型的なものです。

 

 【豆知識】蛇足ですが、バレエ用語は、フランス語です。なぜなら、17世紀にフランスの王様ルイ14世が、バレエの決まりをいろいろと整えたからです。

 ですから、パ・ド・ドゥPas de deuxは二人の踊りという意味で、Pas は、フランス語で「一歩」とか「歩幅」、そこから転じて「踊り」となります。英語でいうとstepです。

 deux が「2」の意味です。ですので、数字を変えると人数が変わります。ただ、一人の踊りの言い方は、ソロsoloとかヴァリエーションvariationという言い方になります。