Salle d’Aikosoleil

バレエ史についての備忘録 日々の食について

重力/ote  +51『アビアシオン、サンボルハ Aviacion San Borja』体感

      「前衛」を前に押し出さない平成の「前衛」演劇

昨夜(2017年9月1日防災の日)に、京急本線黄金町にある若葉町WHARFという空間で、重力/Noteによる『アビアシオン、サンボルハ Aviacion ,San Borja』を体感。はじめて降り立つ街というのも楽しい。本当はもう少し早めに行って、街をうろつきたかったのに、お茶を飲む余裕はなかった。

 

着いた時間はもう薄暗かったから、大きな川があって、大きな橋を渡って、伊勢佐木商店街を通って、一応、本屋さんで小屋近くにあるはずの映画館ジャック&ベティの場所を確認。なるほど、なんとも風情がある街並み、どこか懐かしく、横目に「横浜風俗 ミスター ダンディ・ダンディ」というお店を眺めて、会場前に到着。ザ・方向音痴なので会場に着いたら、もう動かないのがいい。

 

空間は、倉庫っぽいともいえる、天井の高い、むき出しのコンクリートの壁。壁、床は白く、表現の場には平均台のようなものがあって、若干の空間の仕切り。その向こうに木目のむき出しの大きなパネル。そして、両隣に赤いバックステージが見える。そこから登場人物が出入りする。

 

口上、演出家<わたし>を具現する牧凌平(1991年生)が「携帯電話、音の出るものの電源を切るように」と。そして、平均台のような横長の台の上に、<わたし>を中心に左側にペルーに移り住んだ祖母<女>(平井光子1982年生)、右側にセキ・サノ<男>(立本火山1982年生)が三人並んで、不敵な笑みを浮かべて立っている。

私の目線は、三人の足、六つの足から始まり、脚、胴体、顔とそれぞれの動きや表情から、登場人物の年齢やら精神やらを感じ取っているようだ。三人三様の身体とともに、時間と空間を異なるところにシフトする。

戦前戦後にかけてと思われる時代を東京、沖縄、ペルー、ロシアなどを巡る旅を辿り、それぞれのルーツに食い込んでゆく。そして、見る側の人間のルーツへも迫ってくるように感じられた。

 

 

私の中で、このような身体感覚は、どこへ向かうかというと、25年くらい前に見たポーランドの演出家タデウシュ・カントールの「芸術家よ、くたばれ」とか、ヨーゼフ・ボイスの言葉とか、政治的であり、社会批判的であり、「前衛」である姿勢、むき出しの尖った先端であり、体温が低め。

でも、この『アビアシオン サン・ボルハ』は、柔らかく、どこか温かい。それでも、<わたし>の持つ強い時代とのズレ、生きる場とのズレ感が、ここにいる<わたし=イケダアイコ>という存在とその取り巻く環境に重なってくる不思議な感触。

これだね、昨日「不思議な感覚」と感じたこと。もっと「感触」な。そんな感じ。久しぶりに「言葉の演劇」でここまで書いた。

 

登場人物は、消費者金融プロミスの創設者神内良一(1926年8月15日生~2017年6月27日没)、演出家でメキシコ演劇の父と呼ばれた佐野碩(1905年1月14日生~1966年9月29日没)、ロシアの演出家メイエルホリド、俳優で演劇のメソッドを確立したスタニスラフスキー、戯曲作家チェーホフスターリンほか。 

 

今日の夜公演、明日、明後日まで。見てみてください。「前衛、万歳!」なんて言ってみたくなるw公演詳細は、こちら↓

重力/Note – 公演情報と活動の記録

 

原作:神里雄大(1982年生)

構成・演出:鹿島将介(1983年生)

 

 

モンテヴェルディ『オルフェオ』研究会備忘録からのペンタゴン的お茶会とピタゴラス的立ち話☆彡

知的地殻変動という現象

昨日の東京音大でのモンテヴェルディオルフェオ』の勉強会での身体の反応が大変なことになっていた。もちろん、イタリア語もわからないし、ドイツ語もわかないけど、第一部の鈴木信吾先生による『オルフェオ』第五幕の詩の読み方のレクチャー。言葉とアクセント、詩のお話を聞きながら、先生が発話されるイタリア語の詩の言葉自体の音楽性というものに少し近づいてゆく。ルネサンス期における、「詩と音楽と舞踊の融合」という単なる言葉だけで理解していたことに、血と肉が与えられるプロセスを体験した。

 

昨日経験した感覚をすべて言葉にはできないかもしれないけど、とりあえず、言葉として残したいので、ここに記録。

詩と音の構造に、ルネサンス期の考え方、宇宙観、いわゆる生態学的な身体理論のようなものがすべて内包されているということを私の身体が受け止めてゆくのをものすごく感じた。生態学的な身体理論というのは、人間の身体を通して、その理論なり哲学なりが実現されているという感覚の私の表現です。

そして、福島康晴さんのモンテヴェルディの『オルフェオ』の楽譜解説が第二部。『オルフェオ』がどのような環境で生まれたかというお話しから始まり、『オルフェオ』の第五幕での妻を失ったオルフェオとアポロの対話の部分の説明が、私のように音楽を専門に勉強していない人間にもわかりやすかった。

地上に生きるオルフェオは、CHIAVE DI NATURALE(自然な)という旋法で表現され、天界に生きるアポロは、CHIAVE DI B MOLLE(♭)という旋法で表現され、二つの世界が旋法の違いでわかるように作られているとのこと。ここに二つの対立する世界である「天=魂の世界」と「地=欲望の世界」が立ち現れている。そして、福島さん自身がピアノを弾き、歌い、その楽譜を血肉を与えてくれたことは感動的。当時、モンテヴェルディが仕えていたゴンザーガ家の「アカデミア」の様子がどんなものだったか。ちょうど、ルネサンス期イタリアを治めていた各国の国家間のことを調べているところだったの、すべての説明が身体にすっと入ってきた。

どのような空間で演奏されたかによって演出(装置)の規模も変わるし、どのようなマネージメント(この当時はパトロンである貴族が芸術家を庇護していた)の下でその作品が生まれたのであろうか。おそらく、君主たちの中にも相当、当時の学術的な知識、芸術的な素養を身に付けた人たちがいたわけだから、例えば、その作品の仕上がりに対し、君主の意向が反映され、作曲家はそれを取り入れるということもあったでしょう。例えば、1490年のミラノスフォルツァ家の宮廷でジャン・ガレアッツィ・マリア・ヴィスコンティアラゴンのイザベラの結婚する際に上演された、レオナルド・ダ・ヴィンチが総監督を務めた宮廷祝祭『楽園』などの規模がいかほどだったかは、資料に記録されているようです。私は、映像作品(あくまでフィクションとしての復元ですが)となったものを何種類か見たことがあり見ることができますが、かなり大掛かりな舞台転換を含み、視覚的、聴覚的に、観客たちを魅了したことは間違いないでしょう。

 

では、マントヴァのゴンザーガ家がどの程度の規模の宮廷だったかということは、イザベラ・デステがこの家に嫁ぎ、その妹のベアトリスが、ミラノスフォルツァ家に一年後に嫁ぎ、イザベラがその妹の嫁ぎ先の宮廷の華やかさの規模の違いに愕然とするということからも想像できるでしょう。しかし、この時代は戦国時代で「盛者必衰のことわり」の時代で、ミラノの栄光も永遠ではないことも頭に入れておく必要があります。

そのために、「婚姻」という儀礼を通し、各国の君主たちは、それぞれの国がどう生き残ってゆくかを探り続けた、時代的には「平和」とは対極にあった時代です。改めて、一つの作品を考えるときには、その作品が生まれた時代背景、政治的状況、その作家の社会的なポジションを把握することは大事だと再確認できました。

 

そして、第三部は丸山桂介先生の締めの講義で、モンテヴェルディの『オルフェオ』の題材となったギリシャ神話の解説の時間です。ご存知の方も多い、さまざまな芸術作品のテーマとされている「オルフェウスとエウリディーチェ」。そして、そこからルネサンス期にどのようにギリシャ哲学が研究され、芸術作品として応用されたかというお話し。すべてが興味深く、「あ~こういうことを知りたかった!という内容ばかりでした。

とても簡単にはまとめられませんが、この作品の中でモンテヴェルディが何を訴えたかったということの核となるのは、「対立する世界の融合(ハルモニア)」。そこには、プラトン的に二元論という考え方のベースがあります。その考え方をまとめていったのは医者で哲学者のマルシリオ・フィチーノ。ほかにもパラケルススなど医者であり、哲学者という人もいました。

ルネサンスというのは、中世が聴覚的な世界観であるのに対し、視覚的な世界観が前面に出てきた時代といえます。そこで、視覚的な芸術というものがたくさん残されていくわけです。

中でも、舞台(ダンス、ドラマ)の世界というのは、哲学的宇宙論の理想的な実現の場だったといえるでしょう。

 

オペラ=ドラマとは、目的をもった人間の行動(のちに、フランスでBallet d’actionという動きが18世紀に登場します)である。アリストテレスの書いた『詩学』はドラマ創作論であり、ドラマというのは詩で書かれている。悲劇とは、人間の負の行動のカタルシスである、との説明がありました。そして、カタルシスという、通常<浄化>という風に訳される言葉についてのさまざまな解釈があることも知ることができました。

 

一つの言葉をとっても侮れないとずっと考えてきたことは、間違いではないと確信した次第です。そして、ルネサンス期に作られた、産み出された数々の芸術作品は、単なる貴族を喜ばせるための娯楽なのか?単なる暇つぶしでしかないのか?という問いにも向かいました。 

私も常日頃から、多くの舞踊史やバレエ史の本で「バレエとは、イタリア・ルネサンスにおいて貴族の宮廷で生まれた娯楽」という表現に対し、少しご疑問を抱いていたのです。もちろん、「娯楽」という要素が全くなかったことはないと思うのですが、例えば、今回の勉強会のために『オルフェオ』を聴いてみると、なんとも満たされた気持ちになるのです。簡単にいうと、「この世のものとは思われない世界」が音を通して感じられるのです。

 

そういう風に後世の生きている時代も国も違う人間にもかんさせる何か、がこの音楽にはあると思った時に、芸術家たちを庇護したお金持ちたちが、何か現実に起きていることとは違う理想の世界を具体的に描いていたのではないか、と私には考えられるのです。悲惨な戦いの日々、政治的な関係でしか成立しないような人間関係、きっと私たちが感じるような安堵というのとは縁遠い現実が迫っている中で、どこか救いを求めたい人間の本性が、パトロンたちを駆り立てたと考えることはできないでしょうか。

 

お話を丸山先生の講義に戻り、モンテヴェルディが求めた音楽の世界について。対立する二つの世界の融合ということから、『オルフェオ』にはルネサンス期における神話理解とキリスト教の教えの融合が垣間見られる。旧約聖書の中の言葉が、第五幕の最後の合唱のところの詩編の中に踏襲されていると丸山先生は指摘されました。そして、アポロ=父とオルフェウス=息子という構図。それぞれの歌が違う調性で表現され、最後には統一されてゆくというプロセスが、『オルフェオ』に実現されているとのことです。それは、もしかすると、アポロ=父=君主、オルフェウス=子=モンテヴェルディという風に想像するのは、私の深読みでしょうか。

 

また、講義の前に丸山先生にご挨拶しましたら、「今日はバレエのこと、モレスカのこと話しますよ」とおっしゃっていたので、とても楽しみでした。私が最も気になっていた『オルフェオ』の中で踊られるモレスカです。丸山先生が、「ここの踊りはユダヤ人たちが踊った。それは大変なことだった」という言葉が、身体をまた電光石火のごとく貫き、ずうずうしく質問させて頂きました。というのは、いま私が向き合っているルネサンス期の舞踊教師グリエルモ・エブレオがユダヤ人であり、当時の舞踊教師の多くはユダヤ人だったので、「ユダヤ人がモレスカを踊ったことが大変なことだった」という先生の言葉に、敏感に反応したのです。

 

それから、16世紀のヴァロア朝のフランスに入ってからの宮廷バレエについても触れられ、そこでもルネサンス的な宇宙論が視覚的に実現されているというお話でした。このフランス宮廷祝祭におけるスペクタクルの上演は、1570年にジャン=アントワーヌ・ド・バイーフが設立する詩歌・音楽アカデミーの具体的な形となる運動の一つでした。バレエ史では、最初の宮廷バレエの項目で、たいていの本が触れている1573年の『ポーランド使節のためのバレエ』とバイーフの理論が理想的な形で実現したのが、1581年のアンリ三世の寵臣と王妃ルイーズの妹の婚礼の際に上演有名な『バレエ・コミック』があります。

1573年の『ポーランド使節のためのバレエ』は、1572年のアンリ・ド・ナヴァール(プロテスタント)とマルグリット・ド・ヴァロワカトリック)の婚礼とその直後の虐殺という流れの中で開催された。アンジュー公(のちのアンリ三世)が、ポーランド国王に選出され、ポーランドの使節がパリに入場し、彼らをもてなすための祝祭が開催されたのです。その一環として上演されたバレエでは、舞台はなく、アリーナ状の劇場で、貴族たちは踊る空間を囲むようにして観ていたのです。

 

f:id:aikosoleil:20170730154528j:plain

奥の方に貴賓席があり、ポーランドから来た一行が座っています。フランスの各地方を表す16人の貴婦人が、8人一組で幾何学模様を描きながら踊ります。この16人の中には、マルグリット・ド・ヴァロワも一緒に踊ったと言われています。こう見ると、8人一組の16人という構成は、丸山先生がご用意くださったガフリウスの『音楽実践』の口絵に通じるものを感じます。

f:id:aikosoleil:20170730154607p:plain

 

次のガフリウスの図と上の図を見比べてみると、ただの偶然とは思えないんですね。アポロンの位置に貴賓席があって、16人の貴婦人が踊っている。なんかすごいんじゃないですか!ちょっとここは深めたいので、また追って書くことにします。

 

最後に、『オルフェオ』の最後も登場するモレスカですが、バレエ史、舞踊史などの本には、718年から1492年までのスペインはイベリア半島におけるレコンキスタ、つまりキリスト教徒が支配権をイスラム教徒から奪還するプロセスの中で生まれたと書かれているものが多いです。集団で踊るものは、異教徒同士の合戦を、こん棒や剣を持ってダンスとして表現しているものがあったり、カップルで踊る場合は、仮面を付けたり、また、イスラム教徒=ムーア人のようなイメージなのか肌を黒く塗って踊ったりするものもあるようです。

 

このたびの講義が終わり、丸山先生に「ルネサンス期には舞踊教師としてはユダヤ人が多いとの記録があり、私がいま向き合っているグリエルモなどは、キリスト教に改宗し、名前も変えている。このことは、ユダヤ人が、その社会の中で生きるためにそのような方法をとったほうが有利だったのか?」と私が質問をいたしました。

「それは、難しい問題ですね。反ユダヤの君主が、ユダヤ人の芸術家を庇護した例もあるし、ローマ時代からユダヤ人が隔離された地域で生活したということもある。ただし、『オルフェオ』のモレスカで、ダンスの中心にユダヤ人が踊ったということから言うと、その作るプロセスの中でいろいろな困難があったことは想像できる。だからこそ、この『オルフェオ』を今の時代に上演する意義というのがあるのではないか。また、ピタゴラスの数比例の考え方から歩調を考え、音楽との関係を構築することで、当時の人たちが踊ったかもしれないモレスカが再現できるのではないか」という貴重なお答えを頂きました。

 

 そして、現在のバロック音楽の演奏に関して、ルネサンスからバロックにかけての哲学的宇宙論から考えて、「対立する世界の融合(ハルモニア)」のためには、もっと不協和音をしっかりと出さないと、その理念の実現にならない、というようなことをお話になる、「今の演奏は化学調味料」と表現され、妙に納得しました。誰でも<美味しい>と感じるけど、ある意味味覚は育たないし、逆に味覚を狂わせます。なんとも言い得て妙です。

 

この講義に参加して、『オルフェオ』の第五幕だけでも実現してみたいという野望にあふれた日となりました。まだ、その余韻が冷めやらず、バッカスの力を借りなくても、ほろ酔いな時間が続いているのであります。

 

参考までに、ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』の中のモレスカ。モンタギューとキャピレットの対立とイスラムとキリストの対立をかけたような演出です。

www.youtube.com

 

オマケ~講義のあとは、ペンタゴン的お茶会とピタゴラス的立ち話

講義後、声楽家お二人とチェンバロ奏者とオーボエ奏者の五人でお茶をしました。まるでペンタゴン!私の左側に声楽家2人が座り、右側に器楽演奏者が2人座った、この座席もハッピーでした。体自体を楽器とする人の身体の感覚と楽器(外部のもの)を自分の身体として扱う奏者の身体の違いを真ん中のポジションで実感できたのは、ものすごい収穫!声楽家には、身体の中に球体を作る身体の使い方を最近は提案してます。じゃあ、楽器を演奏する人の球体をどのように調整するかということを昨日からずっと考えている。楽器という物理的な存在も身体化するのか、もしくは、音というもの(その波動、粒子など)が外に広がるものと身体との関係を考えるのか、とか。すごい学び!!

そして、5人のペンタゴンからの池袋西武前の3人のトライアングル立ち話もすごい!まるで、三人の地下には黄泉の国、そして、天上からはアポロンがほほ笑み、横からバッカスがワインを差し入れてくれそうな、そんな十数分の密度が素晴らしい!

第三回バレエ・トラディション公演記録✨

 

 

f:id:aikosoleil:20170315000103j:plain

 プロデューサー:田北志のぶ(キエフ・バレエ団元リーディング・ソリスト

               ウクライナ功労芸術家)

 芸術監督:アラ・ラーゴダ(ウクライナ人民芸術家 

              キエフ・バレエ団バレエミストレス)

 アドヴァイザー:薄井憲二(舞踊家 バレエ史研究家)

 ゲスト・プリンシパル:イーゴリ・コルプ

           (ロシア、マリンスキー劇場バレエ団プリンシパル) 

 制作:Spring of Arts (土井由希子 田北志のぶ)

 

 【プログラム】

 第一部

 1、Nostalgia 音楽:ウラディーミル・マルティノフ 振付:笹原進一

 

 2、『ロミオとジュリエット』よりバルコニーのパ・ド・ドゥ

   音楽:セルゲイ・プロコフィエフ 振付:レオニード・ラヴロフスキー 

   初演:1940年 ソ連 キーロフ・バレエ団(当時レニングラード

 

 3、『海賊』よりオダリスクのパ・ド・トロワと花園の場

   音楽:アドルフ・アダン チェーザレ・プーニ レオ・ドリーブ

   原振付:マリウス・プティパ

   プティパ版初演:1868年 帝政ロシア マリンスキー劇場

 

 第二部 『シェヘラザード』全幕

   音楽:ニコライ・リムスキ=コルサコフ

   原振付:ミハイル・フォーキン

   初演:1910年 パリ・オペラ座 ディアギレフのバレエ・リュス

 

 2017年3月9日木曜日 大井町 きゅりあん大ホールにて所見

 

 昨年、20年以上にわたりリーディング・ソリストを勤め上げたウクライナ国立オペラ・バレエ劇場(キエフ・バレエ団)を退団し、日本に本格的に活動拠点を移した田北志のぶ。田北自身が、プロデューサーとして企画し、主演する座長公演第三弾を拝見。

 

 2016年9月に開催された第二回公演に私自身も出演したため、個人的な感情を少し整理し、客観的に公演を記録するには、少し時間が必要だった。

 この文章は、批評ではない。このプロジェクトのサポーターであり、舞台に立つ側であり、バレエ史屋であり、一観客という私のいくつかの視点から見て、この公演を記録する試みととらえていただきたい。

 

 プログラム編成は、ネオクラシックスタイルの笹原進一振付作品『ノスタルジア』で幕開け。ソ連時代を代表する名作『ロミオとジュリエット』(1940年初演)、そして、「バレエ」という言葉を聞いて誰もが想像するような帝政ロシア時代(19世紀末)の名作『海賊』(改訂版1868年初演)からの抜粋、そして、20世紀初頭に新しいバレエにおける表現世界を求めた舞踊ドラマ『シェヘラザード』全幕という流れ。今回プロデューサー田北志のぶがこの作品を果敢にも取り入れたことに心から拍手を送りたい。

 

 バレエ史屋としては、プログラムの2番目に登場するラヴロフスキー版『ロミオとジュリエット』と最後の演目の『シェヘラザード』について、くどいくらい書きたい気持ちで溢れている。しかし、ここは冷静に、観客の一人として、プログラム通りに話を進めてゆこう。

 

 オープニングの笹原進一振付『ノスタルジア』にも思い入れは強い。バレエ史的なジャンルでとらえると、「ネオクラシックスタイル」に入ると考えられる。1930年代以降に、ジョージ・バランシンがN.Yを拠点に展開した、新しいスタイルのバレエである。バレエファンになじみのあるものとしては、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』などで、トーシューズで踊るが、衣装はクラシックの定番チュチュではなく、シュミーズのような身体のラインを見せるものが多い。ほかに『ウェストサイド物語』の振付で有名なジェローム・ロビンスなどもネオクラシックのジャンルの振付家に入れても良いと考えられる。

 笹原の場合は、バランシン的な純粋なムーブメントで音楽の質感を表現することに加えて、ロビンスやアントニー・チューダーのような抒情的なモチーフや人々の心のありようを限りなくシンプルな動きの中に染み込ませて行く手法と思われる。

 ステップ自体は極めてシンプルだが、そのステップとステップのつながり方に特徴がある。ムーブメントがシンプルなだけに、ダンサー自身の日常や心のありようがまざまざとあぶり出される。かなりダンサー泣かせの作品と言えるだろう。

 

 『ノスタルジア』という題名の通り、ウラディーミル・マルティノフの美しい旋律とリズムによって、まるで時を刻むかのように人々の人生の点と線の世界が繰り広げられる。現在の時間と過去の時間が錯綜するように、観客一人一人の懐かしい風景とダンスが共鳴するかのようだ。

 今回出演した土井由希子と石黒善大、平尾麻実と檜山和久の二組のデュエットと四人のアンサンブル~大溝ちあき、小林翔子、高浦美和子、前澤鮎美は、振付家のコンセプトを真摯に受け止めて表現しようとしていた。常設のバレエ団メンバーではなく、プロジェクトで集まるダンサーなので、リハーサル時間にも限りがあり、振付家の意図をどのように表現し、まとめ上げてゆくかはそれぞれの力量に任される。

 作品というのは、再演を重ねるごとにその作品自体に命が芽生え、振付家の手から離れてゆくことによって、成熟していくものである。この作品を初演で見られたことに喜びを感じるとともに、また同じダンサーでも違うダンサーでも、再演されることを強く願う。

 過去に笹原が創作した作品を白ワインやスパークリングワインに例えるならば、今回の『ノスタルジア』は、まるでボルドーのような深みのある赤ワイン。空気に触れて、味わいを増すように、時間をかけて楽しめる作品と言える。

 

 次に座長田北志のぶとゲストアーティスト、イーゴリ・コルプによる『ロミオとジュリエット』の名場面バルコニーのパ・ド・ドゥ。日本でなじみのあるバレエ『ロミオとジュリエット』は、主に英国スタイルのケネス・マクミランの振付によるものが主流だろうが、 今回の振付は、ソ連時代を代表する振付家レオニード・ラヴロフスキーによるもの。

 社会主義リアリスムのバレエと言われることもある。日本人でこの振付の『ロミオとジュリエット』を踊れるバレリーナもそう多くはない。

 個人的に、私が10歳の時に初めて見た『ロミオとジュリエット』(映画)がこの振付で、ソ連バレエの名花ガリーナ・ウラーノワが演じるものだった。

 田北が水色のネグリジェ風の衣装で登場し、踊る姿を見ると、そこに連綿と受け継がれるロシアバレエの伝統を強く感じる。

 「このしぐさはウラーノワを思わせる!」と思うところが何度も出てきた。特に腕の動き、上半身の動きに特徴が見受けられる。もちろん、恵まれたラインの美しい身体なので、洗練されたムーブメントの繊細さによって、ジュリエットの初恋に心震わす感情表現が身体全身から見える。

 好みもあると思うが、どんなスタイルにも伝統がある。田北はソ連時代から、バレエ教師を通じて代々受け継がれているロシアスタイルの表現を身体全体で引き受け、この舞台にその世界観を広げてくれた。

 このラヴロフスキー版が誕生したのは、1940年(第二次大戦前!)で、まだソ連時代のキーロフ・バレエ団(現マリンスキー・バレエ団)で初演された。作曲家セルゲイ・プロコフィエフも台本にかかわり、振付と音楽が同時進行で作られたバレエである。ゆえに、音楽とムーブメントの調和が見事である。

 豆知識としては、プロコフィエフは1935年の時点では、このバレエのラストシーンをハッピーエンドで終わらせたかったという。しかし、それはシェークスピアの戯曲に反するということで、却下されたとか。改めて組曲を聞いてみると、プロコフィエフが「ハッピーエンド」にしたかった音色を感じることができるかもしれない。

 

 そして、第一部最後に登場するのが、帝政ロシア時代に作られたバレエの巨匠マリウス・プティパ振付による『海賊』第三幕からオダリスクのパ・ド・トロワと花園の場。華やかな女性たちによるクラシック作品の世界。

 『眠れる森の美女』や『白鳥の湖』同様に、身体のポジションの正確さ、角度、特にロシアの場合は、上体と下半身のコーディネーションというクラシックの基礎の技法と型をしっかりと身に付けたうえで、音楽的に踊らなければならない。若手ダンサーが身に付けるべき古典の作法が詰まっている。

 プロダンサーともなれば、さまざまなスタイルの作品に適応する身体の感覚が必要だ。しかし、まずは若い時期にしっかりとした古典の基礎を身に付け、そこを基盤に表現の可能性を広げるのがふさわしいと思う。

 

 今回オーディションで選ばれたダンサーたちにとっては、またとない貴重な経験となったことだろう。私自身、14歳で『バヤデール(ロシアではバヤデルカ)』の「影の王国」の群舞(コールド)を踊ったことが、人生の大きな財産になっている。

 ソリストとして、ヴァリエーションを踊ることを夢には見たものの、群舞を踊ることがどれほど大変なことかを、若い時代に身体に叩き込まれた経験は今も身体に染み込んでいる。 コールドバレエと言えば「一糸乱れぬ」という表現を求めて、稽古の厳しさは想像を絶したが、その経験があってこそ、主役を踊ることになった時に、作品の調和を実現できるのだと思う。

 この「花園」の場を選んだ田北の思いも、コールドを踊ることの意味をダンサー一人一人に感じてほしかったからではなかろうか。例えば、パリ・オペラ座であっても、ロシアのマリンスキー・バレエ団であっても、バレエ学校を卒業して、バレエ団に入団するとはじめはコールド・バレエからである。ここを通過してこそ、プリンシパルへの道が拓かれるわけだ。

 古典作品を踊ることは、今の時代には非常に困難なことなのかもしれないと感じることがある。それは古典作品の物語が、あまりにも現代に生きる私たちにとって現実離れしているということも理由の一つかもしれない。

 これは、日本のバレエ界の問題だけではなく、今年のローザンヌバレエコンクールを見ても、現代的な作品よりも古典作品の理解が、現代のダンサーには難しいかったように感じられた。

 クラシックの「型」や「様式」の継承が不十分な感じを覚える。歌舞伎や能同様で、バレエも「型」や「様式」を自然に振る舞えるように身に付けるには、とにかく時間がかかる。残念ながら技術の質は上がっているのに、なぜかクラシックスタイルの作品で、心動かされるダンサーが減りつつあるように感じるはなぜだろうか。

 

 以前、バレエ史の大家薄井憲二先生のお話しをうかがったことがある。薄井先生は、ご自身も舞踊家として活躍された方で、日本バレエの生き字引である。

 「ダンサーの訓練はほぼ、9割、8割が体育。でもね、あとの1割、2割で芸術家になれるかどうかが決まる」という言葉が心に刻まれている。まだまだ日本は、どのジャンルにおいても「プロのダンサーになる」ことが難しい。田北志のぶという世界で活躍をしてきた大先輩やバレエ団所属のプロで活躍するダンサーの踊りや舞台への向き合い方に触れて、成長する姿を見せてほしい。それこそがこのプロジェクトの意義だと考える。

 

 さて、第二部のクライマックス。ミハイル・フォーキン振付『シェヘラザード』。フォーキンって誰?という感じかもしれないが、彼の代表作『瀕死の白鳥』はご存知の方も多いだろう。

 この作品が産まれた(パリ・オペラ座での初演)のは、1910年。なんと100年以上前の作品で、パリの観客を圧倒した作品です。音楽がニコライ・リムスキー=コルサコフで、舞踊ドラマというスタイル。踊りだけではなく、演劇的な要素も強く、ただ踊るだけでは表現しきれない作品。迫力のある群舞のエネルギー溢れる壮大なスペクタクルだった。 

 この作品も第一部の『海賊』同様、ハーレムの世界を古典作品とは違う手法で、よりリアルに描き出している。一般的には、「官能的な」という表現がされることが多いが、私が今回田北のディレクションで演出された『シェヘラザード』を見た率直な感想としては、

 <舞踊ドラマ『シェヘラザード』は、単なるハーレムの官能美を描いた世界ではない。そこに繰り広げられるのは、力による「支配」に対して、愛による「自由」を貫いた崇高な女性の物語である。>

 それは、振付家フォーキン自身が、古い体制のバレエ(プティパ大先生の世界)に対して、新しいバレエを主張した姿にも映る。

 田北は寵姫ゾベイダを演じることなく、彼女自身の身体の内側からあふれ出る表現で、ゾベイダという女性の人生を生き切っているかのようだった。イーゴリ・コルプは、「奴隷」という身分に貶められてもなお気高く、ゾベイダの愛に応える。

 ヴァイオリンの旋律が、ゾベイダの心の内を語るように耳に届いてくる。その細く長く続く旋律と田北のしなやかな姿態が一つになる。

  音楽の高まりとともに、群舞の波のように押し寄せるムーブメントが舞台奥から迫ってくる。音楽とムーブメントが一体化し、音楽が極彩色を帯びて、視覚化されるようだった。

 まさか、1910年6月4日のパリ・オペラ座でこの作品を目の当たりにした観衆と同じ興奮と感動を2017年の東京で味わえるとは!  

 このドラマを引き立てたシャリアール(スルタン役)の堤淳、シャフゼーマン(スルタンの弟)の桝竹眞也、宦官長の浅井永希があってこその物語展開。『シェヘラザード』は音楽と舞踊と芝居の三位一体の名作である。その全幕上演は、大げさかもしれないが、日本のバレエ史の大きなトピックになってもいいのではないだろうか。

 

 「日本のバレエ界には、ディアギレフ以後がない」と語ったのは新国立劇場の前芸術監督兼英国バーミンガムロイヤルバレエ団芸術監督のデヴィド・ビントレーの言葉で、私自身がインタビューした時の言葉。ビントレーも新国立バレエ団で、ディアギレフのストラヴィンスキーのバレエプログラム(『火の鳥』、『アポロ』、『結婚』のトリプルビル)で公演を行った。日本のバレエ界の前進のためにも、まずは、20世紀初頭に生まれた作品を整理することは大事なことだと考える。

 田北志のぶのプロデューサーとして、今後このプロジェクトをどう展開するか期待するところである。そして、田北自身が踊ることにより、後進に対して「プロのダンサーとは何か」ということを示しているのである。古典の継承を軸として、日本と海外と両方に通じる人材育成、そして新たな挑戦に向かってほしいと強く願っている。

 

文責:池田愛子(バレエ史研究)

 

バレエ史弁士、ストレッチ―トレーナー、ちょっとだけダンサー~2016年雑感✨

★2016年、新しい扉を開いて★

f:id:aikosoleil:20160104150459j:plain

2016年もそろそろ幕引き。

あ~年々、一年の速度が加速する感じがします。

そして、年を取るのに反比例するように日々充実度が増しています。

それって、とてもありがたいことですね。

 

今年をざらっと振り返って、昨年取得したストレッチトレーナーの

資格を活かして、私を信頼してくださるクライアントさんが少しずつ増えました。

そして、クライアントさんお一人お一人の身体が、本当にたくさんのことを教えて下さるということが、どれほど生きた学びになるかということも深く思い知る日々。

f:id:aikosoleil:20161223220611j:plain

 上のへんてこりんな骸骨はスケル子さんという私の解剖学のお友達です。学んだ解剖学は、とても重要。でも、もっと重要なのが人の身体に触れること。

そして、人の身体は十人十色。解剖図はあくまでも理想形の身体。

 一人の人が使い込んできた身体は、その人の歴史を語ってくれます。「痛み」や「不具合」がどこから来ているのか、ということは、その方の身体からしかわからないのです。

 

 もう一つの私のライフワークであるバレエ史。今年の私の中でのバレエ史へのアプローチの変化があります。

 心のどこかにあった「バレエ史なんて知らなくても踊れる」とか

「バレエ史なんかなんの役にも立たない」って、実は私自身が思い込んでいたところがありました。

 でも、7月に友人のダンサー今村よし子さんが背中を思い切り押してくださったおかげで、渋谷のお店Li-Poさんでトークイベントが実現。お客様も20人以上いらしてくださりました。娘が題字を書いてくれたフライヤー(今村さん作成)もとても気に入っていて、母娘の初コラボもできました。

 

f:id:aikosoleil:20160706142946j:plain

 そして、何よりも「バレエ史上に生きた生身の人間としての舞踊家、振付家」に、改めて出逢えて本当に嬉しかったのです。

 絵画や版画に描かれた、または、写真として写された二次元の人物たちが、呼吸をし、血の通う生身の身体を持って生きていたということを私自身が、実感し理解したことが、素晴らしい出来事でした。この経験が、次の私のバレエ史との関わり方を導いてくれたのです。

 こちらのバレエ史紙芝居は、私の特製です(笑)

f:id:aikosoleil:20160706193619j:plain

 来年は新しい場所で、この紙芝居を使ってバレエ史を語ることができることになりました。古の遠い土地に生きた人たちのことを、お伝えすることができる悦びを噛みしめています。

 

 特に、日本にバレエ文化を根付かせた先人たちの仕事に触れることは、

ある意味、覚悟のいるチャレンジでした。まだまだ、未完な部分であります。

戦後間もない、希望も何も失った日本という国で、「バレエ」という西洋文化が産んだ

舞踊芸術の基礎を固め、人材を育成しようとしたロシア人バレリーナ、エリアナ・パブロバとオリガ・サファイアのこのお二人への敬意を抱き続けて、今後も追い続けていきたいテーマの一つです。

f:id:aikosoleil:20161223222631j:plain

 

 

f:id:aikosoleil:20160706202828j:plain

 今は、しっかりとバレエを志す方たちや指導者の方たちに、「バレエ史を学ぶ意義」をお伝えできると確信しています。歴史上の人物たちが、ある意味「成功物語」として描かれている背景には、さまざまな人々の苦悩や努力があったのです。そのことを知ることは、今の時代に生きる私たちが直面する難しい状況を乗り越えるヒント、知恵がたくさん詰まっているということを知ることなのです。

 おそらく、歴史に残っている事実は不運によって誕生したことの方が大きいように思います。

 皮肉にも偉大な芸術作品と言うのは、困難な時代、環境で生まれることが多いのだと歴史は教えてくれています。

 

f:id:aikosoleil:20161223225354j:plain

 ↑こちらのバレリーナは、1830年代にヨーロッパを魅了したバレリーナの一人マリー・タリオーニです。彼女のお父様がバレエ教師で振付家のフィリッポ・タリオーニで、有名なバレエ作品『ラ・シルフィード』の生みの親です。

 なぜフィリッポは、娘を「妖精」に仕上げたのでしょうか。それは、自分の娘があまりにも無表情で表現力にかける性質だったことから、『非人間的な存在」である「妖精」として娘を仕上げたのです。その「妖精らしさ」をより表現するために、「つま先で立つ」訓練を徹底的に行ったと言われています。

 その他にも、彼女の身体は非常にバレエには不向きで、猫背で手足が長すぎるというのがとても目立ったようです。そこで手を交差させて手の長さが目立たないようなポーズを考えたりしたのです。 

 このエピソードを一つとっても、今ではバレエ的な美として当たり前のことが、時代が変われば「欠点」だったこともあるのです。いつの時代でも、マイナス面をいかにプラスに変換するかということを人々は考えて生きてきたという証と言えるでしょう。

 

 最後に、ダンサーとして。私自身は、自分の中で「現役」は遥か彼方に引退しているつもりです。それは、26歳の時に、フランスの舞台で、創作作品を二作品踊ったのを最後に、自分の中では線引きをしていたはず。

 でも、今年は、元キエフバレエ団のリーディングソリストをされていた田北志のぶさんの企画公演『バレエ・トラディションVol.2』の中で『眠れる森の美女』の第三幕の貴族役で出演してしまいました。それは、50歳前にちゃんとしたプロフェッショナルのバレエ公演の舞台には立ちたいという密かな野望があったから(笑)トーシューズも履かないし、チュチュも着ないけど、動きそのものにダンサーの質が出るものと感じる役柄の一つだと信じていましたし、実際、本当に針金の入ったパニエを着て踊ることは簡単なことではないことを、身体を通して思い知ることができました。また、アンサンブルとフォーメーションは一夜にはならず、ということも痛感。そして、チャイコフスキーの音楽の偉大さも思い知るのでした。

 

 今年のさまざまな活動を通じて、私自身の中に湧き上がってきた「私とは何か?」という深い問いへのある答え。それは、「私は<からだ界>の人」だということ。

 そこのベースがある限り、トレーナーもバレエ史も身体を使うパフォーマンスも私の中では違和感のない行為。

 その第一弾は、おそらく来年の3月に一つの形となるでしょう。茂谷さやかさんという友人が、また私を巻き込んでくれました。彼女との出会いも不思議。私がダンスワークと言う雑誌に寄稿した「バオソル」に関する文章を読んで、私が受付をしている佐藤健司先生のバオソルを受講しに来てくれたのがきっかけ。

 そこから、元ピナ・バウシュダンサーだった市田京美さんのWSをご一緒したり、彼女のご自宅が近かったことから私が毎週通っている笹原進一先生のバレエスタジオをご紹介し、彼女も受講するようになった。

 しばらく、お互い違う方向で身体との向き合い方を模索しつつ、でも、感性の向かう先に見える風景は、もしかしたら似ていたのかもしれない。

 彼女の書いた戯曲で「踊り子」役を頂いた。ある意味、空間が狭いので、ひたすら日常の稽古をする踊り子のムーブメントでもごまかしがきかないので、ますますの精進が必要です。より身体の細部への意識を高めて臨みたいと思っています。

 

 最後に、2016年もたくさんの素晴らしい出逢いに恵まれました。どちらかというと受け身な感じでいろんなことに関わっているところがあります。でも、いまはその自分の在りようが自然で、ある出逢いによって、何か違う世界へ導かれる悦びを感じます。

 来年もまた素敵な巡り合わせがあるでしょう。皆様への感謝をこめて、ここに記させていただきました。

 

 

 

舞踊史トークイベント終了@渋谷Li-Po

亡霊になる前に

 

f:id:aikosoleil:20160706142946j:plain

 去る7月2日土曜19時より、渋谷の素敵なスペースで舞踊史のイベントを初開催させていただきました。

 今までは、友人の主催するバレエスタジオの子どもたちやバレエセミナーなどで、小中高生を対象にお話しする機会には恵まれていましたが、このたび大人の方、しかもかなりディープな専門性の高い大人の方たちにお集まりいただき、トークをさせていただきました。

 主催はコンテンポラリーダンサーの今村よし子さんで、まあ、私のように自分ではなかなか主体的にイベントを企画しようなどと思わない人間をすっかり持ち上げてくださり、場所まで探してくださりという次第で開催の運びとなりました。

 偶然にも開催場所の渋谷のLi-Poさんというお店のオーナーさんと札幌の出身高校が一緒というご縁もあって、「私なんぞがトークイベントね~」とは思いつつも、「この場所ならやってみよう」という「気」が起きたわけです😊

 

 開催場所のお店の当日客入れ前の雰囲気はこんな感じ。

 

f:id:aikosoleil:20160706143111j:plain

 

 そして、テーブルの上に自由にご覧いただけるように資料をご用意しました。

私個人の持ち物なので、できるだけ実物に触れてもらうのが良いかと、子どもたち

を対象にする時にもいつもご用意しています。

 洋書も多いのですが、わからなくても見て触ってって、結構大事だと勝手に思ってるんです。なかなか、この資料たち人気者でした☆彡

 

f:id:aikosoleil:20160706143326j:plain

 

 あとは、秘密兵器のバレエ史紙芝居wwまあ、人数が多いとちょっと使い勝手は悪いのですが、個人的にこのスタイルを発展できればと考えています。

 

 

 f:id:aikosoleil:20160706193619j:plain

 

 私としては今回限りのトークイベントと考えていたので、まずは第一部でバレエ史展望と言うことで、ルネサンスから20世紀初頭のバレエ・リュスあたりまでざっくりと俯瞰したいと思いまとめてみました。

 そして、第二部には今まで立ち入らなかった日本のバレエ史の部分に果敢にも(笑)取り組んだみました。

 

 日本のバレエ文化に影響を与えた三人のロシア人女性がいました(第二次大戦前)。ご存知の方も多いかもしれませんが、アンナ・パヴロワ。彼女は世界のバレエ文化に影響を与えたと言ってもいいでしょう。もし、アンナ・パヴロワがいなかったら、世界のバレエ地図も随分様変わりするかもしれません。

 

 そして、二人のパヴロワ。エリアナ・パヴロバとオリガ・サファイア。「あれ?パヴロワじゃないじゃない?」って思う方いらっしゃると思いますが、二人とも本名は「パヴロワ」なのですが、アンナと混同されないように名前を変えたとのことです。

 エリアナは、「アンナの従姉妹」などという偽情報もあったようです。ただ、それによって逆に宣伝的には良かった部分もあったとも想像できます。

 この二人がいなければ今の日本のバレエ界は成立していなかったかもしれないというほどのバレエ指導者です。

 

 エリアナさんに関しては、七里ガ浜に記念館があり、最近は川島京子さんと言う方が素晴らしい研究書を出してくださったので、またゆっくりと私の方では書かせていただきたいと思っています。

 心残りはオリガ・サファイアについて、もう少しちゃんとお話ししたかったなという

ことで、もう終わってしまったことなのだからいいだろうとも思うんですが、なんだか成仏できず亡霊になりそうなので、やはり書いておこうとブログを久しぶりに書いている次第。

 ある参加者の方に「愛子さんはオリガに好感をお持ちなのですね」というご感想を頂きました。ある意味図星です。エリアナさんよりは、オリガさんにたぶん肌感覚として惹かれている。

 私とオリガさんの出会いは、昔々バレエを札幌で習っていたころに母が求めてくれた一冊の本「バレエを志す若い人たちへ」というオリガさんの著作でした。残念ながらこの本自体は私の手元に残ってはいないのですが、当時小学校高学年の私は、この本を読んで感じたことは、「バレエの道とは険しいもので、簡単じゃない」ということで、「プロになるとは並大抵の努力では無理だ」と子ども心に受け止めた記憶があります。

 

www.kagakushoin.com

 

 そして、オリガさんに親近感を持つ別の理由としては、同郷のバレエ教師であった佐藤俊子さんが、オリガさんの最後のお弟子さんで、英文学者としても教鞭をとられつつ、東京=札幌間を何年も往復して、オリガさんの指導を受けていたということ。そして、同郷でありながら生前に佐藤先生にお目にかかれなかったという後悔があることです。

 佐藤先生は、英文学者、バレエ教師、ダンサーそして、母と言う一家庭人としての顔を持つ方でした。私にとっては鏡のような存在の佐藤先生に生前お目にかかって、いろいろとお話を伺っておきたかったと本当に思います。

 でも、神様は親切です。これはなんでしょうか。佐藤先生の筆跡です。私が今回のトークのために取り寄せた「北国からのバレリーナ」という佐藤先生の著作の見開きに書かれたものです。この本はすでに絶版になっているのですが、私の元にこの古本が届いたのも何かの縁と思わざるを得ませんでした。

 

f:id:aikosoleil:20160706202851j:plain

 

 この本は、佐藤先生がオリガさんと約束した「あなた、私のこと書きますね」と言う言葉を実現した本です。

 歴史屋としては、まるで考古学者が探していた壺の破片を見つけた時のような歓喜

覚える筆跡です。「この尾崎宏次さんて誰なんだろう」と素朴な疑問は、この本を読み進める内にわかってきました。

 尾崎さんとは、1936年にオリガさんが来日して東宝と契約し日劇でバレエを指導し始めて以来、日劇ダンシングチーム(NDT)の公演を見て、文章を書いて生きた都新聞(現在の東京新聞)の記者の方でした。

f:id:aikosoleil:20160706202828j:plain

 この本を読めば、オリガ・サファイアと言う人がどういう人だったのか。当時の日ソ関係、外交官の夫清水威久との国際結婚。宝塚の産みの親小林一三とオリガ・サファイアとの出逢い。日劇での秦豊吉のオリガとバレエ芸術の庇護などについてよく理解できますし、日本のバレエ文化への東宝大映の貢献が伺えます。

 そして、日本初の職業ダンサーとしてのNDTがオリガさんの指導を受けて、どのように成長していったかということが良くわかります。とにかく、「バレエを習得するというのは修道院のようなもので、楽しいとかそういうものではない」というオリガさんの考えのもとに、かなり厳しいレッスンだったと想像できます。オリガさんが第一期生の中で一番目をかけていたのは、松山バレエ団の創始者の松山樹子さんで、彼女のことは「外国に行っても通用する身体の条件」とも仰ってます。

 この本一つとっても「歴史を語れる」ということを私は感じるのです。

 

 あるトークイベント参加者からのご質問が後日ありました。

 「きびしいオリガ先生が指導したということはNDTのダンスは本格的なものだったのでしょうか」というものです。

 NDTの当時の公演の様子がどこかに映像として残っていれば見てみたいものですが、残念ながらそれは簡単ではありません。

 ただ、この本の中に、先に登場した記者の尾崎さんが書かれた文章が引用されていまして、それがなかなか的を得ていると思うのです。

 時は、第二次世界大戦勃発の年、1939年の公演「コーカサスの捕虜」というオリガさんの振付作品についての尾崎さんの記事です。

 ただし、あくまでも「日劇のバレエチーム」がショーのグループとは別に訓練されていたようなので、NDT全体として評価できるかどうかは難しいところですが、「バレエチーム」に関しては、「ボーイズ(エリアナ・パブロバの内弟子でもあった東勇作さんを含む)」も十分な訓練を受けていたことがうかがえる文章です。

 1939年、オリガが日劇就任して3年目の作品「コーカサスの捕虜」に ついての尾崎さんの評には、「バレエチームとボーイズが近来ない緊張した場面を醸成したいた」 とバレエ団の成長を褒め、 オリガの振付については 「サファイアの振付には舞台に雰囲気を作ることと共に 技術的に注目されるべきものが習得されていた。 サファイアの正確なテクニシャンとして(腕のアクセントに固い点はあるが)現在の洋舞界では注目に値する人だ」と評されています。

 この文章の中の<テクニシャン>という表現について、のちに夫君の清水さんが自伝の中で、少し反論するような文章を書いていますが、 この時点での尾崎氏の批評は、私自身踊る側からしても 的を得た批評だと考えられます。

 おそらく、重要なのは<テクニシャン>ということよりも その前の形容詞<正確な>かと考えられます。 それまでのバレエが<正確な技術の基礎>が怪しかったことへの 示唆ととらえるべきかと思うのです。そして、腕の表現に対する言及も踊る立場のものから しても、非常に言い得て妙という感じがします。

 ガリーナ・ウラーノワの『瀕死の白鳥』をここで見たくなりました。ウラーノワのお母様のロマーノワ先生が、オリガさんのレーニングラード時代の先生のお一人でした。オリガさんの踊った『瀕死の白鳥』は、もう一人のヴィクトル・セミョーノフ先生がアンナ・パヴロワの稽古を見て、その直伝と聞いています。

 でも、なんとなく少しウラーノワに似ていたのではないか、と想像しています。特に「腕のアクセント」という言葉からです。

 

www.youtube.com

  

 

 

 オリガさんよりも先に日本に入ってバレエ芸術を日本の文化の中に上手く浸透させたエリアナさんに対する評価もさまざまで、「アカデミックな専門教育を受けていなかった」ということが良く言われます。

 ただ、オリガさんのアカデミックなバレエ教育は、日本人の性質にはもしかすると馴染まず、エリアナさんの「あくまでも芸事としてのバレエ」の方が、伝授されやすかったとういうことは言えると思います。

 それが良い、悪いということではなく、私の中の結論としては、この二人のエリアナとオリガと言うロシア人女性が人生をかけて私たちの国にバレエ文化を移植してくださったことに対し、深い感謝の念を抱くばかりです。

 タイムリーな話題としては、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルに高田茜さんと平野亮一さんという二人の日本人ダンサーが昇格しました。

 少し調べてみましたら、高田さんの先生の高橋洋美先生は、松尾明美さんという方で、松尾さんは、オリガ・サファイア日劇バレエチームの第一期生の一人でした。

 オリガさんの植えた小さな種が世界で大きな花となって咲いていることを、天国のオリガさんとそのオリガさんの心を後世に伝えようとした佐藤先生にお伝えしたいと強く願うこの頃です。

熊本に物資を届けたい方へ!

確実に必要なものを届けるために☆彡

確実に熊本に物資を届けたい方は、

こちらの福岡の池田建設さんにアマゾン、楽天から

送るのが良いと思います。

私も、第一弾送りました。

必要な物資は、その都度変わりますが、とにかく

九州内に物資が不足しているとのことですから、

水、保存食(缶詰、レトルト製品)などを中心に

送ってほしいと、現地の方からの情報です。

833-0032

福岡県筑後市野町312

池田建設 橋本力也さま宛 

電話 担当
中島 090-8766-2888
板橋 090-5927-5679

 

最新情報からですが、

★池田建設さん宛の物資郵送は23日必着分を持って

一旦停止とのことです。

また、情報が入り次第お知らせします。

 

4月14日以来、熊本のことが気になって、気になって、

でも、情報がたくさんありすぎて、何をどうしようと

思っていました。

確実に。まずはお金ではなく、物資を届けたかった。

FBで流れてくる、情報、コメントに逐一目を通し、

どの投稿が一番信頼できるか、コメントしている方の言葉などか

判断し、瀬川映太さんのFBのコメント欄に、

「物資を送りたい」ということをしたためた。

そうしましたら、池田建設さんにちょうどものを届けてきたという

柴田真由美さんからお返事いただき、「送ってほしい」とのことで、

すぐにアマゾンから、水、レトルトカレー、コーンスープ缶、

女子用品を送りました。

オムツなども必要で、できるだけ、サイズなど幅広い方が良いと思います。

女子用品も種類が多めが良いでしょう。

なるべく応用の幅が広いものが良いかもしれませんね。

赤ちゃんのおしりふきなら、大人の方が身体拭くのにも使えますよね。

そんな感じで、遠隔地からできること、できるだけ現地の人の負荷にならないように

支援したいです。

あと、子どもたちにはお菓子も良いでしょうね。

大人の方も、甘いもの食べると少しは心緩むでしょうし。

そんな感じで、とにかく、東京からでもできること考えて

行きましょう!

 最新の情報は刻々と変化しますので、

私のFBページも確認して頂けると嬉しいです。

瀬川映太さんからの情報や池田建設さんの管理責任者の方とも

連絡が取れるようになったので、最新情報は私のFBページでお願いします。

 

Facebook

モフセン・マフマルバフ監督『独裁者と小さな孫』鑑賞記録♬

負の連鎖を断ち切るために。

 今日は、予定が変わりこちらの映画を見てきました。

 

 この映画を見終わって、映画館を出た時に見えた自分の

生きている世界がとても薄っぺらく感じた。

異邦人のような感覚で、新宿の街を歩いていた。

 

dokusaisha.jp

 この映画には夫も関わり、彼がマフマルバフ監督とお話しして帰ってきた日、
活き活きと監督のことを話している姿に、本当に映画が好きなんだな~と思ったものです。

 監督自身が拷問をティーンエイジャーの頃に実際に受けた身でありながら、
その憎しみの対象であるはずの「独裁者」に対し、一種の愛に通じる眼差しを向け続けて、
撮っているという映像美の世界に圧倒された。

 

「負の連鎖を断ち切らなければならない」。


 最後に独裁者が、首を切られ、火あぶりにされそうになった時に、
ある男~彼自身がその目の前の独裁者の命で拷問を受けた身でありながら~が、

独裁者の横に自分の首を並べ、「俺の首を先にやれ」と群衆に向かって叫びます。

「お前たちも皆、独裁者の命令に従って拷問してきただろう。」と。

 

 その言葉には、結婚式を挙げたばかりだと思われるある花嫁が、

車で通行する途中、革命派の兵士に辱めを受け、

その婿もそこにいた人たちも誰も止めに入らなかったことを
弾劾する言葉に通じると感じた。

 

「誰も止めないなんて、最低よ。私を撃ちなさい」。

 

 そして、彼女は身も心もぼろぼろにされて死んでしまう。

 

 もう一人印象に残ったのは娼婦。

昔、その独裁者も関わりを持った女性で、逃亡中に独裁者がその娼家に助けを求めて立ち寄る。


 その独裁者には、高額の懸賞金がかけられていた。
「俺のいる場所を教えれば懸賞金が手に入るが、突き出すか?」というような問いに、

 

 その女は言う。

 

「そんなお金の稼ぎ方をするくらいなら、そもそも娼婦なんてやっていない」と。

この言葉に妙に納得したと同時に、彼女の人間としての品性を感じた。

 

 

 逃亡する独裁者と孫は旅芸人を演じて逃亡し続ける。
 独裁者はギターを弾き、孫は女の子に扮し踊り子を装う。

 

 あるシーンで涙がこみ上げた。

 たき火を囲んで、逃亡中の独裁者と孫、その独裁者の息子夫婦を
殺害し、拷問を受け傷だらけの男たちが、ウォッカを回し飲みするシーン。

 

 拷問した側とされた側。
された側の男たちの会話は、その独裁者に復讐するか、しないかで意見が分かれる。

独裁者は、自分の命令でやってきたこと~実際には手を下していないこと~の実態を
リアルにされた人間たちから聞くことになる。

その独裁者は、自らの手でその自分に反旗を翻した男の拷問による

傷の手当てもし、彼が愛する人の元に帰る手助けもする。

 

 5年間投獄されていた間に、その男の愛する女性は結婚し、

子どもも授かっていた。

彼女への愛だけを心の支えに拷問に耐えてきた男は、自ら命を絶つ。

 

 小さな孫は起きることすべて、ほとんどが残酷な現実を

目の当たりにする。

 

 なんとか二人が、逃亡の終わりを迎えようとした時、

民衆の手に囚われてしまう。まずは、人々は見せしめに小さな孫を

絞首刑にしようとする。

 

 そこで、ある男が止めに入る。

独裁者と一緒にたき火を囲んだ男の一人だ。

自分も拷問を受けたが、「負の連鎖を断ち切らないと」という

意見の男だった。

最後の最後のシーンで、群衆はその独裁者の処刑を止めた男に

問う。

「殺さないなら、どうする?」と斧を持った男の問いに、
勇気あるその男はこたえる。

 

「踊らせろ!」と。

 

 孫は、祖父と逃避行の間に、
さまざまなことを学んだに違いない。

おそらく、普通の同じくらいの年の男の子なら、

知らなくても済むようなことばかりを。

たまたま独裁者の孫だったというだけの

理由で。


 それは、人間としてなのか、為政者としてなのか。
彼は、良い為政者になるだろうか。

そんなことをエンドロールを眺めながら想った。

 

 そして、ひとたび戦争が起きれば、
独裁者がやってきたことも反体制派が
やることも同じことに陥ってゆく人間の弱さと愚かさ。
負の連鎖が循環することになる。

 

 私は、あの独裁者の横に首を置ける人間になれるのか?
と自分に問う。
ものすごく重く、深い、答えのない問いに対して、
映像の力が、どこか悲壮感で終わらせない何かがある。

 

 マフマルバフ監督にもし会えたとしたら、
自分の感じたことをどう伝えるのだろうか。
わからない。

 新宿武蔵野館で29日まで上映中です。

ぜひ、ご覧いただきたい一作です。